2倍人生を楽しむコツ
昨夜は鹿児島の家に0時すぎに帰り着きました。
家に入ると綺麗に片付いている!
私が留守中はどうなっていたかわかりませんが、
帰宅してすぐの私に、負担を掛けないように片付けてくれていました。
私は自分の荷物を整理するのみで、助かりました。
おかげで朝からのプラクティスもスムーズ臨めました!

その後、いつものルーティーンで「瞑想ロード」と勝ってに呼んでいる道を通って買い物に出掛けました。
ワイパーの規則的なリズムが心地いい~。
ドライブ中考えていたこと。
留守中、
「おうちのことは?」
「お母様もしくはお義母様がいらしているの?」
と様々な方から聞かれました。
私の留守中は夫と子どもたちのみ。誰も手伝いに来ません。
むしろ来ていただいたら、行きにくいです^^;
ですが、家のことは全く心配がないくらい機能している。洗濯も食事も自分たちでできる。
この方法はちょっとしたコツがあります。
幼稚園からの教育が重要なのです。
あとは、学校のことは子どもが毎日連絡してくれる。むしろ、お土産を期待しているから、たまにいない方が喜ばれる。
部活や子どもたちの習い事は父兄や先生方と連携がとれている。
なにかあればLINEで報告を受け、連絡をすれば済む。
大切なのは普段からの家族とのコミュニケーション、地域や学校、先生方との連携!
自分がいなければ、という場面は減っていて、ありがたいことに毎日楽しく過ごさせていただいています。
ので、ご心配なく◡̈⃝︎⋆︎*
家に入ると綺麗に片付いている!
私が留守中はどうなっていたかわかりませんが、
帰宅してすぐの私に、負担を掛けないように片付けてくれていました。
私は自分の荷物を整理するのみで、助かりました。
おかげで朝からのプラクティスもスムーズ臨めました!

その後、いつものルーティーンで「瞑想ロード」と勝ってに呼んでいる道を通って買い物に出掛けました。
ワイパーの規則的なリズムが心地いい~。
ドライブ中考えていたこと。
留守中、
「おうちのことは?」
「お母様もしくはお義母様がいらしているの?」
と様々な方から聞かれました。
私の留守中は夫と子どもたちのみ。誰も手伝いに来ません。
むしろ来ていただいたら、行きにくいです^^;
ですが、家のことは全く心配がないくらい機能している。洗濯も食事も自分たちでできる。
この方法はちょっとしたコツがあります。
幼稚園からの教育が重要なのです。
あとは、学校のことは子どもが毎日連絡してくれる。むしろ、お土産を期待しているから、たまにいない方が喜ばれる。
部活や子どもたちの習い事は父兄や先生方と連携がとれている。
なにかあればLINEで報告を受け、連絡をすれば済む。
大切なのは普段からの家族とのコミュニケーション、地域や学校、先生方との連携!
自分がいなければ、という場面は減っていて、ありがたいことに毎日楽しく過ごさせていただいています。
ので、ご心配なく◡̈⃝︎⋆︎*
林芙美子の小説
文化講座、林芙美子の小説。
講師は鹿児島大学名誉教授、文学博士の石田忠彦氏。
題材は「小説の虚と実」について。
日本の顕著な例として、書かれた小説が本人と同一扱いされ、私小説として捉えられてしまう問題を話され、その例として太宰治を挙げていました。
しかし林芙美子に於いては小説の時代背景を紐解くと矛盾点が多く、何らかの事実の素材がリアリティある虚構を生み、現実味を帯びた物語で人々を惹きつけたのでした。その点を「虚と実」として講座は繰り広げられました。
芙美子は昭和初期、歌日記と題した大学ノートに短編を書き連ね、作品ひとつ、ひとつを雑誌に投稿していました。それを一冊の小説に合冊されたのが代表作の放浪記です。短編の選りすぐりなので時系列がバラバラなだけに、辻褄が合わなくなるのも合点がいきます。
放浪記の走りとなった歌日記が、今日まで大事に保管されているのは、夫であった緑敏(りょくびん、と呼ばれていたが「まさはる」と読む)の功績だと石田氏。
芙美子の死後作品を受け継いだ緑敏は、二人に子どもがいなかっため、彼の死後に作品が路頭に迷わぬよう歳の差がある芙美子の姪と結婚し、作品を託しました。
その姪御さんと会われたことのある石田氏から貴重な逸話が。
芙美子は緑敏と婚姻中も数多く男性と浮き名を流していましたが、芙美子が旅先で緑敏に宛てたキスマークつきの手紙を手にし、
「俺のことが一番好きなんだな」
と姪御さんに洩らしたそうです。
その旅は男性を追いかけて行ったにも関わらず…。
虚栄心の強い男性が多い時代、緑敏の内助の功は、どのように映っていたのでしょうか。画家であった緑敏は、作品を愛(め)でる才に丈け、芙美子の才能を後世に残したい一心だったのかもしれません。結婚をしたのが昭和2年。ベストセラーとなった放浪記は昭和5年であるからにして、先見の明を芙美子に感じていたのでしょう。
芙美子の人となりは、未亡人になった女性を引き取り自宅の屋敷内に住まわせたり、客人に料理を振る舞うのが好きだったりと、作品に登場する女性とは似ても似つかない義理堅く、気風の良い女性であったようです。
道徳観からは男性を追いかけて海外に赴いていた事実はふしだらな印象を受けますが、戦前、戦後の女性が弱かった時代、男性に翻弄されるのではなく、持ちつ持たれつ逞しく生きる強さがありました。芙美子は天真爛漫で人から愛される何かを持ち合わせていたのでしょう。
講座は、
「どんな時代でも、何度でも読めることができる作品が良い作品である」と締めくくられました。
私が好きな作品は「骨」
骨の髄まで愛せる人が芙美子にいたのでしょうか。
りょくびんさんは、わかっていたのでしょう。
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