セビリアの旧市街の地図を一目見れば、バイクを乗り入れるべき場所ではないのは明らかだった。目印になるような太い道もなく、どこを見ても同じ曲がりくねった路地の集合体なのだ。着いてみると、この町は徒歩でも迷うほど入り組んでいた。
地図を持っていても、辻ごとに現在地を確認しながら進まないと、すぐ自分の居場所を見失ってしまう。ここにはまっすぐな道も直角な角も存在しないし、一本の通りが太くなったり細くなったりするので、同じ通りをたどっていたつもりがいつの間にか違う通りに迷いこんでいたりする。町のあちこちの辻で、地図を見ながら首をひねっている観光客をたくさん見かけた。ぶらぶら迷い歩くのならいいが、目的地がある場合は大変だ。初日は宿を見失ってぐるぐる歩いてしまった。

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道が細いのは強烈な日差しを建物で遮るため。ここセビリアは、ヨーロッパの都市で2番目に暑い記録を持つそうで、真夏は55度くらいまで上がるんだそうだ。そうなると外に出るのはもはや命に関わるので、シエスタ(昼寝)の時間は、ダラダラするためというより、外に出て命を危険にさらすのを防ぐための知恵なんだそうだ。

宿は旧市街のはずれにあって、古い民家だった3階だての建物。これも暑さを防ぐための知恵だろうが、この辺りの伝統的な家は、ふたつの中庭を囲んでちょうど「日」の字の形に建てられている。中庭は元は屋根がない吹き抜けだったのだろうが、今は透明なアクリルで屋根がかけられて雨が降りこまないようになっており、植物の緑でたっぷりと飾られ、くつろぐのにいいスペースだ。どの家でも壁には装飾タイルが使われている。

ここの王宮も、アルハンブラ宮殿と同様にイスラム王朝の宮殿に西洋式の宮殿を継ぎ足す形で作られている。アルハンブラと異なるのは、漆喰装飾が彩色されていること。ほとんど白一色だったアルハンブラ宮殿は夜の光と影の世界も似合ったが、ここは昼の光の元で見るほうがよさそうだ。

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着いた日は天気はよかったが、その後二日間雨が降り続き、結局三泊することになった。三泊しても飽きない町だった。
スペインの町は、外で食事をする場所が見つけにくい代わりに、ビール・バーはいたるところにある。たいてい壁には豚のひづめのついた脚そのままの生ハムが何本も吊るしてあり、ビールと簡単なつまみを出してくれる。日本なら「キリン」とか書いてあって食堂で瓶ビール頼むと出てくるようなコップに、生ビールをついでくれて、100円くらい。居心地のいい店を見つけたので、そこにばかり通った。地元のおじいちゃんおばあちゃんが集まったテーブルでは、手拍子で歌が飛び出したり、おばあちゃんが立ち上がってフラメンコ風の踊りを踊ったりしていた。さすがアンダルシアである。突き出しで出てくるオリーブが、何やら梅酢みたいなものに漬けられていておいしかったので、毎回オリーブと生ハムをつまみに、明るいうちからビールをひっかけていた。

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最初の日に町をぶらぶらしていたら、あちこちに「ディエゴ・カラスコ来たる!」という渋いおっちゃんのポスターが貼ってあるのに気がついた。そのライブの日程は翌日の土曜日。気になってネットで調べてみたら、フラメンコギターをベースに独自の音楽を盛りこんでスペインで非常に有名なミュージシャンだという。一度来日したこともあるとか。いい機会だと思い、出かけていった。
22時半スタートという、大物音楽家のコンサートとしては日本では信じられないような時間設定なので、半信半疑で22時ごろに会場に行ってみると、シャッターも半開きで誰も並んですらいない。22時半にようやく数人集まったが、誰もが俺と同じ半信半疑の表情なので困ってしまう。大物のライブだというのに大丈夫なの?そのうち中から人が出てきて、23時半に開場だという。あ、ちゃんとやるのね。
だんだんと人が集まり始めて、開場の時点で40人ぐらい。さて中に入ってからがまた長い。席が全て予約されているので、立ったままウイスキー飲んで待つのだが、全然始まる気配がない。日本人のフラメンコ指導者の女性と知り合い、いろいろ話しながら待つ。彼女いわく、いつもライブはこんなものですよ、ときにはさんざん待って、出演者が来ないからハイ解散、なんてこともありますからね、とのこと。そのうちどんどん客が集まってきて、気がついたらホールは200人ぐらいの人であふれかえっていた。結局、ディエゴ・カラスコと仲間のギタリストが舞台に上がって演奏が始まったのは1時!
フラメンコをベースにしているというから、哀愁ただよう演奏かと思ったら、ヒゲもじゃのおっちゃんがノリノリで歌う底抜けに明るい舞台だった。会場の空気を巧みにコントロールしながら、自由奔放に歌う姿は、音楽を心から楽しんでいるようで、こちらも楽しかった。そしてこれがフラメンコのリズムなんだね、自然と手拍子が出てくる。
終わったのが2時すぎ。なのに、次のバンドも控えていて、客もまだまだこれからという感じ。俺はそこで宿に帰ったが、途中の繁華街にはまだ人がたくさんいた。4時くらいまで飲むのは当たり前みたい。

