昨日のブログで、
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」
という慣用句が、私は嫌いだとお話しました。

 

使う人の心理的な背景についても触れましたが、実は、本当に嫌いになったきっかけがあるんです。

それは・・・子どもの三者面談で担任の先生に言われた一言でした。 

 

 

その瞬間、ショックで目の前が真っ暗になり、 めまいがして、倒れそうになりました。 

 

 

 

帰宅後、怒りが込み上げてきました。 

 

「水場に馬を連れてきただけで、 

この水がどれほど美味しく、 

どれほど潤いをもたらし、 

飲むことでどんなに心が豊かになるのか、

それを伝えているのか?」 

 

 

「学ぶことの意味」

「学ぶ楽しさ」 

「学ぶことの尊さ」 

「学ぶことで人生を変えられる」 

 

そうした“学びの喜び”を伝えるのが、 教育に関わる人の役割ではないのかと思いました。 

でもこれは、教師だけの問題ではありません。 

 

 

 

私自身も医療の現場で、同じことをしていたのです。 

外来に来られる生活習慣病の患者様。 

 

「食事制限をしなさい」と言っても、間食がやめられない。 

「運動をしなさい」と言っても、テレビの前から動かない。 

薬が増える一方で、どうしようもない。 

 

 

 

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諦めていたのは私だった

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そのことに気づいたとき、私ははっとしました。 

 

 

 

「できない人」を責めるのではなく、 

「どうすれば、その人が“やってみたい”と感じられるか」を考える。 

それこそが、関わる側の本当の役割だと気づきました。

 

 

 

 

 

 

オープンチャット「野上徳子の“病は氣から”」

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野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山県育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。