昨日のブログで、
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」
という慣用句が、私は嫌いだとお話しました。
使う人の心理的な背景についても触れましたが、実は、本当に嫌いになったきっかけがあるんです。
それは・・・子どもの三者面談で担任の先生に言われた一言でした。
その瞬間、ショックで目の前が真っ暗になり、 めまいがして、倒れそうになりました。
帰宅後、怒りが込み上げてきました。
「水場に馬を連れてきただけで、
この水がどれほど美味しく、
どれほど潤いをもたらし、
飲むことでどんなに心が豊かになるのか、
それを伝えているのか?」
「学ぶことの意味」
「学ぶ楽しさ」
「学ぶことの尊さ」
「学ぶことで人生を変えられる」
そうした“学びの喜び”を伝えるのが、 教育に関わる人の役割ではないのかと思いました。
でもこれは、教師だけの問題ではありません。
私自身も医療の現場で、同じことをしていたのです。
外来に来られる生活習慣病の患者様。
「食事制限をしなさい」と言っても、間食がやめられない。
「運動をしなさい」と言っても、テレビの前から動かない。
薬が増える一方で、どうしようもない。
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諦めていたのは私だった
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そのことに気づいたとき、私ははっとしました。
「できない人」を責めるのではなく、
「どうすれば、その人が“やってみたい”と感じられるか」を考える。
それこそが、関わる側の本当の役割だと気づきました。
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