松山から~R56を南下。

雨が降っていないということが…こんなにも素晴らしいことだったのか~気持ちは軽快、エンジン快調…天気快晴。

峠道がしばらく続いた後、右手に海が見えてきた。

やはり…海はいい。

宇和島でランチ。

ここで~俺は、一応神大に電話を入れてみた。

期待虚しく…4月10日の実習説明会への出席を強要される。

わかっていたとは言いながらかも~暗い気持ちになり、明後日…渋々一人で帰ることを決意せざるを得なかった。

宇和島の闘牛を見たかったが…今はシーズンオフということで、城を横目に宇和島に別れを告げる。

宿毛の酒屋で、大堂YHを予約。

その酒屋が~何とタイガースの中西清起投手の実家であることがわかり、ビックリ!

R321を…さらに南下。

大月町から~大堂海岸へ。

この間、一体こんなとこから…明後日神大へ辿り着くにはどうしたらいいんやろ~ということで、頭がいっぱいだった。

大月町から大堂海岸への道は~細い上にワインディングが多く、とても気を遣ったが…それだけに面白くもあった。

大堂海岸の先端にある柏島を目の前にした時…素晴らしく美しい夕陽が~水平線の向こうに沈もうとしていた。

YHにチェックインした後、俺達は柏島探索に出かけた。

柏島と大堂海岸は~長い橋で結ばれている。

柏島は、かなり世俗離れした島で…異次元の世界に迷い込んだような感じだった。

俺は~映画『純』の中に登場する長崎県の“軍艦島”の風景に似ているな…と思った。

家の軒先が迫っている…細い道を通り、海岸線に出てみる。

夕陽は既に沈んでしまっていたが~その余光で、空は紅く染まり…それを映す海は最高の景観を創り出していた。

この島で二軒ある食堂の内~ジャンケンで負けた一橋くんが選んだ店に入る。

店のおばちゃんと近所のおばちゃん数人が…ワイワイガヤガヤと、全く意味不明の方言でしゃべっていた。

そう言えば~今のところ、この島で出会ったのは…おばちゃんばかりで、若者や男達には全く出会っていない。

とにかく、店中に“島倉千代子”の写真やサインが飾ってある。

ただ…この食堂のイカの造り定食は、最高に旨かった。

電気が通っているのが不思議なくらい~静かで、俺達3人しか泊まり客がいなかった大堂YHは…橋を柏島へ渡るすぐ手前に位置している。

このYHのペアレントは…やはりおばちゃんで、このおばちゃんが~何と“東京弁”を使うのには驚いた。

何でも、国立市に住んでいたということで~今正にそこに下宿している一橋くんと…話が弾んでいる。

大都会から~四国の最果てである異次元の大堂へ…

詳しくその事情は聞けなかったが、この大堂の『ゆったりとした時空間』に触れ…いくばくかは、その気持ちがわかるような気もしたのであった。




雨が一層激しく降りしきる“松山”の町へ~命からがら辿り着いたものの、暗闇の中…何がどこにあるかわからない。

最早、我ら3人の疲労は…極限状態にあった。

そんな中~地理感に優れた一橋くんのおかげで、やっとこさ松山の中心部『道後』に到着することができる。

体も心も冷え切っていた俺たちは、一刻も早く宿に落ち着いて…熱い風呂に浸かりたかった。

琴引で予約した宿を探し始めたが~辺りの人に聞き回っても、なかなか見つからへん…

しょうがないので、再度宿に電話を入れてみると~「そんなん聞いてませんよ」の有難いお言葉。

思わず…足元の水たまりの中にへたりそうになったが、観光協会の人に民宿を紹介してもらい~ほとんど限界に近づいている体にムチ打ち、路面電車が行く手を阻む松山の街を…再びウロウロし始めた。

