こんにちは。
先週、WaRa塾の第2講から参加してきました。

 

WaRa塾については、

あらためてこちらのブログでもご紹介していきますが、

 

今日はその2日目の最後に行った「死の体験ワーク」について、

感じたことを綴りたいと思います。

 

 

講座の終盤、
「これから“死の体験ワーク”を行います」と。

 

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられました。
ああ、ここでもまた “死” というテーマに向き合うのか…。


そう思うと、どこか覚悟のような気持ちが湧いてきました。

 

 

ワークの具体的な方法はここでは詳しく触れませんが、
「大切な人」、「大切なもの」、「夢」、「大切な日常の活動」


それぞれを5つずつ書き出していき、
“死に向かう過程”の中で、それらをひとつずつ手放していくというものでした。

 

 

たとえば、ある日突然、身体の不調に気づき病院へ行くところから始まります。

 


検査を受け、結果に異常が見つかり、さらに詳しい検査へと進む…。
その過程で、自分の中にある大切なものが、ひとつ、またひとつと失われていくのです。

 

 

診断、治療、そして進行していく病。

 


それに伴って、
人とのつながり、叶えたかった夢、愛しい日常、
そして、身体の機能までもが静かに、しかし確実に奪われていく。

 

 

またひとつ失い、またひとつ手放す。

 

 

こんなにも多くの大切なものが、
病や死という現実の中で、少しずつ少しずつ、

自分の手からこぼれ落ちていくのかと、
胸が苦しくなりました。

 

 

最後に残ったのは、たったひとりの「大切な人」。

 


それすらも、やがて手放す時が来る・・・

 

 

「死」とは、
すべてを失っていく過程であり、
すべてを手放していく旅路なのだと、
深く心に沁みました。

 

ある日の夕焼け

 

でも、こうも思いました。
最初は何も持っていなかった。

 


この手にある全ては、

いつかどこかでいただいたものだったのだと。

 

 

そう思うと、不安や恐れ、悲しみさえも、
静かにほどけていくような感覚がありました。

 

 

今ある日常、
今ここにある全てのもの、そして、そばにいてくれる人。

 

 

「ありがとう」と、ただそれだけを感じています。

 

 

 

 



野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山県育ち。愛媛県松山市在住。

30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。