監督:是枝裕和
キャスト
福山雅治(重盛)
役所広司(三隅)
広瀬すず(山中咲江)
満島真之介(川島輝)
市川実日子(篠原一葵)
松岡依都美(服部亜紀子)
斉藤由貴(山中美津江)
**************************************
「そして父になる」の是枝裕和監督と福山雅治が再タッグを組み,是枝監督のオリジナル脚本で描いた法廷心理ドラマ。勝つことにこだわる弁護士・重盛は,殺人の前科がある男・三隅の弁護を仕方なく担当することに。解雇された工場の社長を殺害して死体に火をつけた容疑で起訴されている三隅は犯行を自供しており,このままだと死刑は免れない。しかし三隅の動機はいまいち釈然とせず,重盛は面会を重ねるたびに,本当に彼が殺したのか確信が持てなくなっていく。是枝監督作には初参加となる役所広司が殺人犯・三隅役で福山と初共演を果たし,「海街diary」の広瀬すずが物語の鍵を握る被害者の娘役を演じる。第41回日本アカデミー賞で作品賞,監督賞,脚本,助演男優,助演女優,編集の6部門で最優秀賞を受賞した。(「映画.com」より)
**************************************
是枝裕和監督の『三度目の殺人』を観た。この映画は劇場公開時に観たことがあるので再鑑賞になるが,やはり衝撃的な作品である。是枝作品の特徴はとても微妙な部分に突き進んでいって,それを視覚化する点にあるというのが私の印象なのだが,この作品もまさにそうである。映画のポイントになる点をいくつかにわたって見ていくことにする。
(ネタバレ注意)
●真犯人は誰か?
映画の冒頭,真っ暗の河原で一人の男が後ろからスパナで殴打され死亡する。さらにその男の死体はガソリンをかけられ火を付けられる。逮捕され拘置所に勾留されているのは殺人の前科のある三隅だ。弁護を引き受けた重盛はなんとか死刑を回避したいと思っているが,面会を重ねるたびに三隅の話はころころ変わるのである。金銭目的で殺した,被害者の妻である美津江の依頼による保険金目的の犯行だ,そしてついには自分は殺していないと言い出すのだ。
被害者の男は小さな食品加工会社の社長で,三隅はそこの従業員だったのだが犯行があった少し前に彼は解雇されているのである。さらに,被害者の男には足に障害のある高校生の一人娘の咲江がいて,映画の展開とともに咲江は14歳の頃から実の父親による性被害を受け続けており,そんな咲江に寄り添っていたのが三隅であることがわかってくる。では,咲江が真犯人なのか,三隅が咲江の代わりに殺したのか,それとも二人の共犯なのか…?じつはその点は映画が終わっても藪の中なのだ。つまり,この映画は真犯人を捜すいわゆるサスペンス映画ではないのである。
●人は「器」として生まれてくるのか?
この映画には三隅のことを「器」と形容するシーンがある。中身はカラっぽでいかなるものも入りうるということだろう。三隅だけではない。人は「器」として生まれてきて成長する過程のなかでその「器」に何を入れるのかということだろう。対極は「生まれてこなければよかった人間が存在する」という考えだ。三隅は殺された社長のことをそのように言う。いや,社長だけでなく,自分もそうだ,と。映画はこの問いに対してどのように答えているのだろうか。
●誰が誰を裁くのか?
「誰を裁くかは誰が決めるのですか?」映画の終盤,咲江が重盛に言った言葉だ。そう,この映画が問いかけているのは「裁き」だ。三隅は死刑判決を受ける。ひょとしたら彼は冤罪なのかもしれない。しかし,問題はそこにはない。
この映画には十字形が時折映し出される。ガソリンをかけられて焼かれた咲江の父親の焼け跡は十字形だった。三隅が飼っていた小鳥の墓を重盛が掘り起こすと小石が十字形に並べられていた。重盛が電車の中で居眠りをして見る夢の中に出てくるシーン。重盛,三隅,咲江の三人が積もった雪の上で寝転がるが,重盛は足を広げているのに対し,三隅と咲江は手を左右に伸ばし両足を閉じて十字の形になっている。言うまでもなく,これは処刑されたキリストの十字架を象徴している。三隅と咲江は十字架にかけられる人間なのだろうか。
重盛が小鳥の墓の十字形について三隅に問うシーンがある。
重盛「あれはどういう意味があるんですか。裁こうとしたんじゃないんですか,罪
を?」
三隅「裁くのは私じゃない。私はいつも裁かれるほうだから。」
法は罪を犯した人間を裁く。三隅は死刑判決を受けた。いずれ国家によって裁かれるだろう。しかし,ひょっとしたら,それは生まれてこなければよかった人間として三隅が自分自身を裁くことなのかもしれない。三度目の殺人だ。
法が裁かなくても本当に裁かれるべき人間は存在する。では,誰がその人間を裁くのか?三隅は本当に裁かれるべき人間なのか?咲江の父は裁かれたのか?映画は問いかけるが答えがないまま終わり,問いだけが残る。
是枝監督の映画はたいてい答えを用意してはくれない。いや,答えなど出ない問いを発するのだ。カタルシス?それを期待するなら是枝作品は観ないほうがよい。監督が発しているメッセージはただ一つだ。「自分で考えろ」。



