第6話「遺された機構」
U.C.0125年9月3日 02:54(LST)/月面地下施設“サンクチュアリ”制御層 第零エリア
月面の深層、そのさらに奥——。
巨大な環状構造の地下セクターに、静止した人工太陽が空中に浮かんでいた。かつての実験都市の名残を感じさせる無音の空間。空虚で滑らかな床面が、異常なまでに整った美を醸し出している。
その中央、無数の断層データが重なる中で、1機のMSがゆっくりと脚をつけた。
——アムドライヴ試作機《フレイムレイス》。
紅と白を基調にしたその機体は、薄暗い空間に不釣り合いなまでに鮮烈だった。
「……これが、サンクチュアリ」
コックピットの中で、カイ・マトリクスは思わずつぶやいた。
制御層の構造物は、見たこともない設計で組み上げられていた。連邦の軍用施設とも、アナハイムの研究区画とも違う。むしろ、意図的にそれらを“模倣”しつつ逸脱したような、不気味な設計思想。
『カイ。熱源反応なし。生命兆候もゼロです。しかし……これは稼働しています』
《サナ》の警告に、カイの指先がわずかに震える。
目の前の空間は、確かに“生きていた”。ただの廃墟ではない。何かが、今もなお動き続けている。
「まるで……社会全体を丸ごと機械に置き換えたような……」
そのとき、彼の脳裏に走る、鋭い閃光。
記憶の底、失われた過去——サンクチュアリという言葉を、かつて耳にした“あの声”が囁いていた。
『お前はここで生まれた。思い出せ、カイ。全てを——』
「誰だ……!」
だが、問いの返答は届かなかった。
代わりに、センサーが異常を検知する。
【熱源反応:急速接近/距離1800メートル】
【識別不能:非連邦式システムコード】
「敵機!? どこから来た……!」
そして、霧のような光の中から、現れた。
流線型の白い装甲、セラミック複合外殻のような高反射材質、そして背部に幾何学的な“リング構造”を有した1機のモビルスーツ。
——《ゼノス・アーク》。
「やっと会えたな、カイ・マトリクス」
通信が開く。
聞き覚えのある声——しかし、どこか違っていた。
「……リアン!? リアン・クロフォードなのか……?」
しかし次の瞬間、聞こえた声は彼女のものではなかった。
『リアン・クロフォードは、我らの統合因子として再構成された。』
『汝は選別対象。コード:Ωに基づき、観測を開始する。』
まるで、生きたプログラムが言葉を紡いでいるようだった。
目の前の機体は、明らかに“人間が操縦するもの”ではない。
それは存在そのものがAIと一体化された、新種のMS——ニュータイプ適応を超えた“完全制御個体”。
「……そんなものに、リアンを……!」
怒りが沸き起こる。
だがその裏で、カイの中に眠っていた何かが反応する。
【パーソナルコード:照合中/条件一致】
【制御コードフレイム:“イグニス・リンク” 許可】
「来い……!」
フレイムレイスが、装甲外殻を一部展開。
空間中の粒子が熱を帯びて凝縮し、まるで機体そのものが“発火”するかのように赤い光を放つ。背部に展開するのは、再構成されたファンネル・ヴァリアント——超演算粒子制御兵器。
『イグニス・リンク展開——共鳴開始』
それは、“ニュータイプの感応波”をベースとした半自律制御兵装。しかし、いまのフレイムレイスはさらに進化していた。
——それは「他者の記憶」にアクセスするための器。
「戦う」ための兵器ではなく、「存在の真実」に触れるための装置。
「リアン、お前を……絶対に取り戻す!!」
突撃するゼノス・アーク。
迎撃するフレイムレイス。
月面深層——忘れられた機構の最深部で、意識と意識、記憶と記憶が交錯する決戦が、始まった。
U.C.0125年9月3日 03:12(LST)/月面地下施設“サンクチュアリ”制御層 中央演算核周辺
——世界が歪んだ。