次の日の夜は、フラメンコを見に行った。セビリアはフラメンコの本場だけあって、酒や簡単な食事をしながらフラメンコの舞台を見られるタブラオという店があちこちにある。まあ、観光客を相手にしている以上、多かれ少なかれショー的な演出はあるわけだが、昨日のフラメンコの女性が勧めてくれた「ロス・ガジョス」という店に行ってみた。
ギタリストとふたりの男の歌い手をバックに、フラメンコダンサーの男女が一人ずつ出てきて踊る。これがスペインのマホとマハ(伊達男、伊達女)の世界なんだな。自分を美しく見せ、美しく見られることに誇りをかける、激しく華やかな踊り。女性は腰のくびれた長いドレスの裾を舞台いっぱいにひるがえし、男は汗を飛ばしながらいく度も回り続ける。脚を踏み鳴らし、膝を打ち、カスタネットを鳴らす狂おしい動の世界と、一瞬にして顎をそらしポーズをとる静の世界の対比。1時間半の舞台はあっという間だった。

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そんなこんなで夜遊びをしながらも、ロカ岬に着いたあとの帰国の段取りも開始した。セビリアからロカ岬は、長くても二日で着く距離だからだ。
バイクの航送は、すでに日本通運のマドリードとリスボンの支店に見積りを頼み、リスボンから大阪まで1500ユーロ(15万ちょっと)との回答を得ている。過去に似たようなルートで送った人の情報をネット上で見比べたが、特別なコネでもない限り、他社で頼んでもこれより大幅に安くなることはなさそうだ。それならリスボン支店は英語が通じるし、日本の企業なら日本側の手続きもスムーズにやってくれるだろうと、あれこれ他社を探さずにここに任せることにした。(スペインのマドリード支店は日本語も通じる!)
帰りの航空券は、リスボンよりマドリードから飛ぶほうが半額ですむことが判明。マドリードへの移動費を入れてもずっとこのほうが安い。そして、最安値の航空会社は、残念ながらトルコ航空ではなくカタール航空だった。ストップオーバーなし、ドーハ乗り継ぎで5万円を切る安さ。そんなわけで残念ながら帰りにイスタンブールに寄るという計画は流れてしまった。まあ、正直なところ、気持ちが一旦帰国のほうに向いてしまうと、知らない町を探検しようという情熱がちょっと削がれてしまったのも事実。当初の予定より1カ月もオーバーしているのだから、ここは素直に帰国の途につくことにしよう。

おまけ。
何かのイベントで広場にやってきたコンパニオンの女性たち。顔もスタイルもよすぎ!

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11/18の走行距離 223キロ(地図より推定)
シェフシャウエンのホテルの中も、やっぱり青の世界だった。階段も、ホールも、部屋の中も。

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シェフシャウエンからセウタはさほど遠くないので、昼前までゆっくりしてから出発した。
豪快な岩の山が見える道を北へ向かう。羊飼いの姿をあちこちで見かける。

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セウタに近い海岸線は、モロッコのリゾート地らしく、ホテルやヨットハーバーがある。イワシのオイル焼きなんぞを昼食に食べ、ガソリンを満タンにし(スペイン本土より1リットルで30円も安いのだ)、使い残したディルハムをユーロに両替して、いざセウタへ。ここもメリリャと同様、町のある岬全体がスペインの領土なので、町の手前に国境がある。
相変わらず国境には出国カードを売りつけようとする男がいた。もう代書屋の手を借りることもなく出国カードを記入し、パスポートコントロールへ。しかし、何を怪しんでいるのかずいぶんと待たされた末に別の窓口に回された。ここにサインを書けと言うので、言われた通りに書いたが、漢字のサインなので、どうやらパスポートのサインと照合しかねているようなのだ。俺が崩して書いたのも悪かったかもしれない。照合するためにサインさせたとは思わなかったのだ。
しまいに下手な字で日本語が書かれた紙を出してきて、これを英語に訳せという。紙には「おはようございます」。グッドモーニングと答えたらようやく出国スタンプを押してくれた。
スペイン側は、もちろんそんな手間を取ることもなく、一通りのパスポートのチェックで入国させてくれた。

