今日はポルトガル全土でゼネストが行われている。交通機関はすべてストップすると聞いていたが、さすがにそれでは市民生活に影響が大きすぎるせいか、リスボンでは市電もバスも一部は動いていた。しかし、電車や船や飛行機はストップしているようで、市内から出ることはできない。それで、一日リスボンを歩き回った。

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大航海時代に世界を圧倒した国ポルトガルだが、現在はイベリア半島の先端をつつましく占めているにすぎない。リスボンは首都だが、人口はわずか60万人程度らしい。華やかなロマンと夢の名残のようなかすかな寂しさが、その古い町には漂っている気がする。
イタリアとスペインとポルトガルは同じラテン系の民族だが、ポルトガルは国全体がとりわけのどかで、人々もおっとりしているように感じる。そういえばポルトガルに入ってから、意味もなく大声でしゃべる人を一度も見ていない。

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海際にいくつもの丘が迫る地形に作られているので、リスボンは坂の町である。同じ坂の町長崎と似て、市電が市内全域を走り、そのレトロな車体や街路の空を埋めつくす電線が、古い街並みによく似合う。坂を上りながら振り返ると海が見えて、ここがかつては世界へ旅立つ船を見送った港町だということを思い出させる。

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町の建物のほとんどが色タイルで一面飾られている。アズレージョと呼ばれるポルトガルの伝統のタイルで、骨董屋では古い建物からはがした17世紀くらいの青い線描の手描きタイルがお土産に売られている。

ゼネストなので開いているかな、と思いながら丘の上のサン・ホルヘ城址まで歩いて登ってみると、門の警備員が今日は無料だという。開けてはいるが、ゼネストなのでお金を取るのはやめちゃった、ということらしい。確かにこれも政府への立派な抵抗ではある。
城址自体は城壁が残っているだけで、これまで他の国でたっぷり見てきた城址とあまり変わらないのだが、町から海、そして海峡の対岸まで一望できるパノラマがすばらしかった。

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町の中にレトロな鉄のエレベーターが建っている。上の乗降デッキからは建物の屋根をかすめる渡り廊下があって、背後の丘の市街地の広場に行くことができる。
エレベーターの上には展望台がある。

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夕景。

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夜景。
他の国の首都に比べると、圧倒的に灯りが少ない。町を歩いても、首都にしてはずいぶん夜が早い町という印象だった。スペインやイタリアが夜遅くまでビールでガハハなら、ポルトガルの夜はしっとり静かにワイングラスでも傾けるのが似合う感じ。

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マンドリンやギターを伴奏に、ポルトガルの民俗歌ファドをライブできかせるレストランが町のあちこちにある。元は労働歌だったという哀愁のある歌で、言葉は分からないながらも、切ない愛情や生活の中の小さなユーモアを歌っているらしいというのは伝わってくる。

食べ物では、ポルトガルの名物といえばバカリャウと呼ばれる塩干しタラである。食料品店の店先には必ずバカリャウが吊るしてあり、数軒手前からあの魚の干物のにおいがかぎ分けられる。バカリャウ料理には365のレシピがあると言われるほどで、レストランでも肉や他の魚料理より少し安いからそればかり食べていた。バター焼きで出てきたり、オムレツやコロッケになったり、ほぐした身がポテトと一緒に卵とじになったり(バカリャウ・ア・ブラス)と、千変万化である。
そしてポルトガルのレストランで特筆すべきは、注文をするかしないうちに、テーブルにパンやバターやチーズやオリーブといった前菜が並べられること。

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これらは、手をつけると料金に加算されるが、手をつけなければ適当なタイミングで下げられて、加算されない。しかし、料理が来るまで空腹をガマンしながら前菜をにらみ続けるというのはなかなか忍耐を要する。罪なシステムである。
昨日とは打って変わって、朝から快晴。ちょっとシャクだ。
出勤の車の流れとともにリスボン市内へ。空港に程近い日本通運リスボン支店の事務所へ、この旅最後のライディングである。
約束の9時ちょうどに事務所に到着した。迎えてくれたこの支店の責任者エストパ氏は、オフィスに案内するやいなや戸棚を開けて、自分のヘルメットを見せてくれた。
「実は私もバイク乗りでね」
ここに任せて正解だったと一瞬で安心した。
事務所での手続きは、俺が持っているバイクの書類のコピーから始まった。その後、航送するバイクと荷物の中身の簡単なリストを作り、それを元に保険額を算定。30ユーロの保険額が送料に加算された。
階下の銀行で支払いをすませ(日本で購入したものの使う場所がなくてずっと持ち歩いていたトラベラーズチェックが役立った)、ここでの手続きは終了。
エストパ氏の車の先導で15分ほど走り、港の作業倉庫へバイクを移動した。すでにバイクを入れる木箱は組立てを待つ状態になっている。バイクに残ったガソリンを抜き、バッテリーの端子を外すと、あとは日本通運の作業員の仕事である。ここでバイクとはしばしの別れとなった。日本への到着は来年の1月中旬だそうだ。

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梱包作業をやってくれた陽気な作業員。昼ご飯にも連れていってくれた。ふたりの名前を漢字で書いてあげたら、たいそう喜んでいた。

