1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受け、そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営しました。
1646年には正式に東照宮の宮号を授けられ,1651年に三代将軍・徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿との事。
だた社殿は現在改装中で、こんな感じの幕が張ってありました。


この「銅灯籠」が見事です。
両側6基は徳川御三家(紀伊・水戸・尾張)より寄進されたもので、家康公の13回忌に藤堂高虎が奉納した1基が最も古く、形も南円堂形と特徴のあるもの。