どのくらい時間が経っただろう~『道後温泉』の少し奥にあった民宿“みよし”の前で、我らを迎えてくれたおばさんが…蓮の池の上に立つ、お釈迦様に見えた。

真っ先に…狭い風呂に3人仲良く浸かり、体を思いっきり温めた後~飯をたらふく食った我らは、たちまちの内にパワー回復。

さっそく、大量に濡れた衣服を片手に…夜の道後温泉界隈を~コインランドリー求めて繰り出していった。

道後温泉には~温泉本館というところがあって、1階は男女別だが…2階は“男女混浴”とのこと。

道後温泉に来れば、「必ず本館2階に行こう」と…堅く誓い合っていた我らは~さっそく訪ねてみた。

じっさんばっさんの波をかき分け~やっと辿り着いた本館前も、やはりじっさんばっさんとしつこい客引きのおばさんで溢れていた。

おまけに…入浴料250円の1階に対し、2階は1200円~貧乏ライダーの夢は、ここで途絶えてしまう。

気を取り直して~コインランドリーへ。

やっと辿り着いたコインランドリーは、見事に閉まっとった…

濡れた衣服をどっさり抱え込んで~トボトボ宿へ引き返していく。

東一局から親役をふり…ようやく親が回ってきたと思ったら、親チョン。

~ホンマ、嵐のような初ツーリング初日でした。

明けて…4月8日、昨晩は文句なくグッスリと眠ることができた。

いつになく寝起きがよかった俺は~祈るような思いで、窓の外を見た。

「やった~!」…雨は止んでいる。

雨が降っていないことにこれだけ喜べたのは~そう、あの“利尻”以来であった。

朝食を食べた後、せっかくだから例の本館へもう一度行こう…ということになり、何と~スウェット、ゾウリ、ノーヘルという…いわゆる『族』のいでたちでバイクに乗り~朝の温泉街へ向かった。

朝の温泉は、夜以上にじっさんばっさんでごった返している。

朝っぱらから温泉なんか来とうのは~よっぽど暇な奴かアホなライダーしかおらんで…

やはり、2階は諦め…1階の“神の湯”というところにゆったり浸かった。

脱衣所で~人の良さそうなおじさんと目が合い、話をする。

近所に住んでいて、毎日ここに来てるらしい。

程なく…おじさんは昔話を始め、周りにたくさんのじっさんが寄って来て~なんやかんやと…

Help me~

民宿のおばさんに記念の写真を撮ってもらい、俺達は出発することにした。

ただ…問題は、Gパンとコンバースシューズが乾いてないことである。

探し回った挙句~やっと見つけたコインランドリーの乾燥機で、やや躊躇いながらもコンバースシューズを乾かし…やっとのことで、昨夜からの願いを達成した。

やっと、一人前の格好を整えることができた我らは~道後公園と愛媛大学に立ち寄った後…万感の思いで松山を後にしたのである!






小学生の頃から、なんとなく憧れていたスポーツが、バスケットボールだった。

いよいよ中学生になり、即座に決心し、そのバスケットボール部に入部する。

顧問の先生や先輩の指導のもとに、練習を続けていった。

今思い返せば、実にいろんなことを思い出す。

一年の時、運動場をよく走らされた。

厳しい「しごき」もやらされた。

そのしごきが嫌で、家に帰ってしまったこともある。

バスケ自体が、嫌になったこともあった。

入部した当時、二年三年は、一年をしごけてええなぁと思ったこともある。

しかし、何とか一年間は退部せず続けてこれた。

二年生になると、いよいよ先輩となるので、ほとんどの練習は欠かさなかった。

夏休みに入り、三年生が市民大会で準優勝、中播大会でも準優勝を成し遂げ、県大会への出場を果たした。

神戸まで応援に行ったが、残念ながら一回戦負け。

しかし、県レベルの高さを目の当たりにし、驚き興奮してしまった。

県大会が終わってからは、三年生が高校受験に専念するために、いよいよ我ら二年生中心の練習が開始された。

顧問の先生の、あらん限りの情熱と愛情のもとに、厳しい練習が続いていく。

それでも、みんな歯を食いしばって頑張った。

八月二十六日から二十八日に開催される市民大会を目指し、十五人全員が顧問の先生やキャプテンを中心に心をひとつにして、若い力を存分に発揮し、汗と泥にまみれて練習に練習を重ねてきた。

