小学校時代~実は、クラスの中の異端児であった。



忘れもしない…小3のある日、私は担任の先生に呼び止められて~こう伝えられた。



「16くん、明日特別に“家庭訪問”に行くからね~」



私は…一瞬何のことかわからなかったが、やがて~その意味を知ることとなる。



そう~担任の先生は、16くんのやんちゃぶりに余りにも困り果て…その解決を親に委ねようとしていたのである。



その日、さすがの私も~鬱々としながら…家路についた。



このまま黙っておこうかとも考えたが…どんな手を尽くそうとも明日は来てしまうため、意を決して~両親にことの経過を伝えた。



母はドンと受け止めてくれたが、驚いたのは『父』である。



あくる日~父は、先を制して…仕事も休み、何と学校にやって来た。



完全アポなしの行動である。



私もびっくりしたが、ビビったのは~担任。



確か…算数の授業だったと思うのだが、担任の先生は~やたらと16くんを指名する。



それに応えて~私も張り切って、結構正しい内容を発表できてたと思う。



かくして…担任の先生は、16くんのことを逆に褒めちぎってくれたのだ。



おいおい~K先生…何か最初の話と違うんじゃないか?



そう突っ込みたくなっていた私の横で、私の“けんか相手”でもあり~“よき理解者”でもあるOくんが…こちらを見て、ニヤニヤと笑っているのであった!
山崎先生にDEPAPEPEを習い~何とか弾けるようになってから、どのくらいがたっただろうか…

あの“青天の霹靂”の日が…状況を一変させてしまった。

私は、意を決して山崎先生の元を訪れる。

手には…『玉椿』

K駅前の教室に着いた後~私はそっと切り出した。

「先生、実は…健康上の理由で、もうこれ以上ギターのレッスンを続けられなくなってしまったんです~非常に残念ですが、今日が最後となります」

…と、伝えた。

先生は~驚きながらも、その理由を聞くと納得してくれて…私を見送ってくれたのである。

それから、しばらく~私はギターというものを手にすることはなかった。

その日から…実に一年足らず、私は思わぬ形で再びアコースティックギターを手にすることになる。

そう~新しい仕事場で、子どもたち相手にギターを弾く機会を得たのだ。

今は…その“テーマソング”を弾く毎日である。

しかし、私のギターに対する情熱は~そこに留まらない。

『いつしかコブクロのようにライブをやりたい』という…願望は、私の脳裏でその炎の火を燃やし続けているのだ。

そう~テーマソングを弾きながら、私は正にコブクロの分身となっている。

その時、キング牧師の演説が~脳裏に蘇ってきた。

“I have a dream!”

夢は~叶えさせるために存在している…

そう自分の胸に言い聞かせながら、今日も…子どもたちのためのテーマソングを爪弾いているのです!


高校の恩師~M先生に出会い、そのパワフルさに感銘を受け…このプロジェクトを立ち上げたのだが、思わぬ形でこの夢は消え去ろうとしている。

とにかく、治療が始まってから~極度の食欲不振が続き…不眠も激しい。

体力の消耗を感じ~体重もどんどん減少…

治療前より、20kg近く減ってしまった。

最早、“走る”ということさえできない情けない状態だ。

こんなことでは寝たきりになってしまう…という危機感さえ感じる。

この巨大なプロジェクトへの扉を完全に閉ざしてしまいたくない~という思いから、まずは少しずつ“歩く”ことを始めている。

コースは、H城周りやH湖周り。

どちらもたかが5km程度のコースだが~今の自分にとっては、これが精一杯である。

週末ごとに山に行ってる弟と…まずは初心者向けの山に連れていってもらうことも始めた。

メッチャ低い山ばかりだが~それでも坂道はキツい。

今思い返せば、よく4010mのキナバル山などに登ったなぁ…と。

小さな小さな積み重ねを地道に行っている最中だが~果たして、この取り組みがプロジェクト達成に繋がるんかなぁ…

実は~“あの宣告”を受けてから、サイモン先生の英語講座を欠席してしまった…

今考えると、もったいないと思えるが~当時の精神状態としては…仕方がなかったのかもしれない。

そして今~「こんなことではあかん」と考え、自主的な勉強を始めた。

~と言っても…NHKのラジオ講座のテキストを買って来て、その英会話文を読み~自分がわからなかった単語やフレーズを単語カードに記入…それがある程度たまったら、暗記する~この繰り返しを行っているくらいである。

「残された時間が少ないのになんでこんなことをやっとんやろ」とか、「こんなことしてこれから役に立つことがあるんやろか」とか逡巡しながらの勉強であるが…結構楽しかったりする。

でも、簡単な英会話の文章なんだけど~これまで知らなかった単語やフレーズがどんどん出てくるので、いかに自分の英語力がまだまだ低いかを思い知らされるのだ…

夢は~4月まで生きて、もう一度サイモン先生の英語講座を受けること…そして、何としても~その実践の場である『外国』へ旅立つことである!

