マレーシアは~1980年代に入ってから、日本に大変大きな影響を受けました。


25年前...『上を向いて歩こう』という歌が流行りましたが、当時小学生だった私は~その歌を聞くと日本の東洋的なイメージが甦ります。


私の家では、ヨーロッパ製の車を購入しました。


“日本車は缶詰で作られているよ”という噂を聞いたからです。


しかし、今や「冷蔵庫」「カメラ」「エアコン」等の90%が日本製です。


日本製の車も~2年程前からどんどん値段が上がってきました。


日本人がマレーシアに押し寄せるようになってから、食文化も随分変わりました。


1970年には『竹葉亭』という日本食レストランしかなかったのですが、今や街には「すし」や「納豆」等日本食があふれています。


日本語を勉強する人も増えてきました。


日本の会社に入りたいからでしょう...


日本人は~第2次世界大戦が終わってから一生懸命働いてきました。


ただ、日本の若者は西洋の文化に夢中になっているようです。


私は、週に3時間~3年半日本語の勉強を続けてきました。


でも、やはり文法が難しい。


ただ~日本語は楽しいです。


将来は...日本語の教師か通訳になりたいのです!

私は、マラッカがイギリスの植民地になったことをきっかけに~自分たちの労働力や資源について考えるようになりました。


それらの力や資源を...自分たちのために使いたいと思う人が増えてきたことは確かです。


それから、マレーシアは必死で能力のある人を外国へ留学させてきました。


その結果~「高層ビル」「架橋」「プロトンサガ」等、やっと自らの力を世界に誇れるものを作れるようになってきたのです。


一方、私は休みの日に日系デパートであるヤオハンに買い物に行くのですが~排気ガスがひどかったり財布をすられたりすることがあります。


しかし...マレーシアの豊かな自然のことを忘れてはいけないとも思います。


田舎は大気汚染はほとんどないし、泥棒もいません。


『都会』と『田舎』を比べると~それぞれいい所と悪い所があるように思います。


ただ、田舎でも“ジョホールバル”“サラワク”“サバ”等~自然破壊が進んでいる地域もあります。


私は、「近代化」と「自然保護」はうまくバランスを取ってほしいと願っています。


産業は発展してほしいのですが~自然を大切にする心も忘れないでほしいのです。


私は...将来是非日本語の教師になりたい。


そのために毎日1時間前後の勉強を行っています。


今日、このスピーチコンテストに出たのも~その“夢”のためです!







