突然ですが筆者の好きなロングシュートでのゴールを集めました。

あれも!これも!と詰め込んだ結果、シーズンはバラバラで20ゴールあるので①と②に分けて紹介。

久しぶりに見るゴールがあれば懐かしみ、初めて見るゴールがあればどんな選手がいたのかを覚えるきっかけにしてもらえたらと思います。







シャビ・アロンソ


2006年1月7日
FAカップ3回戦
ルートン・タウン 3-5 リバプール

90+4分、同点ゴールを目指して高い位置に上がっていた相手GKをかわして決めた。

ゴールに転がるボールと、ボールがゴールに近づくにつれて喜びが増していくサポーターがポイント。


遠藤航


2023年12月3日
プレミアリーグ第14節
リバプール 4-3 フラム

80分時点で2-3とリードされていたが、83分から途中出場すると4分後の87分に最高の結果を残した。

このゴールでアンフィールドが息を吹き返し、88分にはTAAの勝ち越しゴールが生まれた。


ドミニク・ソボスライ


2023年9月28日
カラバオカップ3回戦
リバプール 3-1 レスター・シティ

1-1の65分から途中出場すると、70分に遠藤航のアシストから目が覚めるような強烈ミドルで勝ち越し。

シュートはもちろん、ポジションやセレブレーションからジェラードを連想した方も多いはず。


ヨン・アルネ・リーセ


2006年9月23日
プレミアリーグ第6節
リバプール 3-0 トッテナム

開幕から不調且つこの試合も敗色濃厚なスパーズは完全に足が止まり、ほぼフリーな状態から89分にトドメを刺した。

この他にも強烈なミドルやフリーキックは多々あれど、ロビンソンがなす術なく項垂れる様子も印象的。


カーティス・ジョーンズ


2020年1月6日
FAカップ3回戦
リバプール 1-0 エバートン

マージーサイドダービー、角度、コース、決勝点、何よりクロスバーに当たって落ちながら入るのが個人的に大好き。

18歳340日は、マージーサイドダービーでゴールを挙げたリバプールの選手としては18歳338日のファウラーに次ぐ2番目の若さ。






スティーヴン・ジェラード


2008年2月20日
チャンピオンズリーグ・ラウンド16 1st leg
リバプール 2-0 インテル

ジェラードと言えば力強く飛んでいくミドルシュートを思い浮かべるが、力強さは変わらずにコースを狙うことも可能。

スタンコヴィッチ、カンビアッソ、キヴ、ジュリオ・セーザルといった錚々たる面々が手を出せないシュートに拍手。


ラウール・メイレレス


2011年1月23日
プレミアリーグ第24節
ウルヴス 0-3 リバプール

実質1シーズンしか在籍しなかったものの、このゴールもあってか強く記憶に残っている選手の1人。

1991年2月以来、約20年を経てリバプールの監督に復帰したダルグリッシュに久々の勝利を届けたゴールでもある。


ジョーダン・ヘンダーソン


2016年9月16日
プレミアリーグ第5節
チェルシー 1-2 リバプール

右足インサイドのトラップで完璧な場所に落とし、インフロントキックでクルトワですら届かない位置はというオシャレなゴール。

動画には映っていないものの、グルイッチのリアクションまでがこのゴールの一部。




ジャーメイン・ペナント


2007年1月20日
プレミアリーグ第24節
リバプール 2-0 チェルシー

1-0で迎えた18分に決めたこのゴールは、プレミアリーグでの対チェルシー戦の連敗を5で止めた貴重な追加点。

胸トラップ、ボレー、クロスバーに当たって入る、個人的に大好きな要素の詰め合わせセット。


アレックス・オックスレイド=チェンバレン


2018年4月4日
チャンピオンズリーグ準々決勝 1st leg
リバプール 3-0 マンチェスター・シティ

チャンピオンズリーグでの初対戦は、枠内シュートゼロに抑え込み、前半のうちに3点を奪って試合を終わらせた。

エデルソンも反応しきれないほどの、まさにロケット。



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画像:Liverpool FC


経営に失敗し、多額の負債を背負い、売却交渉でも駄々を捏ねた、リバプールの歴代オーナー人の中でも悪名高きヒックス&ジレット。

2010年10月15日、当時はNESV/ニュー・イングランド・スポーツ・ベンチャーズという名称だったFSGが両者から約3億ポンドで買収。

買収から15年、即ちオーナーとなってから15年の節目に、創設者であるジョン・W・ヘンリー、社長を務めるマイク・ゴードン、リバプールの会長を務めるトム・ワーナーというFSG上層部の3名がクラブ公式ウェブサイトにて声明を発表。 







リバプールと関わりを持ったその時から、我々は何か特別なものに参加したのだと分かっていたし、信じられない程の由緒があるクラブを、かつて築き上げた水準にまで戻すことができたらと願っていた。