いよいよ、その八月二十六日がやってきた。

K中で、初めて体験する公式試合だ。

一回戦の相手は、H中であった。

そのH中には、練習の成果が発揮され、難なく勝つことができる。

八月二十七日、二回戦は、A中相手だ。

午前十時から、中央体育館にて試合開始である。

顧問の先生は、必ず勝てると太鼓判を押してたし、我がチームも自信満々であった。

試合は、予想通りこちらが順調に得点を重ねていく。

しかし、前半の終わり頃、点数が開き過ぎて安心してしまったのか、ディフェンスが突如乱れてしまう。

油断した隙を付け狙われて、ついに、あっという間に逆転を許してしまった。

後半も、オフェンスとディフェンスが乱れ、最後まで食いしばったが、八点差に涙を飲んだ。

試合が終わって、顧問の先生にこっぴどく叱られてしまう。

何が何でもリバウンドを取りにいこうとする姿勢が見られなかったし、ディフェンスも食いついていけなかった。

パスミスはするし、ドリブルも乱れた。

叱られても、仕方がなかったのである。

そして、今、自分はふとんの中で寝転がっている。

叱られた内容を思い起こしていると、ひとつひとつの言葉に顧問の先生の深い思いと情熱が込められていたことがわかり、ジーンと胸に染み渡ってきた。

我がチームを勝たせてやりたい、強くしてやりたいという大きな愛情が、ひとつひとつの言葉に込められていたのだ。

今まで、必死に練習してきたのは、一体何のためだったのか。

そう思っていると、自分の心の底からある感情が込み上げてきた。

今度の中播大会では、もっと悔いのない試合をして、絶対優勝してやるぞと。

勉強でもスポーツでも、「勝つ」ということは、自分自身が自分に打ち勝ち、全力を尽くして試合に臨む心構えが必要だ。

勇気と自信を持ち、技術を向上させるためには、これからの練習の一コマ一コマをコツコツと真剣に行い、それを積み上げていくことが大切であることを、自分の心に深く言い聞かせた。