私は、言語を学ぶことはとても大切だと思います。


言語を学ぶことは~強い意欲を持たなければなりません。


日本語には、『ひらがな』『カタカナ』『漢字』があります。


特に~漢字には複数以上の読み方をしなければなりません。


文法も難しいです。


副詞の使い方は困難で、例えば「だんだん」と「どんどん」の区別等ができにくいのです。


しかし、練習することが何よりも大切です。


私は~日本人の友だちと手紙のやり取りをしたり、漫画を読んだりしています。


このスピーチ大会に出たことも、日本語の力を高めたいという思いからでした。


どうして日本語の勉強をしているのかとよく聞かれますが~“日本の大学に留学したい”“日本人の社会の中で生活してみたい”という理由が一番です。


第2次世界大戦の後、日本は奇跡的な発展を遂げましたが~その秘密を知りたいのです。


ただ、日本の会社では...残業が当たり前で、家族と過ごす時間が少ないことが残念です。


日本のことでビックリするのは~バスや電車等の時間が正確で、サラリーマンの人たちが遅刻をしないということです。


だから、日本人の好きなところは仕事を一生懸命するところですが~嫌いなところは休まないで仕事をしてしまうところです。


私は、もっともっと日本のことを深く知って~国際交流や世界の平和のために役に立ちたいと思っています。


ここまで日本語が話せるようになったのは、マラヤ大学で1年間日本語の勉強を頑張ったからです。


今のところ、漢字は毎日書いて練習し~1000語くらい覚えました。







マレーシアへ赴任して~私が気になっていることがあった。


それは、マレーシアの若者たちが...日本のことをどう捉えどう考えているのか?またその評価はどうなんだろう~というものだ。


もちろん、JSKLのスタッフや英会話の先生たち~旅で出会った様々な人たちにその点を聞いていったが、私はさらに広く深く意見を求めたかった。


そして~その絶好の機会がやってきた。


1990年9月2日...リージェントホテルのボールルームで、『日本語スピーチコンテスト』が開かれるというのである。


果たして、マレーシアの若者たちが~日本のことをどう語るのか...


私は~ワクワクしながらそのホテルへと向かった。


会場に到着すると10人余りの若者が、緊張した面持ちで自分の順番を待っている。


私は、その一人一人の顔を順に見つめていった。


その瞳は~キラキラと輝き、しっかりとマレーシアと日本を見据え...自分の将来と国の未来についてのことを真剣に考えていこうとする想いがひしひしと伝わってくる。


私は...その心意気に圧倒されながらも、益々彼らの熱い考えを聞くことが楽しみになってきた。


ここで、自らのことを振り返る。


果たして~自分はこのくらいの年齢の時、こんなに真剣に自らのことや国の将来のことを思い巡らしていただろうか...と。


そう考えると、彼らのモチベーションの大きさに圧倒され~その志の高さに心打たれずにはいられなかった。


そして...『THE 6TH JAPANESE SPEECH CONTEST』~開始のベルが打ち鳴らされた!



マレーシアの人たちは~異なる価値観を持つ人々が存在しているので~常にその生き方や考え方をぶつけ合っている。


自分の意見をしっかり主張していかないと、相手の価値観にすぐ呑み込まれてしまう...厳しい現実があるからだ。


でも、その主張をお互いにどこまでも曲げなかったら...最後には宗教のからんだ悲惨な戦争になってしまう危険性もあるだろう!


だから~お互いを主張しながら,,,その議論の中で、“譲れることは何か?”“譲れないことは何か?”ということを~探っているのだ。


「国教をイスラム教にするけど信教の自由は認めよう!」「制服は決めるけど宗教的なことには配慮しよう!」「みんなでおやつは食べるけど食べ物はそれぞれの宗教に応じたものを選び自分で決めよう!」「ヘルメットの着用はしないといけないけど“ターバン”もヘルメットとして認めよう!」~等というのも...全てお互いに意見を主張し合った上で、『互いの立場を尊重し合った』後、生まれてきたものだと言えよう。


このプロセスを大切にしていくことで~互いの民族が共存できているのだ。


私は、このマレーシアの挑戦こそが~日本における国際理解を進めていくための、“大きな指針”になるのではないかと思う。


私がマレーシアに住んでみて一番学べたことは...互いに理解し尊重し合うためには、『互いに議論ができなければいけない』~ということです。


議論するためには、自分の意見や考え方をしっかりと確率しなければなりません。


国際理解をめざしていくためには~外国に行ってみることや外国の文化に触れることも必要でしょう。


外国語を話すことも、求められていくかもしれません。


しかし~その前に一番大切なことは、しっかりと主張できるだけの自分の考え方や生き方を磨き...しっかりと自己を確立していくことではないだろうか!


日本では~やっと異文化にも目を向けようとする国際理解の重要性が叫ばれ始めた。


しかし、マレーシアでは...毎日の生活の中で、全ての人々が異文化と向き合わざるを得ない環境にあり~嫌でも「異文化理解」「国際理解」を進めていかないと、国の中でさえ大変なことになってしまうのだ。


では~こんな考え方・生き方が違う民族同士を、国はどのようにまとめていこうとしているのか?


