いよいよ小学生となった長女は~学年を重ねるごとに、経験を深め…成長していく。

相変わらずの怖がりと何事に対しても慎重な面は変わらなかったが、それが…逆にいい面にもなり~プラスに作用していった。

もう一つ~彼女の凄いところは、根気強さ。

やらなければならないことややろうと決めたことは…最後まで諦めず、コツコツと取り組んだ。

やがて~彼女は高学年になり、何事にも引っ込み思案だった性格を大きく覆す程の…衝撃の出会いを果たす。

『マーチングバンド』との出会いである。

彼女の通う“J小学校”は、マーチングバンドに力を入れていて~その実力は、全国レベルであった。

もちろん…その練習は厳しく、毎日放課後の時間に加え~土日や長期休業中も、ほぼ休みなく練習は続けられていく。

最初は戸惑っていたものの~顧問のI先生の素晴らしい指導もあって…彼女は、精一杯やり抜いていった。

努力は結果を裏切らない。

J小学校のマーチングバンドは…市内はもちろん~県大会でも大きな評価を得、全国大会へも何度か出場し~素晴らしい成績を収めた。

当初は~全くその音さえ鳴らすことができず…泣きそうになっていた長女も、日毎に腕を上げていった。

東京の武道館という大きな舞台で…トロンボーンを吹く姿は、実に堂々としていて~光り輝いていたのである!
心臓の病気であった。

おじちゃんは~復活を信じて、手術に臨む。

しかし、その願いは叶わず…意識不明の状態が続いた。

おばちゃんは~懸命な看病を行った。

母も、そのサポートを続ける。

しかし~その祈りは届かず…平成11年12月31日~大晦日の日、おじちゃんは還らぬ人となる。

私はその夜…病院に駆けつけ、必死の呼びかけを行ったが~元旦の朝早く午前5:30、おじちゃんは静かに息を引き取った。

程なく~おばちゃんも病に倒れてしまう。

おばちゃんが、最後に頼りにしたのは…自分の妹でもなく~同じ村の親戚でもなく、母であった。

母は~おじちゃんに対してもおばちゃんに対しも…実に献身的に看病を続けてきた。

それは、おじちゃんが“後を継いでほしい”という意思に応えられないから…ということではなく~心からの愛情を注いでいたのだ。

そうは捉えなかった人たちがいる。

それは、おばちゃんの妹夫婦や同じ村の親戚…

彼らが欲しかったのは~おじちゃんが所有していた、膨大な不動産だったのだ。

もちろん、その中には…私達兄弟が幼い頃~『夢の国』だと感じていた、あの“店”も含む。

おばちゃんも~おじちゃんと同じ想いを抱いていたのだろう…

後のことは、誰よりも全て母に任せたいとの強い気持ちで~その準備を進めていった。

まもなく…おばちゃんも『危篤』。

そして~おじちゃんの後を追うように、ほぼ一年後の…平成21年1月6日~おばちゃんも静かに息を引き取った。

奇しくも~二人の享年は、どちらも「89」…

様々な波乱万丈のドラマを経ての…『大往生』であった!
幼児グループを卒団した長女は~身に付けた自信を持って、次のステージへと進んでいった。

元々怖がりで…慎重な性格は変わらず。

キリスト教系の保育園に進み~大きな集団の中で過ごすことで交友関係が広がり、仲の良い友だちが増えていく。

音楽発表会や劇の発表をすることで…どんどん経験を深めていくことができた。

何よりも~キリストの教えが保育の“芯”になっていたので、安心して預けることができた。

幼稚園は…地元のJ幼へ。

そこでは~地域の子どもたちとの交流により、さらに人間関係が広がっていった。

運動会や季節の行事を体験していくことにより…彼女の感性は磨かれていく。

中でも、彼女が熱中したのが~『一輪車』。

その上達ぶりには…ホント驚いた!

こちらがビックリするような技を~次々とマスターしていく。

この一輪車との出会いが…彼女の自信を一段と高めていった。

そして~いよいよ長女は、『義務教育』の場へと踏み出していく!

R56を~いよいよ『高知』へ。

その国道沿いの小さな喫茶店で~Coffee Break!

