現在大学生の娘が高校2年生時に、少しずつ学校を休むようになりました。
最初は週に1回。次第に2回、3回と増えていき、学校へ行っても途中で帰ってきてしまうように・・・

 

 

「いじめられてるの?」
「先生に何か言われたの?」

そう問いかけても、返ってくる答えはいつも「No」。

 

 

娘はこう言いました。


「生きていたくない。死にたい。大人になんかなりたくない。」

 

 

その言葉は、私の心に深く突き刺さりました。

なぜなら、それはかつて私自身が思っていたことだったからです。

 

 

 

私も小学生の頃、いじめを受けたことがあります。

 

机にゴミを入れられたり、無視されたり…。

学校に行きたくなかったけれど、親には言えませんでした。

あの時代は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」と呼ばれていて、学校へ行くのは“当たり前”だったのです。

 

 

でも今振り返ると、
「行きたくなければ、行かなくてよかった」
そう思います。

 

 

 

私は気づきました。
「学校は行かなきゃいけない」
「学校へ行くべき」

 


その思い込みを手放してもいいんだと。

 

家族で話し合い、娘は高校を辞めることを選びました。
その後、定時制高校に進み、今は大学生として元気に過ごしています。

 

朝の水やり

 

生きる形はひとつじゃない。
学校に行けなくても、道は続いている。

 

 

私たちは知らず知らずのうちに 「当たり前」に縛られている のかもしれません。
でも、その「当たり前」を手放したとき、思いがけない自由と、新しい道が見えてくるのだと思います。

 

 

どうか覚えていてください。
あなたも大丈夫。
「当たり前」から自由になれば、きっと新しい自分の道が見つかります。

 

 

 

 



野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山県育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。