あくる日の新聞には、電車の運転手の過失によって少女がひき殺されてしまったことが、大きく載っていた。

ついに、工夫達の意見が通り、正義が勝ったのである。

運転手も、監督と一緒になって事故であることを主張したが、救助網に異常がなかったことは、決定的であった。

その日も三人の工夫は、でこぼこになったみかげの敷石を、かなてこで起こしては下の砂をかきならして、敷き替える作業をしていた。

彼らは、誰も互いに口を聞こうとはしなかった。

通りがかった人たちは、新聞にこの工夫達のことが出ていたので、彼らの正義をほめたり話しかけてきたけれど、工夫達は、素直に喜べなかった。

喜べるわけがなかった。

彼らは、素っ気なく答えるだけで、何者かに怯えているように、作業を続ける。

しばらくして、こぶのある方の若者は、思いあまったように、「なぜ俺達の正義が認められたのに、こうビクビクしなきゃならないんだよ」と、叫んだ。

しかし、あとの二人は、悲しそうな顔を見合わせため息をつくだけで、何も答えなかった。

三人が一日の仕事を終え、日当をもらって帰る途中、「今日は祝いだ、俺達の正義が認められたんじゃないか、なんせぇ一杯やろうぜ」と、年長の男が言った。

彼らは不安を隠すため、つまらない世間話をしながら、昨日行った茅場町の牛肉屋の門をくぐる。

三人は、昨日と同じ席に着くと、すぐ酒と肉を注文して、そこで胡座をかいた。

その周りにいた客や女中は、工夫達を既に知っていたので、注意をひいたが、彼らは昨日と違ってしばらく無言のまま酒を飲み、誰とも話をしようとしなかった。

が、突然、いつもはあまり酒を飲まないこぶのない方の若者が、顔を真っ赤にして酔っ払い、たわいもなく歌を歌い始めた。

他の二人も、手拍子をとったりかけ声を出して、その歌に合わせていく。

「今日は、めでたいんじゃ」と、年長の男が大声で叫んだ。

歌は、まだまだ続いていく。

その内、こぶのない方の若者の声がかすれて、手拍子も勢いを失っていった。

三人の目からは、とめどもなく涙が溢れていく。

それから、数日後…

まだ、全部のみかげ石の敷き石が敷き替えられていない永代付近で、もうあの三人の工夫の姿を見ることはなかった。

みかげ石の敷き替え方が悪いというのが、三人が首になった表向きの理由であった。

三人の功績をほめたたえていった人たちでさえ、いつもの場所に三人がいなくなっていても、何もおかしいと思わず、まるでそんな事件などなかったように線路わきを通り過ぎていく。