基本的には、その『違いをできるだけ尊重し合っていこう』とする姿勢を感じた。


例えば~マレーシアの国教はイスラム教と決められているが、信教の自由は認められていて...マレーシアのいたるところに、モスクとヒンドゥ寺院、仏教寺院が混在している。


公立学校には制服があるのだが~子どもの宗教によって違いが認められている。


イスラムの女の子は肌を見せない方が望ましいため...信仰の強さによってスカーフをかぶっていたり、スカートの丈が長かったりする。


また、マレーシアの学校は半日で終わるために~お昼ご飯は食べないが...“リハット”と呼ばれるおやつタイムがある。


もちろん~この時に子どもたちは全員簡単なお弁当を持って来たり、学校にある食堂で自分の食べられるものを買う。


それだけ宗教による食べ物の違いが明確になっていて、日本のような給食による食事の統一ができないのだ。


マレーシアでも~もちろんオートバイに乗る時にはヘルメットをかぶらないといけないが、何とインド系のシーク教徒だけは...ヘルメットの代わりに頭に“ターバン”を巻くだけでいい。


ターバンだけでは、どう考えても意味がないような気もするのだが~これも『違いを認め合って共存していく』ために考え出されたことのようだ。


また、マレーシアの人たちは~自分の意見をしっかり持ち...しっかりと主張してくる人が多いことがわかってきた。


例えば...私は湾岸戦争の時~マレーシアにいたが、日本が何兆円というお金を支払った時...JSKLの普段はとても温厚なマレー系のスタッフが、私にすごい剣幕で迫ってきた。


「何で~日本はイスラエルと戦おうとするイラクをつぶすためのお金を支払うのか?」と言うのだ。


そして、「お前はパレスチナ問題をどう考えるのか?」「アメリカは全然イスラムの価値観を認めていないことを知っているのか?」等~と問い詰めてくる。


マレーシア政府は、一応フセインの立場をとっていたのだが~やはりイスラム教の熱心な信者にとっては...イスラエルと戦うイラクを支持する声が大きかったのである。


実際~日本政府が多額の戦費拠出を決めてから、JSKLをマレーシアの軍隊が銃を持って警備してくれるようになったのだ!











マレーシアの人と話をするようになってから~自分の生き方とか日本のことをよく考えるようになった。


例えば~よくマレーシアの人たちから...「なぜ、日本人は~毎日当たり前のように平気で“残業”するのか?」~と聞かれた。


彼らは~仕事をするのは社会のためでもあるけれど、もっと大きな目的は...『家族との生活を楽しむため』~と考えている。


家族との生活を犠牲にして毎晩遅くまで残業をする日本人は、“何のために働いているのか?”~と思われることがあるようだ。


日本だと、「仕事があるからお祭りに参加できない」...ということが通るだろう。


「仕事やったら仕方ないな~こっちはええから仕事しとき」等...友人や親戚の結婚式や場合によってはお葬式まで~“仕事による欠席”が認められることは、ごく当然のことである場合が多い。


このことが~マレーシアの人からすると何のために仕事をしているのか...とうつってしまうようだ。


さらに...日本では、家庭に受験生がいる場合...その家族はとても気を遣う。


「他の家族がテレビを見るのはやめよう」「夏休みの旅行なんてとんでもない」...等と、家庭全体が暗い雰囲気になってしまう。


このことも~マレーシアの人たちには...“一体何のために勉強するのか”~と捉えられてしまうのである。


マレーシアの人たちにとって、仕事や勉強は~『家族の生活を大切にし地域での生活を楽しむ』...ためにしていること...だと考えている人が多い。


日本も~恐らくかつては、家族や地域社会の本当の豊かさをめざして...仕事をしたり勉強に励んできたと思うのであるが~いつの間にやら“仕事や勉強という手段自体が目的化”してしまっているようだ。


また~子どもの教育も、基本的に違うことを感じた。


日本では...何よりもまず勉強できることが優先されがちであるが、マレーシアの人たちにとって大切なことは“宗教の教えに背いていないかどうか”ということが~子どもの教育で最も重要なことなのだ。


とりわけ、マレー系とインド系のマレーシア人に~その傾向が強く見られる。


マレーシアの人の中には...「マレーシア人が“そんな甘いことを考えているから”“仕事よりも地域社会を優先したりしているから”~いつまでたっても日本のような経済大国になれない」...と考えている人もいたが、私たち日本人から見ると~逆にマレーシアから学ぶべきことの方が大きいような気がするのである!







