翌朝、午前6:00起床。

頂上アタックに出かけたのだろう。すでに同室だったヨーロピアンたちの姿はない。

小屋の外に出てみると、晴天の空がうっすらと明るくなりかけている。

紛れもなく~『日の出』間近であった。

周囲の山々のシルエットとその上にかかる雲の色が、徐々に姿を現しつつあった太陽の光を受け、刻々と映り変わっていく。

その幻想的な一大パノラマショーにしばし心を奪われた…。

あのヨーロピアンたちは、まさに今、LOWS'PEAKからこの景色を眺めているのであろう。

自分としては(予定外の)3322メートルの“DAYBREAK”ではあったが、十分過ぎるほどの感動体験だった。

やはり…、地獄の苦しさを差し引いても、なお余りある魅力が~キナバルにはある。
結局、その日は時間的に(それよりも体力的に)麓まで下りることを断念し、ラバン・ラタの小屋でもう一泊させてもらうことになる。

小屋には、翌朝頂上アタックする登山客が次々と到着していた。

それにしても、改めてそれらの登山客を観察してみると、どの人も服装や装備がすごいっ!

さらに気づいたのが、観光地との大きな違い。

~見事に『子連れ』がいないのだ。

再度、Tシャツ・短パン・テニスシューズといういで立ちで、ピクニック気分で登ろうとしていたことの甘さを反省。

予定外の宿泊だったため、ヨーロピアンの団体客の部屋へ押し込まれ、その夜は死んだように眠った…。
よくこんなところを登ってきたなぁ~と何度も思いながら(あきれながら)…、何とか命からがらラバン・ラタの山小屋へ到着。

その時、時刻は午後3時半~とてもじゃないが、日があるうちに麓まで降りる時間はない。

What shall I do?

途方に暮れながらも、私は、とにかく食堂で手に入れたいものがあった。

それは、夢にまで見た~“COLA”。

私はダリンシンと共に、ゆっくりと味わいながら飲んだ。

それは、それまでの人生で飲んできた数え切れないほどのコーラの中でも、『最高の味』だったのである。
予想通り…、LOWS'PEAKからRABAN RATAまでの下山さえ、非常に苦しいものだった。

「ヘリコプターで降ろしてくれへんかなぁ。」「いっそスキーで滑って降りれたらラクやのになぁ。」

そんな思いが何度もよぎる。

疲労とともに、切実だったのは喉の渇きだった。

あかん…このままやったらホンマ命にかかわる。

“Saya… henda… air…”(み~ず~を~く~れ…)

どうしようもなくなった私は、とうとう無理を承知でダリンシンに訴えた。

すると、彼は辺りに捨ててあったオレンジジュースの空き缶を拾い、いずこかへ消えていった。

はたして…、彼が持ち帰ったそのオレンジジュースの空き缶の中は、水で満たされていたのだ。

その飲み口に干からびたオレンジがこびりつき、その水も決して澄んでいるとは言い難いものであったが…、私は一気に飲み干した。

その時の自分にとっては、まさに聖なる“命の水”だったのである。
「では、みなさん目をつぶってください。今から私が言う言葉をよく聞いてくださいね。」

「あなたは、今森の中を歩いています。どんどん進んでいくと、突然目の前が開け、そこには大きな湖があり…ませんでした。」

「はい、今の話を聞いて大きな湖が頭に浮かんでしまった人はどのくらいいますか。」

~はたして…、ほとんど受講生が手を挙げた。

特に、発達障害がある子どもへの指示は『肯定文』を使うべし~とされる。

例えば、“ろうかを走るな”よりも“ろうかは歩きなさい”が望ましい。

それは~「走るな」だけでは、具体的にどうすればいいかがわからないからという理由に加え、否定文はどうしてもそのまま叱責の言葉になってしまう。肯定文は、ほめ言葉になりやすい~という理由がある。

私は、研修会等でそう伝えてきた。

が、先日の研修会講師の先生から、さらなる理由を教えられた。

英語をはじめ、世界の多くの言語は、主語の次に来る言葉によって「肯定形」か「否定形」かがわかる。だが、日本語という言語は、文の最後の最後でやっと肯定形か否定形かがわかるのである。

大きな湖があり→ません、と続ける前にすでに大きな湖のイメージは出来上がってしまっている。ろうかを走る→な、と続ける前に、すでにろうかを走るイメージはできてしまっているのである。

最後まで話を聞きにくいADHD系の子どもやイメージができてしまうとそれがインプットされてしまうPDD(ASD)系の子どもにとって、結局正しいルールが守れないことに繋がってしまう。