今は、昭和52年、正義を守れる人は、一体何人いるのだろうか。
まだ、真室川の源流もわかっていなかった頃である。

その一帯、広々とそびえる緑地の一角、猪の鼻岳をねぐらに一匹の赤ぎつねが住んでいた。

その頃、彼はさして強敵もいず、森林には獲物も山ほどいて、屈託のない生活を送っていた。

いく年かたったある日、山に異変が起こり始める。

赤ぎつねの狩場の山の木が、毎日のように切り取られていったのだ。

人間という動物が山に押し寄せ、その人間たちが、鉄砲でむやみに野生の動物を殺していく。

そうしていく内に、人間たちは、ダムを造り始めた。

大きな音を立てて、「はっぱ」が爆発する。

山が削り取られ、山の動物たちは、次第に追いやられ安住の地を失っていった。

トラックやダンプカーが、山を荒らしていく。

やがて、ダムも完成し、山のふもとには、人家が立ち並んだ。

一方、赤ぎつねは、人間の手から必死の思いで逃れ、生き延びていた。

それからというものの、赤ぎつねの生活は、苦しくなった。

狩場を失い、獲物はほとんど姿を見せなくなった。

一日、何も食べない日もあった。

特に、冬などは寒さと飢えで耐え切れない毎日が続いた。

ある時には、仲間とも戦い、自分より大きい動物とも戦って、彼は生き抜いてきた。

そういう生活の中で、彼は、山のふもとの人家に獲物がたくさんいることを悟った。

うまそうな鶏やアヒルが、たくさんいるではないか。

たびたび、人家の家畜を襲った。

家畜を襲うことがやみつきになり、毎日の日課のようになってしまう。

そのうち、たくさんのわなが仕掛けられたが、彼の長年の経験と本能により、やすやすとそんなわなの餌食になるはずはなかった。

いつものように被害を受けている安楽城村の村長は、ついに、鷹匠にキツネ狩りの依頼をした。

彼は、鷹匠の愛鷹「ふぶき」と戦う運命になったのである。

ある日、獲物を咥えて帰る途中のことであった。

ふぶきが、突然背後から襲ってきた。

それをうまくよけた赤ぎつねは、戦いの体制を整える。

戦いの中で生き抜いてきた彼にとってみれば、容易な相手だった。

二、三度ふぶきの急降下をよけて、相手の能力をうかがう。

再び落下してきた鷹のかぎづめをぐわっととらえ、地表で羽ばたいているふぶきを容赦なく引きづり、雪の上に何度もたたきつけ、襲いかかった。

彼の、完全な圧勝であった。

あれから、三度目の冬を迎えた。

命からがら逃げ帰ったふぶきは、鷹匠に厳しく訓練されていた。

一方、赤ぎつねは、相変わらず生きるために村の家畜を襲い、いろんな動物と戦ってきた。

再び、ふぶきを赤ぎつねと戦わそうと決心した鷹匠は、赤ぎつねを求めて、猪の鼻岳にやって来たのである。

この日も、赤ぎつねは、にえを咥えてねぐらに帰る途中だった。

鷹匠は、赤ぎつねを見つけると、慎重にふぶきを手放した。

上空で舞うふぶきを見た彼は、野獣の本能で、強大になった相手を知る。

もの凄い死闘だったが、勝負は見えてきた。

舌根から咽頭部に突き刺さった爪と、腰椎から腸へ締め付けた爪のために、赤ぎつねの生命の灯は、揺らいでいく。

若鷹は、今や真室川の王者だった。

人間たちは、誰もがこの鷹の功績を讃えるであろう。

横たわっている赤ぎつねなど、そ向きもせずに…




水に対して無敵だと信じていた“スキーのオーバーパンツ”は…最早何の役にも立たず、その辺の布地のパンツと同じと化していた。

打ち付ける雨を~喜んで迎える。

瞬く間に、Gパンさらには下着までが水浸しだ。

カッパも激しい雨の攻撃に陥落してしまったが~Top Riderというメーカーのライダージャケットのみが、何とか防戦してくれていた。

シールド越しに…松山までの距離が微かに見える。

その距離を確認する毎に~頭の中で“絶望感”が広がる。

全身を包み込む…徒労感。

激しい雨のため、自分が走っている道路も~見えなくなってきた。

微かに光っている…VTのテールランプだけを必死に追いかける。

「ここはどこ?~私は誰?」…周りの世界がぼんやりと濁ってきて、意識が薄れてくる。

死ぬんかなぁ~と何度も思った。

薄らいでいく意識を取り戻すため…歌を歌う~必死で歌う。

最初は、『省吾』『元春』~知っている歌を大声で歌った。

その歌が尽きてくると…勝手に作詞作曲した自作の歌を歌った。

「もう二度とバイクツーリングなんか行かへん」…そのシンガーソングライターは、心の中で~何度も呟いた。

どのくらいの間~死の淵を彷徨っだろう…ふと気付けば~ようやく、ようやく何とかシールド越しに見える標識の~松山までの距離カウントが消えていた。

雨の松山の街は、すっかり暗闇に包まれていたのである!






時間制約のため~金刀比羅では、讃岐うどんの昼食を取る。



せっかくここまで来たのだから、金比羅山への長い階段を上り~お参りをしようと考えたが…激しい雨のため断念。



近くの土産物屋で…足に被せるためのビニル袋をもらいにいった。



そこのおばちゃんに~あんたら何しに来たん…という目で見られ、「近頃の大学生は親のスネかじってバイクまで乗り回して」と、厳しい説教を食らった。



一橋くんは、その説教にムキになって…「バイトしとるわい」と~反論しおった。



金刀比羅の登り口で~記念撮影した後、近くのマルナカに寄り…防水スプレーを購入。



一橋くんが、ペンギンファッションのままマルナカに入っていくのを…ア然として見送りながら、俺はバイク番をしていた。



あまりにも異様な姿をしていたためだろうか~マルナカの駐車場で靴を売っていた兄ちゃんが、「どっから来たん?」と話しかけてきおった。



「今朝H市を出発して…今から松山まで行くねん」と答えると~兄ちゃんは、ビックリしおった。



この兄ちゃんは、かわいそうに思ったのか…こちらが頼むと~マルナカのビニル袋を、ようさん渡してくれた。



この後…3人共、紺のカッパにマルナカのブーツカバー~サニークリーンのバックカバー(ただのゴミ袋)という…とてもカッコいいいでたちで、我々は金刀比羅を後にしたのである。



