その日も朝の集会が開かれ~私たちは子どもたちのために、日本のラジオ体操を教えることにした。
すると、子どもたちは…みんな大喜び!
私もこんなに喜んでくれるとは思わず~こちらがビックリしたくらいである。
さて、この日は…一緒に訪問を続けている“Sさん”が~5年生を相手に授業を行った。
その5年生は~男子10人、女子8人…計18人のクラスである。
担任は男の先生で、まだ25才の若手だ。
Sさんの授業は~ギターを使ったりして、大変盛り上がった。
授業が終わってから、その若手の先生がやって来て~学習のことについていろいろと教えてくれた。
今~Measure Angles(角度の測定)をやっているが、これは…中1で習う内容だということ。
他に算数の授業としては~「Number」「分数」「少数」「文章題」等に、取り組んでいること。
朝の会の時のみ、『duty』と呼ばれるそうじを交代で行っていること。
ただ~そのdutyは一人の子どもにつき…週に一回行うのみで、後は全て“コントラクター”と呼ばれる人が毎日そうじを行っていること。
さらに、そのコントラクターは…2週間に一回~窓そうじも行っていること。
各教室の隅には、子どもたちのためのミニライブラリーが設置されていること。
そんなことを~教えてくれた。
彼の教室には、“ドカティ”のポスターが貼ってあった。
その黒板の上には~『JAGALAH DARIPADA KEBERSHAN KELAB KITA(Keep Class Clean)』というスローガンが掲げてあった。
子どもたちは…そうじをほとんどしないのであるが、スローガンだけは立派だ。
JSKLでは~もちろん子どもたちと教師全員でそうじをしているのであるが、時折…ローカルスタッフからそのことに対する疑問が、呈される。
彼らは…学校でそうじをせず、それはコントラクターの仕事だと思い込んでいるため~JSKLでの全員でそうじをする姿が、不思議に映るのだ。
もちろん、我々は反論する。
『自分たちが使った場所を~自分たちがそうじをするのは…当たり前ではないか』と。
なかなか理解をしてもらいにくいが、私は~タマンデサ小学校の若手の先生の話を聞き…改めて、日本のそうじ事情の特殊さと~その素晴らしさを誇りたい気持ちになったのである!
4年生の次の授業は~「PS(図工)」だった。
図工の先生は、まず前時の授業で描いたポスターを子どもたちに返した。
次に…子どもたちは、持って来た包装紙を広げ始める。
その包装紙を忘れた子どもを前に立たせ~先生は、一人一人理由を聞いていった。
結局、忘れた子どもは…ハタキで手をたたかれ~先生から、包装紙をもらっていた。
その図工の先生は~中国系の女性で、英語で授業を進めている。
「先生の真似をしなさい」と、包装紙を半分に折って~折り返した紙をそのまま全く半分にせず…少し“のりしろ”の部分を確保してから折りなさい~との指示だった。
と、子どもたちは~「このくらいの“のりしろ'でいいのか」と…大騒ぎ!
子どもたちは、他児に遅れをとるまいと…必死で作業を続ける。
ここで~図工の先生が私の方にやって来て、「これは日本のガム(のり)だぞ」と…自慢気に声をかけてきた。
さて、子どもたちは…そのガムをのりしろに付けて、くっ付けていく作業を続けている。
ただ、これだけのことが~子どもたちには、難しいようだ。
先生は…「わけがわからない」という前にトライせよ~と厳しく言いながらも、間違っている子どもを手助けしていた。
そうなると、子どもたちは…「やってくれ」と~先生の周りに集まってくる。
そうする内に~子どもたちは自由に振る舞い始めた。
喉が渇いたと、自由に水を飲んだり…
先生が教室の教壇の上に置いていた~今日完成させるはずの“カバン”の見本を破ってしまったり…
挙句の果てには、スクールバスに乗るからと~帰ってしまう子どももいた…
先生は半ば呆れながら~再び私の所へやってきた。
「見ての通りの授業で、お恥ずかしい限りです…でも、いつもこんな感じなんですよ」と、その中国系の先生は悪びれる様子もなく話しかけてきた。
その先生によると~図工は週に一度行い…内容は、『draw』『デザイン』『クラフト』『伝統芸能』だということ。
その教材費は、学校が半分…家庭が半分だということだった。
よく考えてみると~彼らは4年生である。
私は、日本の図工の授業を思い浮かべながら…日本の図工教育のレベルの高さを自慢したいような思いに駆られた!