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民族衣装のイスラム系住民の姿も見かけるセウタ。ここはもうスペインだから大丈夫と思ったが、フェリーの切符を買うためにフェリーターミナルにバイクを停めたら、浅黒い爺さんが「バイクはこっちに停めるといいよ。切符はこっちだからね!」
やれやれ、まだこの手合いがいたか。
「どこ行くんだ、こっちだぞ」とターミナルの中の旅行代理店に誘導しようとするのを無視して、フェリー会社の窓口に直行する。同じ建物の中にフェリー会社があるのに、手数料を上乗せされた額であんたから買うわけないだろう。
爺さんがうるさいのでフェリーターミナルで出航を待つこともできず、とっとと乗船ゲートに移動しようとしたら、爺さんはバイクのところまで着いてきて、今度は「ディルハムないか、ユーロに替えるよ」
もうモロッコの銀行で両替済みだし、持っていたとしても怪しい爺さんに両替を頼む気はない。ノー!と言ったら、「バイクで転んでしまえ」だってさ。はいはい。

ここセウタはアフリカとヨーロッパがもっとも接近している場所。ここが地中海の出口ジブラルタル海峡である。

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さよならアフリカ。アフリカの水を飲んだ者はアフリカに再び帰ってくると言うらしいが、いつか戻ってくることがあるだろうか。

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対岸ヨーロッパでひときわ目立つのがジブラルタルの大岩。あの大岩のあたりは、実はスペインではなくイギリス領なのだ。
フェリーはジブラルタルの西のスペイン本土アルヘシラスに40分で到着した。
少し走って、海沿いのシーズンオフの宿に泊まった。

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アフリカ大陸にひとつだけ見える小さな明かり。ここタリファが、スペインで一番アフリカ大陸に近い場所なのだ。

本日の走行距離 108キロ(地図より推定)
朝になると、廊下の窓から海が見えた。大西洋を見るのは初めてじゃないかな。

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昨日モロッコの南部を目指そうかとも思ったが、モロッコの中央を東西に走るアトラス山脈の峠は新雪が路肩に溶け残っている寒さなので断念。そして、自分の気持ちがずいぶんと帰国に向いていることをここモロッコで実感した。中央アジアはここに比べるとまだまだずっとのどかなものだが、やはり最初に中央アジアに入ったときは、何じゃこりゃ状態だった。しかし、そのときはそのカルチャーショックを楽しむ余裕があった。今は楽しむよりも疲労感の方が強い気がする。
モロッコに長居するのはやめて、スペインに戻ろう。
そんなわけで、スペイン本土へのもうひとつの港であるセウタに向かって北上することにしたのだが、今日はその手前のシェフシャウエンを目指すことにした。ここのメディナは美しく、客引きも少ないというのだ。

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シェフシャウエン自体、さほど大きな町ではない。背後に岩の塊のような山が立ち、その斜面に家が密集している。町に近づく国道から遠望できる白と青の町の景観は、ハッとする美しさだ。

ここのメディナの建物は、ほとんどが白と青で塗られている。こんなメディナは他にはない。

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メディナの中は青の世界。なぜここまで青にこだわるのか、外壁だけでなく家の中の壁まですべて青で塗られている。扉の開いた家をのぞきこむと、まるで海の中をのぞいているようだ。
壁の塗り方はわりと適当で、手の届く範囲を塗るという感じ。おばちゃんが外壁に青ペンキを塗り直している現場も目撃したが、ハケはよく見たら洗車ブラシだった。

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手の甲に伝統模様を描くのに使う色とりどりの顔料の店。

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たしかに客引きはあまり見かけない。しかし、「オー、マイフレンド!」などと話しかけてくるハシシ(大麻樹脂)売りは何人か見かけた。やれやれ。

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スパイスのきいたモロッコスープ。50円で飲める。

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タジン鍋の料理。タジン鍋自体も小さいものから数人用までいたるところで売られている。

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モロッコの茶といえばこれ。たっぷりと砂糖を入れて甘く甘くした緑茶をペパーミントに注いで作るミントティー。この味にハマって毎食飲んでいた。
あと、ゼラチンで固めた牛乳プリンみたいなものをメディナの道端で売っている。これも甘くてなかなかいける。でもフェスのとろとろ柔らかい牛乳プリンの方がおいしかったな。

