せっかく大阪に来たので、娘と一緒に叔母に会いに行った。
行く前に、叔母に電話をした。
すると開口一番、 「私、入院してんねん」と。
「え? どこに入院してるの?」と聞くと、
「場所、分からへんねん」と笑う。
看護師さんに代わってもらい、
住所を教えてもらって、
途中で花を買って向かった。
着いた先は、
病院ではなく、老健施設だった。
久しぶりに会った叔母は、
記憶していた姿より、ずっと小さくなっていた。
89歳。
叔母の人生は、苦労の連続だった。
夫を早くに亡くし、
家業を継いだものの本家とは分離し、
ひとりで踏ん張り続けてきた。
事業も決して順風満帆ではなかった。
一人息子を医師に育て上げたが、
その息子も、自分より先に旅立った。
「ボケた、ボケた」と口にするけれど、
忘れることは、 必ずしも悪いことではない。
嫌だったこと。
辛かったこと。
悲しかったこと。
それらを、少しずつ手放しているようにも見える。
叔母はニコニコしながら、
「遠いところから、 よう来てくれはったね」 と、
何度も何度も言った。
今は施設に入っているけれど、
かつての従業員だった方が、
今もお世話をしてくださっている。
それは、叔母が生きてきた時間が、
人の心の中に、ちゃんと残っているということなのだと思う。
穏やかな笑顔を見ながら、
こんな年の重ね方も、あるのだなと感じた。
小さくなった身体に宿る、
やさしさと静かな強さ。
私は、
こんな年の取り方ができたらいいな、
と、心から思った。