いよいよ~イスラム教の授業を参観することができた。
小4から小6まで…4人の男子が集まって来る。
授業は、全て『アラビア語』を使っていた。
そのアラビア語は~右から左へと書く。
子どもたちは…コーランを唱えているのか~口に手を当てて、アラビア語で板書されたものをノートに写していった。
何と~子どもたちは、ノートを右から左へ向かって鉛筆を走らせている。
どうやら、アラビア語は…右から左へと読むらしい。
一度写してしまってから、後からその上に色を変えて~不思議な記号を書き加えていく。
「9」も、独特の形で書く~アラビア風の書き方なのだろうか…
その後…再び手を口に当てて、先生と共に黒板に書かれたアラビア語の文章を唱えていく。
と、その時~小6の女子が入ってきた。
どうやら…保健室で注射をしてもらっていたらしい。
ここで、私は少し驚く。
このアラビア語の授業は~男子のみで行われるものだと思っていたからだ。
ムスリムの世界では、結構男女の区別が厳格で…女の人は、何かと制約が多い。
さて、そのアラビア語の先生は~子どもたちに幾つかのイスラム教についての質問をして…教室を後にしていった!
例えば~“出来るだけ肌を見せてはいけない”だとか…“モスクには出入りできない”等である。
結婚に際しても、花嫁はか“操”を守ることを求められたり~男子のみが複数の妻を得ることが、認められている。
オベロイグランドホテルから…わずか2~300メートル離れた場所では、『マザー・テレサ』の“Mission of Charity”があり、肢体不自由の子どもたちや生活力のない子ども等…世界中から死を待つだけのはずだった子どもが集められ~これまた世界中の志のあるボランティアたちが、本当に献身的な努力を続けていた。
その“Mission of Charity”に~私も足を踏み入れさせてもらう。
案内をしてくれたシスターが…私には、どう見ても10才くらいにしか見えなかった子を「この子は、実はもう20才なんですよ」と、紹介してくれた。
小さなベッドの半分に満たない体は痩せ細り、不自然に曲がった手足が伸びていた。
その子どものために~一生懸命一口ずつスープを口に運んでいたヨーロピアンのおばさんの姿が、今でも瞼に焼き付いている。
翌日…私はなんとも言えない複雑な気持ちでオベロイグランドホテルをチェックアウトし、マドラス経由クアラルンプール行の飛行機に乗るために~カルカッタ郊外の“ダム・ダム空港”へと向かった。
「何としても~生きて帰ればこの旅は成功や」と、途方に暮れていたニューデリーで考え、その通りに我がマレーシアへと帰国できそうである。
しかし…何故か心が晴れない。
もう一度考えてみる~日本人である自分の存在は一体何なのか…と。
タイプーサム等、マレーシアでインドの不思議な体験をし~安易な気持ちで今回の旅行を計画した。
インド解明…等と大袈裟な目的もあったが、今マレーシアへ降り立つ前に~そんなことはもうどうでもよく、益々インドの『CHAOS』が私の心を締め付けていった。
しかし、確かにそれだけではない。
私が目にしたものは~決して悲観的なものではなく…どんな状況であろうと逞しく生きていこうとしているインドの人々の姿。
自らの生き方を堂々と語り、自信を持って生活をしていた人たち。
厳しい環境の中でも…目をキラキラさせていた子どもたち。
そして~何と言ってもインドの貧しさに向き合い、地道な地道な活動を行っていた世界中のボランティアたち。
多くの“光”も見えたのである。
やがて、私を載せた飛行機は~マレーシアスバン国際空港に降り立った。
今回のインドでの体験を…今後の自分の生き方に活かしていくことこそがインドを訪れた者としての責務である~
そう強く心に誓って、私は元の毎日に向き合うべく~空港のイミグレを通過した…
一体~これだけの人がどこから溢れ出てくるのか、と思うくらいの人の洪水である。
車は…遠慮なく一酸化炭素を一杯含んだ排気ガスを撒き散らし、街全体をドス黒い空気が包んでいる。
歩道や道路には、人や動物の糞尿が混じった水があちらこちらに澱み~異臭を放っていた。
もちろん…辺り一面にゴミが散乱し、腐った生ものも目に付く。
牛が道端に横たわり、犬は虚ろな目で~ゴミを漁っている。
あちこちに…人が吐いたと思われる“赤い血”が混じった痰を見かけた。