タマンデサ小学校訪問最後の日…REHAT前、校長先生はわざわざ私たちのために~スタッフを全員職員室に集めてくれた。

その職員室へと向かう。

その途中の廊下に~6年生の成績が貼り出してあることに驚いた。

いよいよ…職員室へ到着。

何と、そこには~どこで聞きつけてたのか…多くのタマンデサ小学校の子どもたちも、駆けつけてくれていた。

そんな中、校長先生が…私たちを職員室へと招き入れてくれる。

ついに~Sさんと私は、これまで学校生活を共にし…多大な宝物を与えてくれた『マレーシア第二の母校』とも言える~タマンデサ小学校の仲間の前に立った。

校長先生から労いの言葉をいただいた後…いよいよ『Farewel Speech』を告げる瞬間がやってきた!

私は、昂る気持ちを抑え~そのスピーチに臨んだ。


We want to say very special thank you for your cooperaton. We can have great time here.
Teachers here very kind. Students are really good and plite. We never forget this exprience. I want to tell to my students about this good Taman Desa school. I'm sorry to disturb you all. Anyway thank you very much. If you have a chance, please come to JSKL. Please come to Japan!


その一言一言を噛み締めながら、私は伝えた。


そして~それらの言葉に真剣に耳を傾けてくれているタマンデサ小学校の同志たちの目は、私を食い入るように見つめ…その熱い気持ちが共有されていったのである。

私は、努めて静かにその『別れの挨拶』を終えた。

職員室を後にする。

先生たちと子どもたちまでが~追いかけて来てくれる。

タマンデサ小学校の校門を出る。

まだ、私たちとの別れを惜しむ声が聞こえる。

車に乗り込む。

窓越しに…もう一度感謝の意を伝えようとするが~最早涙で言葉にならない。

車のエンジンがかけられ~強烈なインパクトを与えてくれた…かけがえのない学校を離れていく。

私は、どうしても振り返ることができなかった。

あまりにも~多くの熱い出来事を体験し、それらの意義をひとつひとつ噛み締めようとしていたからである。

さようならタマンデサ小学校…そして、“Jumpa Lagi Taman Desa Sekola Rendah !”

私は、今回得た『かけがえのない宝物』を一刻も早く~JSKLの子どもたち、日本の子どもたち…そしてその子どもを支えている大人たちへ伝えたいと思い…タマンセプテの学び舎へと、車を急がせた!







5日目のタマンデサスクールの一日は~“朝会”と“朝の体操”から始まる。

登校中の子どもに目を遣ると…何と『BMW』で送ってもらっている子どもがいた。

この小6のクラスは、男子6人女子8人の計14人である。

担任は…「Azman B. Hamzah」という名のマレー系の先生だ。

1時間目の『PJ(体育)』の授業が始まる。

最初、男女別に座っていたが~男子は、サッカーをするために芝のグランドへ…女子はネットボールをするためにそのコートへと向かった。

その時~奇妙なことに気が付いた。

教室に、男子2人と女子2人が取り残されているのである。

聞くと~「私たちは…体育よりも、教室で勉強したいから」ということであった。

何か複雑な気持ちで、男子がサッカーを行っている芝のグランドへと向かう。

見ると…芝のグランドはボウボウで、子どもたちはその上でサッカーをしていた。

コートを示すライン等なく~全て先生の判断で試合が進められていた。

子どもたちは、きちんと学校の体操服を身に付けているが…ボーッとしている子が少なくない。

試合が終わると~先生はカラーコーンとサッカーゴールを片付けるよう、指示を出した。

その後、男子全員を集めて…解散となる。

聞けば~9月に11才以下の選手による大会があり、その試合に出場予定だとのこと。

ただ、その試合は…1チーム7人で行われれるとのことだった。

体育の次の授業は~「BM」だった。

先生は“キナバル山”についての説明文を取り上げ…『Bukit Frazer(フレイザー高原)』『Bukit Cameron(キャメロン高原)』『Bukit Genting(ゲンティング高原)』も、キナバル山に加え~「Sujuk Kabas(涼しい気候)」であると説明を進めていく。