だが、それからの15年がどのように展開するのか、正確には想像できなかった。

当初から、第一の目的はシンプルなものだった。

「アンフィールドに成功を取り戻し、この素晴らしいクラブの長期的な健全性と安定性を確保すること。」

我々は管理者としての責任を理解し、日々その責任を果たそうとしてきた。

課題の大きさも認識していたが、皆んなが同じ方向を向けば成し遂げられる可能性も理解していた。

今、振り返ると、単に大変な旅路だっただけでなく、オーナーとしてその一員となる特別な名誉を与えられた信じられないような冒険でもあった。

ユルゲン・クロップとアルネ・スロットの下でプレミアリーグタイトルを2つ、そしてチャンピオンズリーグ優勝も確かな功績だ。

今年はじめ、遂にファンの前でトロフィーを掲げることができた日、アンフィールドに居たことは決して忘れないだろう。

生涯忘れられない思い出となる。

たが、同じくらい重要な瞬間は他にもあった。

2012年、サー・ケニー・ダルグリッシュが我々に初のトロフィーをもたらした。

2019年には世界王者となり、2012年にはカップダブル、2024年にはリーグカップ。

2013年と2014年にはマット・ベアードの下でウィメンズ・スーパーリーグを連覇した。

そのどれもが、信念、一体感、心、そして情熱という、このクラブを象徴するものを物語っていた。

もちろん、難しい瞬間もあった。

決勝で敗れ、極僅かな差でタイトルを逃したことも。

フィールドの外では、我々が間違いを犯した(スーパーリーグ構想)こともあった。

我々はそれを理解して学んできたし、我々のの決断は全てクラブの長期的な利益を第一に考えて下される。

我々は、クラブが凡ゆる面で成長を遂げたことを誇りに思っている。

男子チームは世界トップクラスの環境でトレーニングを行い、女子チームは我々の未来と歴史を結んでいるメルウッドを再びホームと呼ぶことができた。

そして、メインスタンドから新しいアンフィールド・ロード・スタンドまで、アンフィールドそのものは特別な魅力を失うことなく、変貌を遂げてきた。

この場を借りて、グラウンド内外でのリバプールのリーダーシップを称えたい。

彼らの導き、コミットメント、献身は、我々が一丸となって成し遂げてきた全てのことの中心となってきた。

リバプール・フットボール・クラブは多くの人々にとって大きな意味を持っており、それは我々が常々意識してきたことだ。

このクラブは街を作り上げているし、それを超えるものでもあり、世代や地域を本当に特別な形で繋ぐもの。

その物語の一端を担えることは特別なことであり、決して当然のこととは思わない責任感をもたらす。

今日は感謝の気持ちを持って振り返る日だが、同時に我々の仕事は終わっていないということを思い起こさせる日でもある。

成し遂げるべきもの、勝ち取るべきもの、共に作るべき思い出が、我々の前にはたくさんある。

そして、FSGを代表して、サポーターの皆さんに感謝を伝えたい。

我々を受け入れてくれて、良い時も悪い時もチームを信じてくれて、我々に足りないものがあれば教えてくれて、そしてリバプール・フットボール・クラブの一員であることの本当の意味を世界に示してくれて、ありがとう。

You'll Never Walk Alone.

ジョン、トム、マイクより。


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フランスメディアのインタビューに応じたイブラヒマ・コナテは、自身の身近な人々がキャリアの60%を占めると考えている様子。

特に5人の兄、ディアウォイェ、シリマ、マンビー、シク、モリバの影響が強く、今の自分があるのは彼らのお陰であるとコメント。

兄への敬意を示す気持ちが、自信を謙虚で地に足がついた人物に成長させてくれたとも。 







『現代のフットボール界では、キャリアの60%が周囲の人々によって作り上げられると考えている。私の場合、ディアウォイェ、シリマ、マンビー、シク、モリバという5人の兄のことだ。』

『今の選手になれたのは、彼ら一人ひとりのお陰だ。20年前のパリ・ユニヴェルスィテ・クラブからリバプールに至るまで、根源的な助けとなってきた。』

『こういった世界ではすぐに頭でっかちになってしまうから、地に足をつけていることが助けになる。簡単なことで、私は兄たちを尊敬しているから謙虚でいなければならなかった。どこにいても、いつでも、どれだけ離れていても。事実、いつも一緒にいるようなんだ。』

『ちょっとした話があるんだけど、2017年に18歳でライプツィヒに加入して、自分で生計を立て始めた。だけど、兄たちの目が怖くて快楽主義的な個人趣味にお金を費やすことはなかった。』

『新たな車、新たな服、新たな靴もない。兄たちから変わってしまったと言われるのが怖かったんだ。兄の1人から「だけどイブー、楽しまなきゃダメだ!」と言われるまでそんな感じだったんだ。正直に言って、ちょっとやり過ぎたね、特に服は。』

『フットボーラーがどれ程までに家族を必要としているかは分からないだろう。私たちの周りには、多かれ少なかれ善意を持った人たちがいる。』

『そういった人々の95%は、私が(フットボーラーの)コナテだから来るのであって、(人としての)イブラヒマだからではない。私の名前を使いたがっているのであって、私のことは気に掛けていない。誰かが接近してくるとすぐに、兄たちがフィルタリングしてくれる。』



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