クライアント様とお話をしていて、
小さい頃に「よそはよそ、うちはうち」と親からよく言われていた、という話になりました。
その言葉を聞いて、私自身も子どもの頃、同じように言われていたことを思い出しました。
似た言葉に「隣の芝は青く見える」ということわざがあります。
つまり、他人と比べて羨ましいと思っていた、ということです。
子どもの頃、私は親に言っていました。
「お友達は、もっとお小遣いをもらっているよ」
「お友達は、もっとテレビを観せてもらっているよ」
「お友達は、家族で旅行に行っているよ」
すると母親は決まって、「よそはよそ、うちはうち」といって、それ以上取り合ってくれませんでした。
「よそはよそ、うちはうち」で封じられた“望み”
でも、その気持ちの奥には、確かに「望み」がありました。
「もっとお小遣いを上げてほしい」
「もっとテレビを見たい」
「もっと家族と一緒に過ごしたい」
そんな小さな願い。
けれど、親の口から出る「よそはよそ、うちはうち」という一言で、 その望みは終わりにされてしまう。
「諦めなさい」というメッセージにすり替えられていたのです。
「どうしたら叶えられるか?」を考えるチャンス
もちろん、親として子どもの望みをすべて叶えることはできません。
経済的な制限や、しつけの観点もあります。
私自身も子育てを経験して、その難しさを痛感しました。
でも同時に思うのです。
「どうしたらそれを叶えられるか?」を一緒に考えるチャンスを 奪ってしまっていたのではないかと。
「望みがわからない」大人たちへ
日々、患者様やクライアントの方々とお話をしていると、
「自分の望みがない」
「やりたいことがわからない」
とおっしゃる方がとても多いと感じます。
もしかしたらそれは、 子どもの頃から“望みを諦める”練習ばかりしてきた結果かもしれません。
子どもたちには「交渉する力」を
私は自分の子どもたちには、 「チャンスがあれば、どんどんチャレンジして」と伝えています。
もちろん、すべての望みを叶えることはできないけれど、 少なくとも“交渉する”という選択肢は与えたい。
望みを持つこと、 そしてそれを実現するために考える力。
それが、大人になってからの「生きる力」につながるのだと思います。