子どもたちは、とても素直で…懸命に学習に取り組んでいた。

彼らの姿は~すごく伸び伸びとした姿に見えた。

授業は、続く。

先生は…表情豊かに、発問を出していった。

「山に登れば~どうなりますか?」等。

何と~先生は、キナバル山に登る説明の時…『動作化』も取り入れていた。

子どもたちは、「体重が減ります」等と答え…その後先生から出された“発問プリント”に取り組んでいった。

そう言えば~彼らの教室には、全員が黒板の前に座るための“シート”がない。

しかし、話し合いの後…書くことを中心とした授業の流れは~同じであった。

教室を見回してみると…ドナルドダックの絵がたくさん貼ってある。

加えて~エイズ防止のポスターや“Hard work bring success”のスローガンが書かれたポスターも、目についた。

最後に…先生は、マレーシアの全州の名称を言えたら座るよう指示する。

教室の前には、マレーシアの地図と掛け図を掲げ~子どもが自分で言えた州の名称を指で指すようにも付け加えた。

子どもは…次々と発表し、州の名称の他に州知事や州都も併せて発表していく。

この学習について、やや難しいと感じている子どももいることが~見て取れた。

このクラスの子どもたちは…とても礼儀正しく、トイレに行く時も~きちんと先生の許可を得てから行くようにしている。

雰囲気もよく、大変フレンドリーで~教室には笑いが絶えない様子だった。

この6年生のクラスを参観させてもらって…私は、何とも晴れやかな気持ちになった。

子どもたちと担任の先生が~一体となって、ひとつの目標に向かっていこうとする集団の姿が見られたからである。

このクラスのあり方こそが、正に私が追い求めていた理想の集団に近いような気がした。

もちろん…集団の中に『個』が埋れてしまっているのではなく、その集団が一人一人の個の活動を生かしていたのである。

私は、タマンデサ小学校6年生の子どもたちの~キラキラと輝く瞳を胸に刻みながら…最終日の挨拶をすべく、職員室へと向かったのです!




「図工」の授業が始まった。

5・6年合同で行れるようで、“Rizan”という先生がやって来た。

どうも~図工本来の先生は、休んでいるらしい。

この学校では…小3から『絵の具』を使う。

先生は白い紙を配り~子どもたちは、絵の具を使って作品作りに取り組み始めた。

その間、先生はまたこちらにやって来て…話しかけてきた。

「マレーシアの小学校では~普通、低学年が午前中に学び…高学年は午後に学んでいるんですよ~子どもの数が増えてきているので、仕方がないんです…ただ、子どもの数の増減により教師が増員されることもあります~でもねぇ、いろんな教師がいて…当たり外れがあるのも確かです」

と、マレーシアの学校の現状を教えてくれた…

今のマレーシア政府は~特に『教育』に力を入れている。

未就学だった子どもを…どんどん公立学校に送り込み、全ての子どもの教育水準を確保しようとしているのである。

その子どもたちが~やがてはマレーシアを背負い、その将来を背負ってくれることを願ってのことである。

そのために、マレーシアの学校はどんどん子どもが増え…半日しか教育を行えない現状もある。

今、マレーシアでは建設ラッシュが続き~学校の建設も行われているが、なかなか追いつかない。

日本の現状と比べてみる…

日本では、十分な教育インフラが整い~専門的な高等教育を受けた教師が…どの地域でも平等に配置されていく。

教育行政のサポートも充実していて~教師は望めば、様々な研修を通じて自己のスキルアップを行える。

おまけに、教師の給料は安くはなく…その生活は安定しているのである。

こう考えてみると~その違いが大きいことに気付いていく。

では…その教育効果という面で考えてみた。

確かに、日本では優れた教育システムにより~優秀な子どもが生み出され…彼らは企業戦士となり、多大な「利益」を日本にもたらしているのかもしれない。

しかし、気になるのは…彼らが、それを「幸せ」だと感じているかどうかである。

タマンデサ小学校を訪れて、少しずつ気付いてきたことが~マレーシアの子どもたちと日本の子どもたちの『目の輝き』の違いである。

それは、まさしく…先生たちのそれともリンクしていた。

マレーシアは…政治的にも“WAWASAN MALAYSA 2020(2020年には先進国の仲間入りを果たすぞ~)”をスローガンにして、国中が熱くなっている。

その『熱』が子どもたちや教師にも伝わり~学校には、やる気が漲っているのである。

まさに、彼らの目の輝きは~彼らの『心の輝き』でもあったのだ!

