桜の下で、踏まれても仕方がない道の脇で、オオイヌノフグリが群れて咲いてた。
みんなが桜を見上げてるから、誰もその下にこんな美しい花があることに気づかない。
「この感覚、、、どっかであったな」
思い出したのは、コロナというよく分からん感染症がどうやら
点々と広まっているらしいぞ、と聞くようになったパンデミック1年目の春だ。
桜は咲いていたが、誰も花見をしていない。そこら中に咲き乱れてるのに、
人がいない。それが逆に桜の美しさを際立たせていた。
まだよちよち歩きの丈くんを連れて近くの広場まで散歩した時、
芝生の茂みから、オオイヌノフグリやタンポポが沢山咲いてて。
あのころ、周囲はどんよりした空気が漂っていたけど足下を見たら何も変わらない、
可愛らしい地球の営みがあったのを感じて、ホッとしたんだよね。
人って意識が外向きになると、良いも悪いも、視界が小さくなる。
いつもここに美しい花はあるのにね。自然はいつだって人を無償で癒してくれる、
最大のヒーラーだ。
見えない=無いもの
ではない
見えない=余裕がない
だから、絶対に「心の余裕」を作ることを意識しておかないといけないの。
だって、こんな美しい花をみすみす “無いもの” にするなんて、無粋だよね。人生大損してるとしか思えないわ。