スポーツ新聞に目をやると…「伊野商」が、「PL学園」を破って凱旋したことを~大きく伝えていた。

高知代表『伊野商業高等学校』は、ここからすぐである。

そのスポーツ新聞は~松田聖子が神田正輝と婚約したことも…大きく報じていた。

「そんなアホなぁ…聖子は郷ひろみと別れたとこちゃあうんけ~高知の新聞やから、嘘ばっかり書いとんちゃあうんけ!」

~喫茶店のおばちゃんに、睨まれた…

高知市街に辿り着いた頃…すっかり暗くなっていた。

21:20発の大阪行フェリーに乗る必要があったので~我が尊敬する“坂本龍馬”の生まれ育ったこの町を味合うことができないまま…高知港へ。

フェリー乗り場の近くにあったレストランで夕食を食べ、神大経済学部くんと一橋くんに別れを告げた。

再び~3人の生まれ故郷であるH市で再会することを願って…

夜の出航は、実に感動的であった。

4月から社会人・大学生として大阪に出ていく者と~高知に残って見送る者…紙テープを握り合い、様々なドラマが展開されていた!

フェリーが動き出し…紙テープが切れる頃~はしゃぎ回ってた奴らの瞳は濡れている。

俺も、心の中で呟いた~「僅かな心のページに隙間なく想い出を描いてくれた四国よ~“GOOD LUCK!”」

フェリーの中では…電通大のSR400氏と知り合いとなり~退屈しなかった。

彼の九州ツーリングの話や俺の北海道の旅のことを…遅くまで話し込む。

4月10日~一人で起きることにやや不安はあったが、目覚めはよかった。

予定通り…大阪南港着。

今日は、『ソロ』で走らなければならない~完全に自らが責任を持っての“走り”である。

R26から…R43へ。

意外に早く~六甲に着いた。

実習説明会は、13:30から。

まだ~9:00…

神大経済学部くんがファンクラブを作っているという…『喫茶スヌーピー』で、モーニングを食す。

薬師丸ひろこ似だということで~同級生から絶大な人気を誇っていた“Yちゃん”に電話をしてみると…「リクルートのバイトに行く」というので、同行することにした。

三宮のリクルートビルには…Hソン、Kヤ、Mヤマ達も来ている。

高知港で買った~うまくもない土産を渡し、久々の再会を楽しんだ。

説明会に出席するも…その出欠は確認されるが、たいした内容ではなかった。

神大からH市までは~慣れてるコースだ。

すっかり日は暮れてしまっていたが…スムーズにツーリングのエピローグを満喫することができた。

途中、新入銀行員バリバリのHモトの家に寄り~土産話をする。

お好み焼きを出してもらったことで…長居してしまい、我が家に辿り着いたのは~23:00頃。

Z250FTを車庫に入れ~俺は今回のツーリングにおける一番の立役者であるこいつに感謝しながら、ゆっくりとエンジンキーを『OFF』にした…





俺も~海中公園というところは初めてだったので、とても期待していた。

ところがどっこい…

よっぽど我がH市立水族館の方が、おもろいで~(入場料70円やし…)

“竜串海中公園は、しょうもない”というのが…俺達の見解であった。

さっさと竜串を後にし~足摺へ。

土佐清水から足摺へは、三通りの行き方がある。

「西廻り」「東廻り」~そして、岬の中央を走る「足摺スカイライン」だ。

西廻りの道はやや細く…かなりの距離を感じる。

神大経済学部くんのRZRが先頭を走っていたのだが~走ることに夢中で、岬の先端を通り過ぎてしまった。

足摺の海岸は…多くの岬が入り組んでいて~どれが足摺岬なのか、見分けにくいことも確かである。

大堂海岸の『ワビ・サビ』的感動に比べ、ここ足摺は~あまりにも“観光地化”された…明るい雰囲気であった。

それにしても、暑かった。

汗だくになりながら~遊歩道を…「灯台」「展望台」「ジョン万次郎の銅像」と一周した。

岬の駐車場で出会った“関東のVT250F氏”と“京都のGPZ400氏”とで、近くの食堂でランチを食す。

VT250F氏は~愛車にテントを積んでいて、野宿体験のことを話してくれた…凄い奴だ!

GPZ400氏は~会社を辞めて、日本一周を目指していることを話してくれた…凄い奴だ!

東廻りで帰るVT250F氏に別れを告げ、我らは…GPZ400氏と、足摺スカイラインから帰ることにした。

さすがに有料スカイラインだけに~すばらしく整備されていて、とても走りがいがある。

当然、悲しいことに~RZR、VT、GPZにFTはついて行けなかったが…

途中の展望台で…GPZ400氏と別れを告げた~GOOD LUCK!

再び~R312を東へ。

ようやく暑い陽射しも東へ傾きかけた頃…大きく、そしてすばらしく美しい川の土手に出た。

~『四万十川』だ!

その名称故に、大変印象深い川であった。

一体~その由来は、どこから来たのだろう…

そんな想いで…四万十川川の豊かな流れを横切っていった!
















