高飛車子です
今日読んだ伊集院静さんの
「大人の流儀」
おもしろかったです
ちょっとご紹介します
以下講談社 伊集院静 「大人が人を叱るときの心得」より
まもなくどこの職場でも新しい人を迎える
新入社員、新人さん、新前さん、お弟子さん、小僧さん、新任教師、見習いさん・・・
呼び方は違っても
ほとんどの人が社会を初めて経験することになる
彼らを見て、自分たちの何年か前、遠い春を思い出す人は多いだろう
彼等が職場の未来を担っているのは事実だ
その成長を期待し見守ってやるのは、経営者、親方、先輩・・・
すべての人の気持ちだろう
新しい人は新しい人で希望に胸を膨らませていることだろう
だが彼等はまだ何も知らないし、何もできない
何も知らないということを知らないし
何もできないということも知らないのである
そうなのだが主張はしてくる
(主張をしないようでは困るが・・・)
生意気なのもいる
「なんてことを言いやがる
私の新人時代はそこまでは言わなかったぞ」
ということもあろう
その時ガツンというべきか
パワーハラスメントなる言葉があったりして
言い方にも注意が必要だという
あまりガミガミ言って嫌われるのもな~
イジメと思われてもな~
このごろはさまざまな理由で
職場の中で怒る人が少なくなっている
それは断じて違う
怒りなさい
叱りなさい
どやしつけなさい
言い方に気を配ることなどさらさら必要ありません
あなたの言葉でダメなものはダメと言いなさい
「なにやってるんだ」
「仕事をなんだと思ってるんだ」
「そんなこともできんのか」
社会というものは学校とも、サークルとも、家庭とも・・・
まるで違う場所であることを教えなさい
それで新人が
「そんな言い方は・・・」
「そんな理不尽な・・・」
と思うならそれで結構だと私は考える
私は人が社会を知り、学ぶ上でのいつくかの条件の一つは
「理不尽がまかりとおるのが世の中だ」
ということを、早いうちに体に叩き込むことだと思っている
煙たがられたり、嫌われることを怖れてはいけない
言うべきことをあなたの言葉で言いなさい
それが新人には必要なことだ
どやしつけてくれた経営者が、親方が、先輩が
いかに正しいことをしてくれたかは後年になってわかるものだ
なぜ叱ることが必要なのか
それは今の新しい人の大半が
本気で叱られた経験を持たないからである
なぜ叱ると身につくのか
叱られた時は誰も辛いからである
辛いものは心身にこたえるし、よく効くのだ
今からでも遅くないからおかしいと思ったら
あなたの言葉で注意すべきだ
若い女の子に「KY」という言い方があって
空気を読めない人の事だと説明された
「馬鹿言ってるな。なぜいい年をして、
女、子供の吸っている空気を読まにゃならんのだ」
人が人を叱るのに空気を読む必要などさらさらない
この本の最後には
「愛する人との別れ・・・」
夏目雅子との出会い、恋に落ちて結婚するまで
そして、愛する妻を襲った病魔・・・
いままで知らなかった事が
一番身近にいた伊集院静によって明らかにされました
伊集院静という男性は
本当に夏目雅子を愛していたのだと思いました
そう思いましたが
ではなぜ、すぐに篠ひろこと結婚してしまったの?
当時私はそれが理解できなかった
でも、年を重ねると
なんとなくわかるような気がします
男ってどんなに強がりを言う人でも
やっぱり一人では生きていけない人が多いのかもしれない
今日も病院で見たのですが
ほとんどの男性が奥様が付き添っている
その逆の姿を見ない
男性は女性がそばにいないと
いたって怖がりなのかもしれない
女性と男性の違い
いざとなったら強いのが女性
なのかもしれない
独り言でした。。。