10分も歩かない内に、目が痛くなり~足はドロドロに汚れ…吐き気を感じてきた。
そんな道路上に…牛と共に寝そべり、犬と同じようにゴミを漁って~道行く人に指のない手を差し伸べる無数の『人間』がいるのである。
ゴミや糞尿にまみれ、一生を道路で暮らす人たちと~豪華なサリーに身を包み、幸せそうにはにかんでいたあの花嫁…
優雅にインディアンダンスを見ながら~高級な料理を口にして、ふくよかなベッドに眠り…1万ルピーもの大金を一夜にして使ってしまう私のような日本人やヨーロピアン…
わずか1ルピーをもらうために~わざと自分の指を切り落とし、その手を虚ろな目で差し出す数え切れないほどのカルカッタの人々との想像を絶する『コントラスト』を目の当たりにし~私は何をどう考えればいいのか、わからなくなってしまった…
ヴィクトリア宮殿並みの白い大理石の上に、ふくよかな色とりどりの立派な絨毯が~敷き詰められている。
中央の天井からは~眩いばかりの巨大なシャンデリア。
シルクのタキシードに身を包んだ…ホテルマン。
美しいサリーを着こなしている、レセプショニスト。
彼らが…さっそうと仕事をこなしている。
このホテルでは、毎晩~インディアンダンスが催されているとのこと。
色とりどりの衣装を次々と替えて変身していく…ダンサーが、「シタール」「タブラ」「バンスーリ」等の楽器をバックに~リズム感溢れる踊りを披露していた。
もちろん、それを見つめる客は~私を含め…日本人とヨーロピアンばかりである。
その煌びやかなショーを見終わった後…ロビーに出てみる。
今日は、このホテルで結婚式があったらしく~見事に眩いばかりの豪華なサリーに身を包んだ…それはそれは美しい花嫁を見かけたのだ!
「来た!」~思わず叫んでしまった。
まずは…ヴァーラーナスィー行の列車が入って来たのだ。
先頭に繋がれているのは…まさしく“蒸気機関車”。
黒っぽい煙を吐き出しながら、忙しくその車輪を動かそうとしている。
中には…これでもかぁ~というほどの人の群れが詰め込まれている。
私も、この中に入っていくのか~と不安になってきた。
さらに…しばらく暗闇の中で待っていると~ようやくカルカッタ行の列車が入って来る。
その時の私には、どう見ても“地獄行”の列車に思えた。
怒涛の如く~乗客が入口を目指して押し寄せている。
順序よく並んで乗ろうとする…意識のカケラもない。
そんな人の流れに揉まれながら、寝台車の指定席を見つける。
しかし~そこはどう見ても寝れるような席ではなく、6人掛けの座席になっていた。
幼い頃に乗った日本のSLよりも、相当粗末な作りである。
私の前には…インド人の家族が、相当たくさんの荷物と共に座していた。
カルカッタへ、出稼ぎに行くのであろうか…
10:00PMになったとたん~急に周囲が慌ただしく動き始めた。
その動きを見ていると、座席の背もたれを鎖で繋ぎ~3人ずつの寝台を作っている。
何とか私もその作業を行い…2段目となっているその寝台の上に寝転がってみた。
長身の私でも、体を一杯に伸ばせたので~座っている時よりもラクであった。
でも、上下の空間は…わずか80センチほど。
窓の外は真っ暗だが~森林が広がっているようだ。
所々に小さな明かりが浮かんでいるのが見えたが…村だろうか。
たいした物も入ってないのだが~荷物のことが気になりながらも、うつろい始める。
列車が駅に止まる度に…「チャーイ、チャーイ」という大きな声で、目を覚まされた。
駅では、窓越しに物売りも寄ってくる。
中でも~インディアンティのチャーイを売る奴が一番よく目立つ。
どの駅でも、構内で寝そべっている人たちを…多く見かけた。
やはり、彼らは~駅で生活をしているのだろうか…
幾つか目の駅で目覚めた時には…もう夜が明けていた。
6:00AMだ。
座席が、元に戻される。
急に~ヒンディ語で話す人たちの声が、列車内に大きく響く。
しかし、彼らの表情がイマイチ暗く感じられるのは~気のせいであろうか…
やがて~何のアナウンスもなく…8:30AM、カルカッタのハウラー駅に到着。
~こうして、実に11時間に及ぶ生まれて初めての寝台列車の旅を…何とインドで体験し、たくさんの荷物を抱え込んだインドの人たちと共に~これまで訪れたインドの各地に比べても、まさに想像を絶するカルカッタの大喧嘩の中へと…踏み出していったのである!