『シンガポール』と聞いて~みなさんはどんなイメージを持つだろうか?


私は、「おい16、マレーシア赴任が決まったぞ!」と聞いた時~内心“おしいなぁ、シンガポールやったらもっとうれしかったのに...”と正直思ってしまった。


それだけ~シンガポールは、かなりの好イメージだったわけである。


実際、私も在馬中...すぐ近くということもあって、何度かシンガポールを訪れた。


そこは、清潔感に溢れ安心感も大きく~何よりも「買い物」「レジャー」「リゾート」「リッチなホテルライフ」「カジノ」等...観光客が望むもののほとんどが手に入る場所だったのである。


もちろん~多くの日本の観光客で賑わっていた。


いや、観光客のほとんどが日本人...と言っても過言ではないくらいだった。


そんなシンガポールに誰もが知っている観光スポットがある。


言わずと知れた『マーライオン』。


“世界三大がっかり”と言われながらも~マーライオンが吐き出す噴水を捉えようと、たくさんの日本人がカメラを構えるスポットである。


しかし、そんなマーライオンのすぐ近くの公園に八角形の形をした『顕彰碑』があることは~誰も知らない。


マーライオンを目当てにやってきた日本人観光客は~全員がこの顕彰碑の傍を通っていくのだが、誰も関心を払わない。


もちろん...「シンガポールの方がラッキーやったのに」~なんて考えていた私自身も全く知るよしもなかった。


しかし、シンガポールに生まれ育ったほぼ全ての人々は、この顕彰碑のことを知っているのだ。


この顕彰碑は、『林謀盛(リン・ボーセン)』という人の活躍を讃えて建立された。


リン・ボーセンという人など私も知らなかったし、おそらく多くの日本人も知らないであろう。


でも、彼はシンガポールの教科書に掲載されているほどの“英雄”なのである。


彼がなぜシンガポールの英雄なのか?


最後には日本軍に捕まってしまうが、彼は抗日ゲリラの指導者だったのだ。


さらに~


そのリン・ボーセンの顕彰碑から100メートルも離れていない場所(世界一ノッポだと言われているウエスチンスタンフォードホテルやかのラッフルズホテルのすぐそば)に~ひときわ背の高い塔が建つ。


この塔は、何と地元の人々から『血債の塔』と呼ばれている。


その名が示す通り~この塔の地下にはシンガポールが日本に占領された時に、日本軍によって虐殺された人たちの無数の“遺骨”が納められているのだ。


無論...シンガポールのガイドたちは、日本人が嫌な思いをしないように、これらの顕彰碑や血債の塔のことは決して説明しようとはしない。


8月になると~日本では声高に“原爆の悲惨さ”が訴えられ、世界中(とりわけアメリカの人たち)にその現状をしっかり認識してほしいというニュースや記事であふれかえる。


もちろん、それはそうあるべきだし~アメリカの大統領を始めできるだけ多くの人が広島や長崎を訪れその歴史的事実を知ってほしいと心から願う。


ただ、今日もシンガポールには~「ええ国に来たなぁ~」と多くの日本人が、シンガポールのマーライオンの姿をそのカメラに収めているのである。







何と言っても~今、自分は“フランス料理”の本家本元にいる。

それも…その総本山とも言える『パリ』にいるのである。

ロンドンでは~ジャガイモ料理が中心で、ついに美味しいものには巡り合わなかった。

期待してたスイスの「チーズフォンデュ」や「ラクレット」も…日本人の私の舌にはかなり濃い過ぎた。

それだからこそ~本場フランス料理への期待は、どんどん高まっていく。

ここで何を食すか…私にとって大きな命題であった。

もしかしたら、そのことが今回の旅の“成功不成功”を決するかもしれへん~そのくらい大袈裟に考えていたのである。

かと言って…私のような貧乏旅行者が、ミシュランで☆をもらえるようなレストランに行けるわけがない。

では、どうするか?

