第11話 疑惑の影
ワシントンDC、FBI本部地下の作戦会議室。
分厚い防音扉の向こうは、外の喧騒から切り離された密室だった。壁には最新鋭のモニターが並び、無数のデータが流れ続けている。冷たい空気が肌に刺さり、時計の針が進む音すら重く響いていた。
会議室にはアレックスを含む対ロシア作戦チームの中核メンバーが集められていた。
中央のスクリーンには、暗号化通信の解析結果と共に、ある一つの名前が大きく映し出されていた――
「MAYA」
「これは……何の冗談だ?」
アレックスが立ち上がった。声に怒気が混じる。だが、プロジェクターに映された証拠は残酷なまでに冷徹だった。
「我々が押収したロシア側のサーバーから、“ゴースト計画”に関与している可能性のある人物リストが抽出された。その中に彼女の名前がある。」
冷静な声で説明したのは内部監察部の主任、ホプキンス特別捜査官だった。
「しかも、これを見ろ。」
彼はリモコンを操作し、別のファイルを映し出す。そこには暗号通信の断片と共に、マヤの過去の活動歴が時系列で並べられていた。
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2018年、ベルリンでの潜入作戦。情報漏洩の疑いで任務は失敗。
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2019年、プラハで接触したロシア人外交官との不自然な通信記録。
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そして今回、ユナイテッド航空のシステムトラブル直後に送信された不明な暗号。送信元は、マヤが一時的に使用していた回線と一致していた。
「そんなはずはない!」
マヤの声が鋭く響いた。
彼女は立ち上がり、冷たい視線を一身に浴びながらも必死に言葉を繋げる。
「私は任務を裏切っていない! ベルリンもプラハも、すべて報告済みの任務の一部よ。暗号通信だって、私じゃない!」
だが、会議室に漂う空気は彼女の言葉を容易に信じようとはしなかった。
アレックスでさえ、一瞬だけ目を逸らした。その視線の揺らぎが、マヤの胸に鋭い棘のように突き刺さる。
「……アレックス、あなたも私を疑ってるの?」
震える声が思わず漏れた。
彼女の中で、冷静な諜報員としての仮面がわずかにひび割れていく。
「マヤ、俺は……」
アレックスは言葉を探し、苦しげに口を閉じた。仲間を信じたい気持ちと、目の前に並ぶ証拠の重さが、彼の胸を二つに裂いていた。
会議室の隅で、若い分析官が呟いた。
「もし彼女が二重スパイなら……すべて辻褄が合います。ゴースト計画の初動に、内部からの支援があったことも。」
マヤの喉がひゅっと詰まった。耳鳴りがして、視界が揺れる。
――私は裏切っていない。
何度も心の中で繰り返す。だが、それでも押し寄せるのは「孤立」という二文字だった。
彼女は過去を思い返す。
冷たいヨーロッパの夜、任務中に誰も信じられなかった時間。仲間に見捨てられ、ひとり敵地で生き延びた日。
そのときに植え付けられた「孤独」の記憶が、今まさに蘇り、彼女の心を蝕んでいく。
「マヤ、君は――」
ホプキンスが言いかけたとき、マヤは拳を強く握り、かろうじて声を絞り出した。
「私は……FBIの捜査官よ。祖国を裏切ったことなんて一度もない!」
その瞳は揺れながらも、かすかに光を宿していた。
だが誰も即答はしなかった。
沈黙が会議室を支配し、空調の低い唸り音だけが耳に響く。
やがて、アレックスが静かに口を開いた。
「……証拠が真実を語っているとは限らない。だが、今のままではチーム全体の足を引っ張る。マヤ、君はしばらく作戦から外れてもらう。」
マヤの胸に、鋭い刃が突き立つような痛みが走った。
椅子に沈み込む彼女の姿は、これまで誰も見たことのないほど弱々しかった。
その瞬間、彼女自身すら気づかないほど深い場所で、決意が芽生えていた。
――必ず、自分の潔白を証明する。たとえ、この身が壊れても。
会議室の照明が無機質に彼女を照らす。
その影は長く、深く伸び、まるでマヤの未来に立ちはだかる闇そのもののように見えた。