夕方にエストパ氏から状況を知らせるメールがあった。梱包と木箱の組立ては完了し、税関までは行ったが、明日のゼネストの影響で通関が完了せず、明後日の朝に通関できそうだということだった。
エストパ氏の事前の説明では、今回俺はEUに入るときに税関で手続きをしなかったため、EUから持ち出すに当たっての通関に若干の問題が発生するかもしれないと言われていた。しかし、それも引っくるめてエストパ氏は手続きをスムーズに進めてくれた。やはりバイク乗りの心を知っている人に信頼して任せることができたのは幸運だった。これからポルトガルでバイクの航送をする人は、まず一度日本通運リスボン支店のエストパ氏を訪ねてみてはどうだろうか。

空港まで作業員に車で送ってもらい、そこからバスで市内に戻った。町の真ん中のドミトリーの宿にチェックインした。明後日までリスボンでのんびりしよう。

※ エストパ氏によると、EUから外国向けのバイクの航送時に税関で問題を起こさないためには、以下の方法が推奨される、とのこと。一番ややこしくなるのが、俺のようにEUに素通りで入ってしまったバイクなんだそうだ。
1: 最初にEUに入域する国境で、税関に出頭し、一時輸入手続きを行う。ただしこの場合、出国地点も入国地点と同じ国である必要がある。このため、俺のような旅では現実的ではない。
2: ATAカルネ(自動車カルネではなく)を使用して入域し、そのカルネを出域時に使用すれば問題なく通関できるとのこと。

本日の走行距離 40キロ(地図より推定)
夜通し強風が吹き荒れ、大粒の雨が降ったりやんだりしていた。
朝になると、雨の気配は一旦遠ざかった。海の上にはどす黒い雲が垂れこめ、手前を低い灰色の雲が強風で走るように流れていくが、そのすき間から一瞬青空が見えたりする。行くなら今のうちだ。
宿の軒下に停めたバイクのエンジンをかけ、ロカ岬への道を走り出す。台地の端をアップダウンし、たったひとつの小さな村を越え、岬へは15分もかからなかった。

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「ここに地終わり海始まる」
ポルトガルの詩人カモンイスのあまりにも有名な一節が、確かに刻まれていた。
朝なので、岬にはまだ誰もいなかった。

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強風であおられた波が岬の断崖に打ち寄せては砕けていた。断崖の上には赤い灯台が立っていた。
着いちゃったなあ、とちょっとため息が出るような気持ちだったが、たどり着いた達成感よりも、ここまでの一日一日、一瞬一瞬の積み重ねのほうが強く思い出された。

1時間ほど岬にいると、観光客もちらほら来はじめ(日本人だった!)雲ゆきも怪しくなってきたので、宿に戻った。
宿に帰って10分とたたないうちに、土砂降りの雨が降りはじめた。危ないところだった。
そのあとも一日降ったりやんだりの天気だったので、どこにも出て行くことができず、宿で過ごした。

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ポルトガルといえばエッグタルト。カスタードクリームやプリンのたぐいは、ダマができたら日本では家庭料理のレベルでも失敗になると思うが、これまでの国ではそんなのが平気で売り物になっている。だが、ポルトガルのエッグタルトはなめらかでうまかった。

夜になり、明日のバイクの航送に備えて荷物の整理をしていたとき、急に「旅が終わった」という思いが胸に迫ってきた。そして、今軒下で静かに航送を待っているバイクが妙に愛おしく思えてきた。エンジンがオイル漏れで真っ黒になり、異音を立てながらも、不平も文句も言わず最後までタフに走り続けてくれたからこそ、ここまでたどり着くことができたのだ。
そんな思いで、バイクのところに酒を持っていって、両の車輪にかけて、乾杯した。

本日の走行距離 20キロ(地図より推定)
11月22日午前8時45分(日本時間同日午後5時45分)、ユーラシア大陸最西端、ポルトガルのロカ岬に到達しました!

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すごい強風で髪が逆立ってます。

応援してくださった皆さんに感謝です!
セビリアから100キロ余り走ると、いよいよ最後の訪問国となるポルトガルの国境。今日じゅうにロカ岬は無理でもその近くまで行きたい。明日に向けて天気が下り坂だからだ。
そのため、今日の移動の半分以上は高速道路を走った。ポルトガルの農村風景の美しさは有名なのに、あまり見られなくてちょっと損したかもしれない。

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これは高速を下りてから通りすぎた村々。

半日かけて、ポルトガルの南部を横断し、昼すぎにサン・ヴィンセント岬に到着した。ここはヨーロッパ最南西端だという。最南端でも最西端でもなく最南西端というのがちょっと中途半端な場所だが、最後の村から民家もない台地の上を海に向かって走っていくアプローチは悪くない。

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沢木耕太郎の「深夜特急」は、ここが終着点だったが、俺の目的地はまだ先だ。
昼前から北西の風がどんどん強くなって、岬ではまっすぐ立っていられないほど。北に進路を変えてリスボン方面に走り出すと、バイクも風で傾いてしまう。
首都リスボンの手前で日が暮れた。ここからロカ岬まではわずか30キロ余り。通勤の車の列に混ざって高速を走っていると、雨が降り出した。叩きつけるような吹き降りだ。高速の上なので停まることもできず、暗いので自分がどれくらい濡れているのかも分からない。この旅の出発も嵐だったが、最後も嵐なのか。
ロカ岬の入口まではたどり着いたが、真っ暗で何も見えない上に、停まっているだけでもバイクごと横倒しにされそうな突風が吹き荒れている。岬に入るのは明日以降にして、岬の10キロほど手前の村の宿に泊まった。部屋にヒーターがあったので、濡れた衣類を乾かすのにとても助かった。

本日の走行距離 640キロ(地図より推定)