長女が生まれた時は、この上なくうれしく~感動した。

“この子のためなら…命さえ惜しくない”と、心から思う。

彼女は、生まれてからも~その光で…周囲を照らし続けるのだが、3才の時から…『幼児グループ』という、友の会がボランティアで行っている~幼児教育の教室に通うことになった。

その教室が、結構厳しい。

自分でできることは~全て、自分でしなければならないのである。

「食事」「着替え」「トイレ」「一人寝」「動植物の世話」等…ひとり立ちのための生活力を高めるための日々の活動は、全てである。

彼女は~泣いた。

特に、糞の始末が苦手なため…“動植物の世話”と~寂しがりやだったため、“一人寝”の取り組みができにくかった。

しかし、彼女は歯を食いしばって耐え抜いた。

その後~4才を迎える。

お姉さんになって、3才児が入ってくると…彼女の自信は~少しずつ高まっていく。

様々な発表の場でも…長女の堂々とした姿が見られた。

その姿勢が~眩しい。

そして、ついに…彼女は卒グループの日を迎えたのである!

4月9日~YH周辺を少し散歩した後、出発。

大堂にある野猿公園に寄って…俺達は、大堂海岸に別れを告げる。

それにしても、大堂はよかった。

何もない所なのに…なぜよかったのか~不思議である。

しかし、この旅を続けていくと~その理由が次第にわかってきた。

何よりも観光地されず~『土地のにおい』を感じることがでさたから…

今日も快晴…FTのエンジンも、快調だ。

再び~R321に戻り、いざ西へ…

昨晩、悩んだ挙句…今夜、“高知発大阪行フェリー”に乗って~神大に行くことにする。

大月町を出る頃~先頭を行く一橋VTが、急にブレーキをかけて…速度を落とした。

ふと…前を見る~パトだ。

このツーリングに出かける前から~今週が「交通安全週間」であることは、承知していた。

ある程度の…覚悟はしていたものの~これまでは、全くポリに出合わなかった。

何と~3台とも停車するよう言われたので、“ついに”という思う気持ちと…“そんなスピード出しとったっけ”という思いが、複雑に交錯する。

何にしても…我々ライダーの『敵』であるポリのおっさんを見やると、その横におばちゃんが立っていた。

そして~交通安全のタスキを身に付けたそのおばちゃんは、「気を付けて!」と手を振りながら…何と“ヤクルト”を渡してくれたのだ。

こりゃ…一本取られたわい~とても穏やかな気持ちになった我々は、海の見渡せる…静かな場所で、おばちゃんに感謝しながら~ヤクルトをいただいたのでした。

大月町から竜串へ向かうR321は、とても空いていて~景色もよく整備されていた。

その道を…我らは快調にバイクを走らせていった。

「この調子やと~竜串まですぐやなぁ…まるでプライベートサーキットやなぁ」と、調子よく飛ばしていった。

まず…センターラインがなくなり、道がどんどん狭くなっていく。

道の左側に~何やら時刻表みたいな物が目に付き、「何やろ」と思いながら…通り過ぎた。

その先は~「これでも国道かぁ」と、疑いたくなるような道が続いていた。

そして…次の瞬間、信じられないような場面遭遇する。

崖っぷちにつくられた~まだガードレールも付けられてない細い国道が…工事中のため、『通行止』になっていたのだ。

うそやろぉ~

さっきまで、サーキットみたいな道走っとったのに~その先が通行止なんて…

一瞬目の前が真っ暗になったが、通行止の旗を持ったおばちゃんの話によると~通行時間が決まっていて、その時間になれば通れるということであった。

『ワチャー!』…さっき道路脇に設置されていた時刻表は、通行可能時間表やったんやぁ~

次の通行時間まで、まだ30分以上ある~時刻表を見ながら…我らはため息をついたのです。

しかし~汗ばむ程に照りつける太陽の光の中で、広大な太平洋を眺めている内に…とても穏やかな旋律が体中に響き始めた。

「おまえら…小さい小さい」~太平洋が語りかけてくる。

ようやく~半通行止の道を抜けて…竜串へ。

一橋くんが行きたがっていた~海中公園が見えた!