今夜は、このガヤー駅からカルカッタまで~夜行列車による移動をするのだ。
これが…今思うと、よくこんな無茶なことをしなたぁと反省する。
私は、日本でも夜行列車なんぞ乗ったことがない。
まして…インドである。
治安が不安定なインドでは、夜行列車は~危険そのものだった。
8:15PM…ブッダガヤーのホテルを出発。
夜はとっくに更けていて、街灯すらないブッダガヤーの泥道は~何とか薄っすらと、月明かりで浮かび上がっている。
それが…ガヤー駅に近づくにつれ、人々の喧騒が大きくなっていった。
駅前通りは、結構広い。
小さな裸電球の下には夜店のようなものが並び~人々が騒いでいる。
その突き当たりに、ガヤー駅はあった。
車を降りて…待合室へ入っていく。
そこに展開されていた情景に~私は、全身身震いした。
待合室いっぱいの、人、人、人…
彼らは、自分の場所を確保して~寝ていた。
駅構内へ入る。
改札を探すも…そんなものはない。
プラットホームに出てみると~さっきと同じ光景が広がっていた。
様々な年齢の人たちが、思い思いの場所に寝たり座ったりして…時折、こちらに虚ろな視線を投げかけてくる。
あちらこちらで~物売りがたむろしているのも見える。
その人と人の間を縫うようにして、列車の方向へ向かう人たちの行列が続いていた。
裸電球で照らし出されたその情景は~私が記録フィルムで見た日本の終戦直後の駅の様子と、とても似ているような気がしたのである。
インドの列車は、とても時間通りに来ないと聞いていた。
同じ行列に並んでいる人々は~どこか殺伐としていて、話しかけられる雰囲気でもない。
もちろん、外国人なんていない。
おいおい…無事に列車に乗り込んで、遥かカルカッタまで行けるんかぁ?
不安は募っていった…
日本人にも…とても好感を持ってくれていて、片言の日本語や英語でよく話しかけられた。
私が宿泊していたホテルの従業員も、その中の一人であった。
彼は~自分たちヒンドゥのことについても、いろんなことを話してくれた。
やはり、ヒンドゥの人々は…一生に一度でもガンガーの水に触れたいと願い~死んだ後は、ガンガーに還ることが本望だと思っていること。
ヒンドゥの人々が最も幸せだと感じているのは~第一にFamilyと共に暮らすこと。
第二に、Earning(収入を得ること)。
第三に…『Nature』であること等、である。
こ の第三のNatureとは何なんや…?
健康であることなのか、自然に生きることなのか~よい性格を求めることなのか…
結局よくわからなかったが~Natureという単語に、ヒンドゥの人々の幸福感を解く鍵が隠されているのかもしれない…そう感じた!
実は、ブッタガヤーに住むインド人のほとんどが…ヒンドゥ教徒である。
貧しい暮らしをしているそのインド人の子どもたちは~何と仏教寺院に集まって勉強をしていた。
タイ寺では…たくさんの子どもたちが、仏教僧の後について、お経を唱えている。
日本のお寺では、何と…3~5才の子どもたちを集めて、『幼稚園』を開いていた。
もちろん~全て無料奉仕である。
私がその幼稚園を訪れた時は、ちょうど“おやつの時間”で…50人ほどの子どもたちが、簡単な飲み物とビスケットを先生たちから配ってもらっていた。
食べ始める前に~「いただきます!」と、日本語で言ってたので…ビックリ‼︎
この幼稚園では、ヒンドゥ語で~英語と日本語を教えている…とのことであった。
さて、その日本寺の周りには~このお寺を建てるにあたり…お金を寄付した日本人の名前が、ずら~っと石柱に刻まれている。
インドの子どもたちの世話をしていた先生たちや事務の人、そして食事を作っている人も~全てインドの人であったことが、“金だけ出す日本人”の象徴に思え…それを眺めているだけの自分も含めて、とても恥ずかしくなった。
ブッタガヤーには~もう一つの日本寺と、さらに日本人が金を出して建てた大仏があった。
もちろん、どちらの建物の周りにも~寄付者の名前が刻まれた石柱が並んでいる。
インドで~寄付者の名前を連ねているお寺は、日本寺くらいのものだろう。
そして、それらの寺を目指してやって来るのが~日本からの観光ツアー客である。
彼らは一流ホテルに泊まり…インド人から「Sir」「Madam」等と呼ばれ、いい気になって金を落とし~お寺の写真だけ撮った後、観光バスや飛行機で去っていく。
一体~誰の幸せのために、『日本寺』は建てられたのだろうか…
ブッタの目に、日本人ブッディストは~どのように映っているのだろうか?
ブッダガヤーで最も目立つ真新しい大仏、そして自分の姿さえも、全く薄っぺらいものに見えた…


