こんにちは
野上徳子です。
私は医師という立場でありながら
ずっと、
『生きる価値がない』
『死にたい』
と思って生きていました。
そこから、どのようにして脱出したのか、
具体的にお話していきたいと思います。
小さい頃から母は、妹ばかり可愛がっていました。
私は「妹に母をとられた。私は母に愛されていない」
と思っていました。
そのため、いつも妹をいじめていました。
この『私は愛されていない』という思いが、
私を苦しめました。
愛されていない私はダメな人間だ
愛されていない私は価値がない
愛されていない=嫌われている
だから友達ができない
友達のいない私はダメで、価値がない
私はダメで、価値がない人間なんだ
価値のない人間は生きる価値がない
という具合に
信じ込みがどんどん膨らんでいきました。
母に愛されていないという思いは、
どこから生まれたのか?
過去をずーっとさかのぼっていくと、
ある記憶を思い出しました。
妹が産まれた後、母は産後のひだちが悪く、
よく臥せっていました。
当時2歳だった私は、母に甘えたくて、
母の部屋にいきました。
部屋の戸を開けると、
母に「あっちに行って」と言われて、
私はひどく傷つき、辛くて、悲しくて、
私は母に拒絶された、嫌われている、
愛されていないと思いました。
この時の記憶が『私は愛されていない』
という思い込みを作ったのかもしれません。
この記憶を書き換えることにしました。
まず、イメージの中で
大人の私が、2歳の私をぎゅうっと抱きしめ、
「大丈夫だよ~」と言って愛を送り、
2歳の私を安心させました。
そして、母は本当に、
私のことが嫌いだったのか、
母の中に入ってみることにしました。
母の着ぐるみを着るように、
母の中に入ってみると、
母の想いが伝わってきました。
私が母の部屋の戸を開けた時、
母は体調が悪く、
とても私の相手が出来ないと思い
「あっちに行って遊びなさい」と言ったようです。
母は、私が嫌いで言ったわけではなかった
ということが分かりました。
そして、2歳の私は、
本当はどうしたかったんだろう?と考えてみました。
2歳の私は、ただ母のそばに居たかった。
ただ母のぬくもりを感じたかっただけ・・・でした。
「あっちに行って」と言われ、
それに従って、すごすご引き下がり、
勝手な思い込みをしただけでした。
だったら、
2歳の私はその時どうしたら良かったんだろう?
母に「あっちにいって」と言われた時、
「おとなしくしてるから、そばにいてもいい?」と
訊くこともできたかもしれません。
そうすれば、母を煩わせる事もなく、
私も満足できたんじゃないかと思います。
これをイメージでやり直しました。
そして、改めて、
私は何のために母に「あっちに行って」と
言わせたのか?考えてみました。
もしかしたら、
人の懐に入るためには、臆することなく、
一歩、歩み寄ることが大切だ
ということを学ぶためだったのかもしれません。