現在大学生の娘が高校2年生時に、少しずつ学校を休むようになりました。
最初は週に1回。次第に2回、3回と増えていき、学校へ行っても途中で帰ってきてしまうように・・・
「いじめられてるの?」
「先生に何か言われたの?」
そう問いかけても、返ってくる答えはいつも「No」。
娘はこう言いました。
「生きていたくない。死にたい。大人になんかなりたくない。」
その言葉は、私の心に深く突き刺さりました。
なぜなら、それはかつて私自身が思っていたことだったからです。
私も小学生の頃、いじめを受けたことがあります。
机にゴミを入れられたり、無視されたり…。
学校に行きたくなかったけれど、親には言えませんでした。
あの時代は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」と呼ばれていて、学校へ行くのは“当たり前”だったのです。
でも今振り返ると、
「行きたくなければ、行かなくてよかった」
そう思います。
私は気づきました。
「学校は行かなきゃいけない」
「学校へ行くべき」
その思い込みを手放してもいいんだと。
家族で話し合い、娘は高校を辞めることを選びました。
その後、定時制高校に進み、今は大学生として元気に過ごしています。
朝の水やり
生きる形はひとつじゃない。
学校に行けなくても、道は続いている。
私たちは知らず知らずのうちに 「当たり前」に縛られている のかもしれません。
でも、その「当たり前」を手放したとき、思いがけない自由と、新しい道が見えてくるのだと思います。
どうか覚えていてください。
あなたも大丈夫。
「当たり前」から自由になれば、きっと新しい自分の道が見つかります。