「コニチワ」と声をかけてくる男たちが多いが、ここでは半分ぐらいの人は純粋に外国人への好奇心で声をかけているような印象だ。もう少しモロッコに滞在すれば、その辺の見分けもつくようになる気もする。

フェスよりはずっと散策しやすい町だった。こういう入門編からモロッコに慣れていかないといけなかったのかな。

本日の走行距離 270キロ(地図より推定)
モロッコはフランスの保護領だったためか、意外にもパンがおいしい。中央アジアのナンに似た丸い大きいパンも安くてまあまあだが、食堂ではたいていフランスパンが出てきて、ほぼ例外なくおいしいし、町で買うクロワッサンなんかもおいしい。しかもユーロ圏に比べたらはるかに安いし。クロワッサン2個で50円とか。

さて、モロッコの多くの町には、城壁に囲まれたメディナと呼ばれる旧市街がある。建てこんだ家並みと曲がりくねった細道が特徴で、今も多くの人々が密集して住んでいる生活の場なので、忙しく行き交う人々と店の呼びこみの喧騒に満たされた場所である。
フェスのメディナにはそれこそ何万人という人々が住んでおり、その城壁の中は世界最大の迷路だと言われる。ここで迷い歩くのが観光の目玉だというのだ。

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この門の中が、世界最大の迷路。いざ出発!
ちなみにこの辺りには「自称ガイド」がうろついていて、自分を雇えとうるさく話しかけてくる。彼らは言葉たくみに絨毯屋に誘導して高い買い物をさせたりするので、決して相手にしないようにとホテルに貼り紙がしてあった。ホテルでは垢じみたジャンパーを着た男が、俺をその貼り紙の前に引っ張って行って、こういう輩がいるから気をつけろ、自分は公認ガイドだから(首から下げた札を見せる)大丈夫だ、で明日何時に来たらいい?という調子なので、本当に気が抜けない。
俺は最初からガイドを雇う気がさらさらないので、自称ガイドに引っかかることもないのだが、観光客がよく使うメインの門から出入りしなかったためか、自称ガイドはひとりしか見かけなかった。

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門を入ると、そこは別世界。日も差しこまないほど密集した土色の家の間を人と人がすれ違うのもやっとぐらいの路地が縦横無尽に走る。自分の現在位置を把握することもできないほど入り組んでいるので、地図も役に立たない。
とりあえず人の流れについて太い坂道を歩き、そこから恐る恐る細道に入ってみた。2、3回角を曲がると、もう自分の現在位置を見失っていた。
ときどき美しい装飾に飾られたモスクが見えたりするのだが、ほとんどの家は特徴がないので、目印にすることもできない。そして迷子になるのが楽しいとはいうのだが、とにかく呼びこみがしつこくて、おちおち写真も撮れない。カメラを取り出すと、すぐに人が寄って来て、「この路地の先にいい撮影ポイントがある」と案内しようとする。どこで見分けるのか、ちゃんと日本人と分かっているらしく、店先からは「コニチワ、なめしがーわ」「コニチワ、フォト、グッドポイント」などと次々に呼びこまれる。ほっといてほしいのに、片時もほっといてくれない。ここで話しかけてくる人は、例外なく何らかの形で俺から金を得ようとしていると考えてまず間違いないだろう。

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子供たちの集団が道のあちこちで遊んでいるのだが、無邪気なように見えて、自分がカメラに入ったと気づくや否や「マネー、マネー」と大声で叫び出すから、油断できない。
あと、荷物運びに馬やロバが使われ、犬も猫も野良状態なので、道がものすごく汚い。そんなこんなで、1時間半ほど歩き回るとすっかり疲れてしまった。
数あるメディナの中で、ここは道のつくりも人々の呼びこみも上級編だったようだ。モロッコ初心者がいきなり迷いこむにはハードルが高すぎたかも。

モロッコのイメージについて公正を期すためにつけ加えておくと、モロッコの大半の人々は善良な一般人だと思う。モロッコに来て最初のうちは、物価が分からず通貨の換算にも慣れていないので、「5」と言われると反射的に50ディルハム出してしまったことが2回あった。多分50取られても気づかなかったと思うが、どちらの場合も5ディルハムだけ取って残りはちゃんと返してくれた。
ただ、外国人に積極的にアプローチしてくるモロッコ人はほとんどが金目当てということになるので、観光客としては、モロッコのイメージはそのような人々で占められてしまうことになる。

ともあれ、フェスをあとにし、海岸沿いの首都ラバトへ移動する。ラバトを観光する予定はないので、近郊の海岸沿いの村にあったホテルで泊まった。パノラマホテルなんて名前がついてるくせに、俺の部屋のテラスの真ん前には太い木が立っていて、ぜんぜんパノラマではないのだった。