そんなことを考えながら~私はまだマレーシアの灼熱の太陽が照りつける中を~タマンデサ小学校を後にした…









BMの授業の次は~「モラル」であった。

この授業は、5・6年合同で行われるので…ムスリムの子どもたちは~イスラムのコーランを勉強するために、別の部屋へと移動していった。

先生は~黒板にモラルの問題を提示して…「合格すれば終わります」と、指示するのみであった。

子どもたちが、問題に取り組んでいる間~先生はこちらにやって来て…話しかけてくる。

「今年の全国統一テストの結果が~10月にわかるので、すごく心配なんですよ…」

「タマンデサ小学校の教師たちは、そのテストのために…主にBMを重点的に補習を行っています~そのための費用は、8回(1回あたり1時間30分)で60リンギ(約3千円)となります」

「6年生の最後に~その全国統一テストの結果により…中学校での能力別のクラスが決まるので、本人も親も必死になります~その能力別クラスは、“サイエンス”と“アート”の2コースがあるのです」

「もちろん~全国統一テストのために、普段からの取り組みも頑張っています…毎月テストを行い、評価したものを親に見せて~今後の教育方針等を話し合っています…そのレポートには『所見』『出席』『健康の記録』『授業態度』『本人の良い面』等が記入されているのです」

そんな話をしている内に~モラルの授業は、終わった。

私は、マレーシア公立学校の子どもたちも…結構勉強に追われていることを感じた。

しかし~先生たちは“補習”を行う等、必死の努力を行っている。

かといって…学校では教科学習一辺倒ではなく、「モラル」や「マレー語」「アラビア語」等のマレーシアが大切にしている文化を継承していこうともしている。

もし自分が~マレーシアの教育行政の責任者だったらどうするか?…ということを考えてみた。

日本やシンガポールのように~『経済的豊かさ』を重視して、教科学習中心で学校教育を行うのか…

ムスリム色が強い国のように~『宗教等の生き方』を重視して、独自の文化を中心とした学校教育を行うのか…

難しい選択である~

ただ一つ言えるのは、どちらかが正しいと始めから決めてしまうのではなく~それぞれの意見を出し合い…議論をし続けることが、大切ではないだろうか!

人も国も…それぞれが個性を持ち、その成長の過程で変化していく。

それに合わせた~様々な考え方があり、生き方があり、それを支える教育や支援がある。

私たち教育に携わる者は…その個性や成長の度合いを見抜き、何と言っても『自立した個』を育て~意見を交わし議論できる人間を育てていかなければならないのではないだろうか…

そんな生意気なことを考えながら、私は次の授業である「図工」が行われる教室へと向かった!





英語の次の授業は~「社会」であった。

その社会のテーマは、『Corak Pentadbira Negara(国の管理運営に関する仕組み)』

先生は、まず…マレーシアの統治機構の内~その政治権力が強い順に板書していった。

「YPPA(KING)」→「PM(Prime Minister)」→「TM(Minister)」

その後、先生は~“今の教育大臣は誰ですか?”“文化大臣は誰ですか?”“スポーツ大臣は?”等と…順に発問していった。

もちろん~授業は全てマレー語で進められていたのだが、子どもたちがわかりにくそうにしてたら…時々英語も使ってくれる。

しかも、とても声が大きく…一生懸命伝わるように話すので~とてもわかりやすい。

次に先生は~各州の『管理運営に関する仕組み』を取り上げていった。

再び、その政治権力が強い順に板書していく。

「Sultan(州王)」→「Menteri Besar(州首相)」→「PN/PD」

ここまで来て、子どもたちもさすがに退屈になってきたのか~分度器を触り始めたりする。

先生は…構わずに授業を続けた。

次は、統治者の名称を~強い順に板書し始める。

「King(スルタン)」→「MB(州知事)」→「DO(地区長)」→「Peghulu(カンポン長)」

ここで~社会の授業は終わりとなり、子どもたちは…お楽しみの“REHAT”へと向かったのである!