もちろん~バッグパッカーのバイブル…『地球の歩き方』を睨みながら、慎重にその食事場所を選定していった。

『まさに“夢のような味”』…その文字が飛び込んでくる。

そのメニューの値段も書かれていたが、めっちゃ安い。

この値段で“夢のような味”が味わえるのかぁ~

即決して、さっそくその日の夜~その場所に出かけて行った。 


その前まで行ってビックリ!

バイブルには~さもカジュアルな食堂の如く書かれていたが、結構立派な外観である。

かなり躊躇した後、おそるおそるそのドアを開いてみると~すぐに店員が駆け寄って来て…「予約はしてるのか」と聞いてきた。

今思い返せば~どこのレストランでもまずそれを確認するのが当たり前だと思えるのだが…その時の私は、完全にその場の雰囲気に圧倒され舞い上がってしまっていた。


しかも...レストラン内のお客さんの服装に目をやると、結構スーツ姿が多いではないか...


「これは~あかん!」


Tシャツ短パン姿だった私は~情けないことにその場を逃げ出すように離れてしまった。


このまま“夢のような味”をあきらめてしまうのか...


そうなれば、無論他にいっぱいの感動があった旅なれど~この一点で台無しになってしまうような気がした。


そして、翌晩~私は自分が持ってきていた中で一番の服装(...といっても実はGパン&綿シャツ)で、“リベンジ”に向かった。


その夜も...もちろん彼は聞いてきた~「予約はしているのか?」と。


「Non!」~と努めて堂々と答える。


果たして...彼は店内の席へと案内してくれた。


メニューなるものを持ってきてくれたが~当然の如く全て“英訳なしの”フランス語で...何が何だかさっぱりわからない。


しばらくして、別の店員が注文を取りに来る。


そこで、私は“Japanese Tourist”丸出しで~バイブルを思いっきり開いて見せ...「c'est」と指さした。


ついでに、オマールエビやサイドメニュー~そして適当にワインも注文する。


しばらくして~ついにやってきました『夢のような味!』


おそるおそる口に入れてみる。


その瞬間~まさに体全体がビックリ!!!


世の中にこんな...こんな凄い味の食べ物があったのか!


私は~しばらく言葉を失って茫然としたままであった。


あのレストランを訪れてから、どのくらいの年月が経つのかなぁ~


私は...日本でも必死で同じ味を見つけようと探し、同じ名前のものを食してみたけれど~未だにあの味以上のものに出会えていない。


それどころか~私の人生史上...全ての食べ物の中で、未だに『NO.1』のままなのである。


「C'est excellent!」


私は、お皿を片付けに来た店員に大きな感謝を込めてそう伝え~そのレストランを後にした!




やっと宿泊場所を確保できたので~さっそくパリ駅から地下鉄“メトロ”に乗り込む。

乗客を観察してみると…ヨーロピアンだけではなく、様々な人種の人たちがいた。

中でも、結構アフリカ系の人が多い。

しかし、メトロの各駅でゴミ掃除をしている人は~そのアフリカ系の女の人が多かった。

やはり~まだまだこのヨーロッパでは、人種や階級ということが残ってるのだろうか…

目指すメトロの駅で降りる。

駅の階段を上り地上に出てみると~辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

やはり、宿の確保に時間を取り過ぎてしまったようだ。

何だかやや憂鬱な気持ちで~おもむろに顔を上げる。

その瞬間…そんな気持ち等ふっとび~体中の血液が逆流しバーっと鳥肌が立っていった。

私の真正面に~果たしてこの世のものか…と思えるような建物が暗闇の中に美しく浮かび上がっていた。

その建築物こそが、~『オペラハウス』だったのである!