本日の走行距離 306キロ(地図より推定)
朝7時にフェリーはメリリャ港に入港した。現実のアフリカ大陸は、見るのも初めてだ。

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メリリャは、アフリカ大陸のモロッコ沿岸にいくつか存在するスペイン領の飛び地のひとつ。だから、このフェリーは国内線であり、上陸した場所もまだスペインである。
とはいえ、これらのスペイン領はモロッコとの間で緊張関係を生み出しているので、メリリャの港は警察官だらけで、国境並みにピリピリしている。港湾内では船の写真を撮らせてくれないばかりか、港湾内で停車するだけで怒られる。

メリリャの住民はスペイン人とイスラム系が半々くらいらしい。町はガウディの弟子が設計したので、100年前の流行だった植物のデザインの漆喰の飾りが目立ち、ちょっと時間が止まっているような雰囲気。

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海沿いには城砦の跡もある。

メリリャの町のはずれにもう国境がある。スペイン側を出国し、モロッコ側のゲートをくぐったとたん、噂どおり入国カードの束を手にして大声で何か叫びながら車を止めようとする男がいた。本来は窓口でただでくれる紙を、売りつけようとしているのである。油断ならない国に入ったという感覚を改めて感じる。
窓口に行くとさっそく代書屋の男が寄ってくる。入国カードを書いてやるからパスポートをよこせとうるさく言う男から、半ば無理やりカードを取り上げて、どうにか入国カードは自分で書いた。しかし、バイクの通関の書類が書けない。項目名がアラビア語とフランス語だけで書いてあり、英語が書かれていないのだ。バイクのプレートナンバーや、車体番号や、メーカーなど、書くべきことはほかの国とさほど変わらないはずなのだが、どこの欄にどれを書くのかが分からない。半分埋めたところでギブアップ。残りは仕方なく代書屋に任せた。
入国審査の窓口でも、どこに行くのか、宿はどこか、パスポートはどこの町が発行したのか(日本の場合は国の一括発行だからナンセンスな質問だが、京都と答えておいた)、など細かい質問をされて時間がかかった。
全て終わると、代書屋が予想通りチップを要求。2ユーロ渡すと「5ユーロはくれなきゃ」と言うから、俺は貧しいんだ、と言って1ユーロだけ追加すると、ケロリとした顔で納得して去って行った。やれやれ。

国境を越えると、そこは乾いた大地に砂色の四角い建物が点在する風景だった。少し走って振り返ると、白い建物の密集したメリリャの町がまるで蜃気楼のように見えた。

モロッコの道路地図がないので、どこかで手に入れるまでは道路の行先表示に従って走るしかないが、町の位置や距離が分からないので、なんだか目隠しされて走っているような気分だ。両替のために銀行で止まったところ、襟元に入りこんでいたハチに首筋を刺された。いてっ!何だかもう色んなことが次々いっぺんに起こるので、処理能力の容量を超えてしまいそうだ。

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この乾いた風景、久しぶりに見たな。
人々がわらわらと歩き回っている村をいくつか通る。女性はスカーフをかぶり、長袖のついた長いワンピースみたいなジュラバを着ている人がほとんど。意外にジュラバの色は派手で、蛍光色かと思うようなピンクや紫や青の人も多い。男性の服はいろいろで、三角のフードのついた外套のような民族服の人もいれば、中央アジアのようにくたくたの開襟シャツと背広が普段着の人もいるし、トレーナーやジーンズの人もいる。

夕方にフェスに到着した。ここは100万人規模の大都市で、市内は車があふれかえり、クラクションの嵐。信号が青になった途端、早く進めと後ろの車がブーである。中央アジアもそうだが、どんなに堪え性がないねん。
大きい町だからか、道ゆく若い女性の10人に2、3人は洋装でスカーフもかぶっていない。宿は150ディルハム(1500円)、夕飯は40ディルハム(400円)だった。パンも出てきたし、サラダやスープも頼んで、メニュー表の合計金額はもっと高いはずなので、それでいいのかと確認したが、40だと言うのだ。その後のモロッコでの食事でも、前菜がいろいろ出てきたのに全部サービスだったり、逆にやけに高いと感じたり、一貫しない。計算方法がよく分からない。
食堂の店員さんが近くの本屋を教えてくれて、道路地図を買うことができた。宿の部屋に戻って、ベッドに地図を広げて作戦を練った。

本日の走行距離 365キロ(地図より推定)