新しい職場には~残業がない。

休日出勤も…ない。

これまでで、全く初めての経験である。

でも、それはきっと今の仕事を深いところまで理解してない~ということもあるかもしれない。

すると、特に休みの日に…これまでは考えられなかったほどの自由時間が生まれてしまう。

この“自由時間”なるものが~結構厄介なのだ。

もし、自分の体が元気ならば…一人でも計画を立てて、あちこち出かけていくかもしれない。

しかし~今の心の状態は、ズバリ『無気力』。

時間があっても…鬱々としてしまいがちになる。

私の弟は~すごい。

弟ながら、尊敬する点がわんさかある。

そのひとつが…時間があれば『登山』。

彼は、既に兵庫県のほぼ全ての山を制覇し~今は二巡目に入っているほどらしい。

さらに…重い障害がある子どもを、山に連れていく活動の中心にもなっている。

そんな彼が、今の兄の状況を心配し~時折山へ誘ってくれるのだ。

今日も…昼頃から出かけ、波賀町まで車で行き~そこから簡単に頂まで行ける山へ連れていってくれた。

もちろん、私の体力を考えて~片道はわずか20分程度。

それでも…そこは、宍粟50名山第48番目にも指定されていた『城山(標高458m)』という山の山頂であった。

しかも、その山には~「波賀城」という小さいながらも、結構立派な二層造りの城が建てられていた。

何でも、この城は…弘長年間に波賀七郎という人が築城し~13世紀中頃から戦国時代にかけて、中村氏が城主となっていたらしい。

その城を見上げながら~霧雨の中の遊歩道を一歩一歩踏みしめていく。

ようやく城に到着しそうになった頃…急に眼下に波賀町のパノラマが開ける。

素晴らしい眺めだ。

波賀城の内部をのぞいてみると~そこは、資料館になっていた。

城山の山頂は、城からもう一段上った場所にあった。

その脇にあった神社に…お参りをする。

こんなところまで来れたことと弟の好意に感謝した。

後、何度『山頂』と呼ばれる場所に立てるだろうか…

そんなことを考えながら~城山を後にした!

その後も~おじちゃんは、私達兄弟に跡を継ぐよう…再三訴え続けた。

しかし、私も弟も…それぞれ家庭を持ち~それぞれの地で生活を確立してしまっている。

おじちゃんの願いを叶えてあげることは…どんどん難しくなっていった。

私や弟に頼んでも無理だと感じたおじちゃんは~その矛先を全面的に母に向けていく。

息子達が出来ないということを…母が承知できるはずがないのだが、母は辛抱強く話だけは聞き続けていたらしい。

そうしている内にも~時間だけは、刻々と過ぎていく。

当たり前のことであるが、おじちゃんもおばちゃんも…年をとっていった。

そして、そして~ついに恐れていた事態が訪れてしまう。

おじちゃん~『危篤』…

JSKLに赴任して~一年目は、海外に出られない…という決まりがあった。

そんなルールはなかったのだが、余りにも世界中の職員が…最初の年から海外に出まくっている現状から~作られてしまったらしい。

もちろん~私もそのルールに従い、一年目は大人しくマレーシア国内を旅し…その見聞を広めることに徹した。

そして、いよいよ二年目になろうとする春休み~ついに『海外』が解禁となったのである。

さて~どこへ行くべしか…

本当は、いきなりインドやエジプト等…ワクワクドキドキコースを選択したかったのであるが~結局決めた行き先は、“Austraria”。

世のバックパッカーからは~その弱腰を怒られそうな選択である。

しかし…この時の私は、正に「言語コンプレックス」の真っ只中であった。

まずは~オーストラリアくらいを個人旅行して、自信をつけたかったのである。

さらに、もう一つオーストラリアを選んだ大きな理由がある。

パック旅行は論外だが…個人旅行にしても、“観光”に終始する旅はしたくなかった。

テーマは~いかに現地の人たちの懐に深く入り込むか…ということ。

それを達成するための…最高の情報がもたらさせた。

JSKLの同僚である“Sさん”が、学生時代ワーホリでオーストラリアに住んでて~何とファームステイをして働いていた…というではないか!

さっそく…Sさんに話を聞くと、その時日本の学生が農場で働いているということで、現地の新聞に取り上げられたその記事を見せてくれたり~ファームステイをしている時の詳しい話を教えてくれた。

~これや!

私は、さっそくその農場の住所を聞き出し…ファームステイ依頼のレターを書き始めたのである。

もちろん~辞書を片手に…心を込めて。

そのレターを投函。

考えてみれば…日本以外にエアメールを送るのも初めてである。

祈るような気持ちで~待つ、待つ、待つ…

そして…ついに、そのホストファミリーであるMrs.JAMESから返事が届いた。

手紙には、もちろん受け入れるし~私達夫妻もうれしい…楽しみにしている旨と、ファームまでの行き方や待ち合わせ場所等が詳しく~しかも丁寧に書かれていたのである。

最早~自分に対する弱腰批判等全く消え去り、私の『情熱大陸』へのテンションは高まるばかりであった!