まだ、元気があった。



うどんを食べながら~松山には直行せず、どこかいいところに寄ろうぜ…と相談したほどだったからである。



土を積み上げて、銭形のでっかい模型が…神大経済学部くんの持つガイドブックに載っていた…という単純な理由で、♬男だったら~♬の歌を調子よく口ずさみながら、いざ琴平へ。



そこは、折しも桜が満開で~花見客を見込んで…多くの出店が軒を並べていた。



最高やろなぁ~雨さえ降ってなかったら…



それでも、宴会をするための道具を持ち込んだ家族連れを…何組か見かけた。



その横に~何か土が積み上げれられているも、大き過ぎて形がわからない…怪しい物体が見渡せた。



「こういうもんは、やっぱり上から見なわからんで~」と…賢い一橋くんが気付き、展望台へと上がる。



そこで、神大経済学部くんと神大教育学部くんね二人は~賢いはずの一橋くんをなじった。



琴弾の姿は…雨のため全く見えなかったのだ。



そんな琴弾を後にして、やっと我々3人は~本ツーリングのクライマックス…松山までのR32へと、再び踏み出していった。



その距離…実に約110km。



初ツーリングにしては、余りにも強烈で過酷な110kmであることを~この時はまだ知る由もなかった…





いよいよ~高松港へと到着したので…カッパを着て、スキーで使用するオーバーパンツを履き~再び我ら3人は、それぞれの愛車に股がる。

シュルル…シュルル…シュルル…

なかなか~我が愛車FTのエンジンがかからず焦ったが、何とかフェリーを脱出。

そして…ついに我々3人は、夢にまで見た龍馬の生誕地~『四国』への上陸を果たしのだ。

初めての四国は~薄暗い雲と雨で、我々を歓迎してくれた。

雨の高松は、何の印象も残らなかった。

どこにでもある~日本の小都市だ。

雨に対する備えは、万全だと思っていた。

「まぁ、もう少ししたら雨はやむだろう」という~とても甘い考えで、最初の目的地である“金刀比羅”を目指し…R32を下っていった。

まだ、この時は…ルンルン気分だったのである。

ます~予想通り、“コンバースシューズ”がやられた。

コンバースシューズは…滑りやすい上に、雨にも弱い~とんでもないシューズだ。

水に対して無抵抗な布地でできていて、丁寧に穴まで開いてるから…たまらんでぇ~

10分も経たん内に…靴下が“じと~っ”と、濡れてきおった。

途中から、一橋くんからビニル袋をふたつもらい~両足に被せた。

これが…後世に残る『ペンギンファッション』の始まりである。

「まぁ~バイクツーリングには雨はつきもんや…ずぶ濡れになることもあるやろ~こういう苦難を乗り越えてこそ、バイクツーリリストとしての泊がついていくんやぁ」と…わけのわからない理屈をつけて、金刀比羅までひたすら走った。

この時も、まだ~苦労することを楽しむ余裕があったのである!



R2からブルーハイウェイへ…

全く、車を見かけない。

VT250FとRZ250Rが…ブルーハイウェイを80~100kmで飛ばしている。

そのテールを自分の愛車~Z250FTから眺めながら、俺は思い続けた…

♬いつかこの手で…つかむぜ“BIG BIKE”~I gotta nothing nothing to lose…♬

ブルーハイウェイを少し走ると、突然左手に海が開けてきた。

「瀬戸内海」だ。

朝の冷気をはらんでいる海は~その表情がやや硬かったが、俺の視線を釘付けにした…やはり、海はいい!