リハットが終わった後は、「BM(マレー語)」の授業だ。

テーマは~『Wedding Cardの書き方』

先生は…本物の結婚式招待状を持って来て、その書き方を説明した後~子どもたちに、その招待状をノートに書いてみるよう指示した。

子どもたちが作業をしている間、先生はこちらにやって来て~再びマレーシアの教育事情を教えてくれた。

「実は~タマンデサ小学校の中でも、特に小6の担任は忙しいんですよ…小6の子どもたちが~“全国統一テスト”を受けるので、何とボランティアでその補習を行うのです~次回の統一テストは、7月に行なわれる予定で…『英語』『マレー語』『論文』『数学』の科目を受けなければなりません~この中で、数学のみがマークシートになっています」

「マレーシアには“Control School”と呼ばれる天才的な子どもしか行けない学校があって…各学校ともそこに自分の学校の子どもを行かせようと必死になっています~けれども、そのような学校に行かせたくないという親も結構多いんです…コントロールスクールに行けば、子どもは“ホステル”のような場所に缶詰めになって勉強しなければいけないからです…」

「結局、マレーシアで成功したければ~何よりも“英語”を完璧にマスターしなければならない…という意識は大きいです~今は、コンピューター関係の言語も英語、商売をする時に使う言語も英語…政府は、マレー語を使えといいますが~成功したければ、やっぱり英語のマスターは不可欠なんです」

「中国系の人たちは、そのことをよくわかっていて~経済的に成功するためには、何が必要なのかを考えて努力している…それに対して、マレー系の人たちは~食べることさえできればそれでいいと考えてしまい、経済的な豊かさを放棄してしまう…だから中国系の人たちは、“Rich”なんです」

「日本人はとてもラッキーですよ~使う言語が、ひとつしかないからです…日本語さえできれば、成功できる環境にあります~また、コンピューターにしても~きちんと日本語さえわかれば、使えるようにしているでしょ…マレー語バージョンのコンピューターはないので、マレー系の子どもは~英語がわからなければ…コンピューターを使うことを諦めざるを得ないんです」

「今、私たちは~日本のことを心から尊敬しています…すごい技術を持ってるからです~アメリカやヨーロッパの国々よりも、日本や韓国を見習おうとしているんです~今、マレーシアでも…やっと様々な産業が発展しつつありますが、その多くが日本の技術支援のおかげなんです」

そう話しながら、先生は子どもたちに~結婚式招待状を書き終えた人から…友だちと見せ合って、互いにチェックし合うよう指示していった。

そのBMは~先生が指名した二人の子どもが…模範解答を黒板に書いて発表し、授業を終えた!








その若い男の先生は~『シンガポール』から転校してきた小2の子どもが…タマンデサ小学校に入ってくると小5レベルなんだということや~教師は年間プラニングや週の教育計画を考えて、校長に提出する義務を負っている…ということも教えてくれた。

その先生は、若いながらも…結構厳しく~宿題をやって来なかった子どもを、“ハタキ”でバシバシたたいていた。

そのため~ハタキの端っこは、ボロボロになっている。

その先生の…「算数」の授業が始まった。

黒板に~『8kmー60m』と板書した後、それを“筆算”の式に書き直し…子どもたちに答えを出すよう指示した。

「できる者は、前でやってみろ…難し過ぎてできないだろう」と言った後、先生は簡単にできるやり方を示していった。

すなわち~8kmを8000mに変換し、それを筆算の式に直した上で…簡単に解いて見せたのである。

その後…わり算の筆算にも取り組ませ、『7940÷1000』の式を~これまた簡単に解いて見せた。

算数の次は~「英語」である。

まず、先生は前時に行なわれたテストを返していった。

子どもたちは…ドキドキしながら受け取り、友だちの点数も気にしている。

この点は、全く日本の学校と同じだ。

答案用紙を覗いてみると~結構英語のスペルの間違いが多かった。

テストが返された後、スペル問題のプリントが配られ~子どもたちは…それらの問題に取り組んでいった。

ここで、その若い先生は~私にプリントの答え合わせをしてくれないか…と頼んできた。

その答え合わせが終わった後~クラスを二つのグループに分け、どちらのグループが先生が提示した言葉の“同意語”や“反意語”をいち早く正確に言えるかの競争を行った。

その結果、特に最も早く正確だったグループの二人の子どもに~傘とパズルが賞品として贈られたのである。

私は…その若い先生が割と様々な工夫を凝らしながら授業を進めていることを感じると共に~教育計画もしっかりと考えられていることに感心した。

しかし、その工夫の成果も虚しく~シンガポールには…3学年の差をつけられている。

一体~シンガポールでは、どのような教育が行われているのか…

是非、その実態を知りたい~そう強く思った!