ここにも、“肯定文での指示”の大きな意義があった。

このことを丁寧に教えてくれたのは、徳永佳子先生。情熱が溢れ出てるような~なかなかの先生だった。

しかし、彼女のすごさは、『性教育』の中にこそあったのである。
入口があれば出口がある、表があれば裏がある、始まりがあれば終わりがある…。

~そう登山があれば(そのまま遭難しない限り)『下山』というものがあったのである。

そのことに気づいてから、下山のことで頭がいっぱいになる。

はたして、この体力であのとてつもない距離の山道を下りれるのだろうか…。

そうしている間にも、時間は刻々と過ぎていく。

その夜は、キナバルのふもとのホテルを予約していた。

時計を見ると、その針ははや午後2:00を過ぎようとしている。

焦る気持ちを抑えられず~私は、東南アジア最高地点から重い重い腰をあげたのである。
すると、なんと東南アジア全体が見渡せたぁ~はずがなく…目に入ったのは、一面の真っ白な“霧”のみ。

今朝早く登った人たちは、ここから美しい朝日を眺めたのだろう…。

それにしても、ひたすら静かだ。物音ひとつしない。

見渡す限り、生命体はダリンシンと私のみ…。

へたりこんで~動けない。

時間が経つにつれ現実の疲れが蘇り、周囲の景色と同じく、頭の中も真っ白になった。

すでに登頂の感動は消え去り、強烈な疲労感で何も考えられなくなる。

どれくらいの時が経っただろう…。

やっと、脳が少しずつ機能し始め~ほどなくその脳がつぶやいた。

「登山があれば下山があるんやで~。」
海抜4101メートル。

Mt.FUJIさえ登ったことがなく、これまでの登山最高は811メートルの雪彦山であった。

その雪彦の山頂より5倍以上の地点に~まさか、自分が立つことになるとは…。

後で知ったことだが、Mt.KINABALUは、登山を趣味としている人たちにとっては、かなりの憧れの山だということ。

誠に申し訳ないことに、私は~ついこの間までキナバル山の存在さえ知らなかった…。

そんな山があるなら、ちょっくら登ってみようか~とまるで裏山に登るような“ノリ”での挑戦だった。

しかも…、短パン・Tシャツ・テニスシューズという“いで立ち”で~完全にナメているとしか言いようがない。

その『つけ』がとてつもなく大きかったことをしみじみと振り返りながら…、4101地点から、私はゆっくりと下界を見下ろした。
「せーの」→一歩、「せーの」→一歩、「せーの」→一歩…。

一歩ずつ自分でかけ声をかけなければ、前へ進めない。

「よし、まずは中間点の岩まで到着したぞ…次は、本当のラストアタックや~っ。」

いよいよ、目前に迫ってきた頂点を朦朧としながら見据える。

と、その記念すべき場所らしきところに誰か立っているではないか。

またまた幻かと思いきや…ダリンシンだった。

私がもがいている間中、彼は、特に急がせるわけでもなく、かと言って手を貸してくれるわけでもなく、一定の距離を保ちながら、ずっと遠目にこちらを見ていた。

そして今も、いつもの如く、ポケットに手を突っ込み、飄々とした表情でこちらを見下ろしている。

まぁ、そんなことより、ちょっとでも前進していかな~。「せーの、せーの、せーの…。」

ゴール前のバカ力だろうか~最後の最後のラストアタックは、やや早いペースで進んでいった。

そして~、

午前10時過ぎにラバンラタの小屋を出発してから実に3時間半が経過した、その年の12月29日午後1時40分~

ついに、ついに、その地点に辿り着く。

『この地点こそが、東南アジア最高点である』~目の前に、そう書かれた粗末な看板が立てられていた。

「よし、よし、よし、よ~~~~~し!着いたぞぉ!!!」

“Sampai Suda,Hiro”(やったなぁ、ヒロ) さすがのダリンシンも表情を崩して、声をかけてきた。

“Terima kasih,banya”(ほんま、ありがとう!)

思えば、ダリンシンの決断とサポートがあってこそ、ここに立つことができた。

もちろんそこにはコーラはなかったけれど…、最高の達成感という潤いで、体と心は満たされた。

何度も何度もあきらめようとしたここに至るまでの長い長い道のりが頭をよぎり、熱い熱い思いが目頭を濡らしていているように感じた。

“Kita iarah sampai suda!(We got it!)”

海抜4101メートル~二人きりのアジア最高峰の地で、二人は固い固い握手を交わした。
フラフラになりながらも~ひとつ目の大きな岩を越え、ゼエゼエと虫の息になりながらもふたつ目の岩も越え…、その坂を一心によじ登っていった。

悲鳴をあげている体をつき動かしているものは、“頂上にあるはずのコーラが飲みたい…”という『妄想』。

そして、あと5メートル。

そのわずか5メートルが、その時の私には簡単ではない。

よし、ここからまずはあの途中の岩まで行き、そこで小休止した後、一気に頂点をめざそう!~最後の5メートルを2回に分けてアタックするイメージトレーニングを行った。

もちろん、“頂上で美味しいコーラを飲んでいる自分の姿”もイメージされていたことは言うまでもない。

空気も意識も薄らいでいく中で、最早何がリアルで何が非現実かもよくわからなくなっていた。