“虫明”…というSSで休息。

モーニングでも食べようと~入ろうとした店は、残念ながら閉まっていた。

車に乗っていたおじさんに…無理矢理シャッターを押してもらう。

この時は、3人とも~まだまだ元気だった。

ブルーハイウェイを抜けて…フェリー乗り場の看板に従って、児島湾大橋を渡る。

小学生の時に~雨の中を見学に来た…懐かしい場所だ。

干拓はだいぶ進み、いかにも“埋め立てをしました”…という区画整理された土地が見渡せた。

児島湾大橋を抜けると~宇野港は、すぐそこだった。

昨年の北海道旅行の時には…フェリーへの乗船手続きが、かなりややこしかったが~今回は、いとも簡単に乗れた。

それも~阪急六甲発の36系統のバスよりも、頻繁にその便がある。

さすが…噂に聞く『宇高連絡船』だ。

ただ、驚いたことに~二輪車は、“手荷物扱い”で…何と手荷物料金を支払った。

「ほなアンさん…二輪車を手にぶら下げて、フェリーに乗れ~ちゅうんかい???」

そんなアホな突っ込みを入れる間もなく~おじさんに急かされてフェリーへ。

とにかく、二輪車には股がって乗船できたので…ホッと一息。

フェリーの中で~やっとサンドイッチの朝食をとれたので…お腹も落ち着いた。

写真を撮るために、甲板に上がってみると、どんよりと曇った空からは~冷たい雫が…

俺たちは~この時、この雫がどういう未来を示唆してるのか…全く知る由もなかった。

そして、いよいよ~『宇高連絡船』は…高松港へと到着したのである!




ずっとJH小の“お荷物”的存在だった~16くんに、劇的な変化が訪れたのが…彼が5年生になった時である。

その大きな原因は、小5から卒業まで担任をしてくれた~F先生との出会い。

F先生は…これまでの先生と違って、彼のことを最初から色眼鏡で見なかった。

そのため~小5から、それまでの学年とは全く違う日々を送ることになる。

学校生活とは…こんなに楽しいものだったのかぁ~

学校は“しんどい場所”であることが、当たり前の感覚になっていた彼にとって~それは…大袈裟に言えば、『革命』的なことだったのである。

これまでの担任の影響で一歩も二歩も引いていた周囲の子どもたちも~少しずつ彼に近づき始めた。

友人関係も広がり、これまではほとんどなかった~“互いの家に行って遊ぶ”…なんて機会も増えてきた。

さらにさらに~ビックリすることに、このプラスのベクトルは…『学習面』にも影響を与えていく。

16くんにとって、学校とは勉強しに行く場所ではなく…大好きな給食を食べに行くところ~だった。

無論~授業が面白いとか、勉強がわかって楽しいとか…そんなことを感じた記憶はない。

そんな状況に風穴を開けたのが、全く偶然ながら…JH小学校が~全国レベルの理科の研究指定校に指名されたこと。

しかも、担任のF先生が~その研究主任になったようなのだ。

F先生は…戸惑いながらも、気合いが入っていた。

何と何とこれも驚いたことに~ある日突然、彼を含め…全校児童が『マイ理科セット』なるものを持たされた。

その中には、「マイビーカー」「マイ試験管」「マイスポイト」「マイピンセット」「マイガラス棒」等が入っていたように思う。

16くんは~最初冷めていた。

おいおい…そんなんはエエから、早く給食の時間にならへんかなぁ~と、授業中はそんなことばかり考えていたのである。

いよいよ~『マイ理科セット』を使っての実験が開始された。

小5になって初めて…“理科室”と呼ばれる教室に足を踏み入れた。

彼は、もちろん期待等してなかった。

が…そこには、見ているだけでもワクワクしてくるような物が置いてあるではないか!

16くんは~「何かこれまでの“勉強”とは違うみたいやぞ…」と、直感する。

そして、実験スタート。

F先生は~アルコールランプを使わせてくれたり、塩素等の劇薬も…どんどん使わせてくれた。

理科室の実験台で繰り広げられていく不思議な世界に…16くんの心は釘付けになる。

こんなんも~『勉強』?

正に…教科書やノート、ドリル等を使って行うものだと思い込んでいた~彼の学習概念が崩れていったこれまた革命的瞬間だった。

やがて~16くんが最も心を奪われ、その目の前の出来事に…恐怖に近い感情さえ抱いた『実験・観察』を体験することになるのである!