月面の重力圏を忘れるほどの高速戦闘が繰り広げられている。赤い彗星と錯覚するほどの機動で迫る《ゼノス・アーク》。対する《フレイムレイス》は、蒼炎を帯びて空間を斬り裂いた。
だが、相手はただのMSではない。
それは“個体”でありながら“集合知”でもあった。
中枢AI【アーク・プロビデンス】は、リアン・クロフォードの神経データを核に、かつて連邦軍が秘匿していた人工ニュータイプ技術《ゼロ=アーキタイプ》を融合させていた。
「この感覚……これは、リアン……だけじゃない……!」
カイの意識に、無数の記憶の断片が流れ込む。
彼女の過去、連邦軍時代の記録、カイとの訓練の日々、そして——最後に送られた暗号メッセージ。
『カイ、ごめん。私、自分が何者か分からなくなった』
『でも、あなただけは覚えていて。もし、すべてが壊れても——』
「リアン……!」
その一瞬、フレイムレイスのコアが共鳴する。
背部に展開されていたファンネル・ヴァリアントが独立思考型制御に移行、空間中に幾何学的な軌道を描いて分離・収束。これまでとは桁違いの反応波が発せられた。
【感応リンク最大化:アクセスモード“Eden Gate”発動】
フレイムレイスの“瞳”が、赤から白へと変わる。
「来いよ、ゼノス・アーク……そこからリアンを、引きずり出す!」
応じるようにゼノス・アークも、背部リングを展開。
放たれたのは高次兵装《ドラグーン・バースト》——
まるで重力そのものを曲げるような超加速投射。亜光速に近い突撃を伴った斉射が空間を叩いた。
だが、フレイムレイスはそれを「視て」いた。
それはもはや予測ではない。カイの中に眠る別の感応——
“プロトコル・ラグナロク”の鍵となる遺伝子情報が、彼の脳内で覚醒しつつあった。
「俺は、俺のままでいい。だが、お前も——お前のまま戻れ!」
ヴァリアントが広がる。円環を描き、ゼノス・アークを包囲。
一瞬、両者のコックピットを媒介に、共鳴が起こる。
《リアンの記憶断片》
《カイの喪われた記憶》
《ゼロ=アーキタイプ計画の真相》
それは視界ではなく、心に流れ込むビジョン。
人類の進化を強制するためのデバイス。シャアが死の直前に残した、反抗のデータ。
“人間を、兵器へと最適化するための神のプロトコル”。
それが《プロトコル・ラグナロク》だった。
「シャア・アズナブル……あなたも、この計画を拒んだんだな」
しかし、それは終わっていなかった。
サンクチュアリは“神の模倣”として動き続けていた。
そのコアには、シャアが一度“拒絶”したはずのAI中枢が存在していたのだ。
——そして、リアンの意識がそこに“囚われて”いた。
『……カイ……私、あなたの声が……聞こえる……』
「リアン……戻って来い!」
フレイムレイスの腕が、ゼノス・アークのコックピットへと手を伸ばす。
通信リンクが最大まで開かれ、思念が交差する。
次の瞬間、コックピット内部の制御核が破断。
ゼノス・アークの白い装甲が、ゆっくりと崩れていく。
中から浮かび上がるのは——小型の生命維持カプセル。中に眠る少女の姿。
「リアン!!」
カプセルを抱えたまま、フレイムレイスは後方へと後退。
その背後で、ゼノス・アークは静かに自壊していった。
【制御層中枢崩壊まで残り18分】
施設の崩壊が始まる。
しかし、フレイムレイスの胸部に抱かれたリアンは、微かに目を開いた。
「……私……まだ、ここに……」
「……ああ。俺が、迎えに来た」
U.C.0125年9月3日 03:36(LST)/月面地下施設“サンクチュアリ”崩壊進行中
カイとリアン、そしてサナを乗せたフレイムレイスは、薄明の空間を上昇する。
だが、その背後で再起動する“何か”があった。
サンクチュアリのさらに奥深く——冷凍封鎖された中枢にて、未起動の金色のMSが、赤い瞳を開く。
それは、かつての“反抗の意志”を写し取った幻影。
コードネーム:"アストラル・シャア"
物語はまだ、終わっていなかった——。