星を見ていた。視界いっぱいに広がるあまたの輝きを。
 一定の明るさで輝く星や瞬く星。色も白や黄色や赤と様々で、本当に「宝石箱をひっくり返したような」という表現通りの空が広がっている。
 そんな美しくも懐かしい空を、スレイはぼんやりと眺めていた。
「あの日に見た星空も、こんなだったな……」
 スレイはそう呟くと、星空に右手をかざした。
 あの日、彼はこんな空の下で育った村を旅立ったのだ。
「そういえばオレはなんでこんなところで寝ているんだろ」
 ふと我に返ってスレイは体を起こすと、周囲の景色が彼の目に入ってきた。自分が寝ていた草原と近くを流れる川、その向こうには木々が並んでいるのが見える。
「ここ……どこだ……」
 スレイは右手で額を押さえて記憶をたどった。
 マーリンドでアリーシャと別れた後、戦争に駆り出されて、そこで災禍の顕主と初めて対峙したが、まったく歯が立たず……。
「その後ハイランドとローランスの兵士に襲われて気を失った……か」
 スレイは大きな溜め息をついた。
「全然……ダメな導師だな、オレは」
 自嘲気味に呟くと、スレイは重要なことを思い出して立ちあがった。
「ミクリオ、おい。ライラ、エドナッ」
 天族の仲間たちの名前を呼びながらスレイは周囲を見回すが、彼らの姿はなく声も聞こえない。
 諦めきれずに川の対岸に視線を向けたスレイは、そこに黒ずくめの人影が倒れているのを見つけた。
「あれは……風の骨の……」
 よく見ようと川べりまで近づいて目を凝らしたスレイは、風の骨の女のマスクが外れて、その下に素顔が覗いているのを見た。
「ロゼ……。ロゼが風の骨の頭領だったなんて……」
 スレイはなんとかもっと近くに寄れないかと川を覗き込んだが、彼が思ったよりも流れが早く、とても渡れそうにない。仮にロゼが起きたとして、二人で協力したとしても、流れに足を取られて共に流されてしまいそうなぐらいには危険に見えた。
 大きく溜め息をひとつつくと、スレイはロゼに背を向けて歩きだした。彼の目の前には洞窟が真っ黒い口を大きく開いて待ち受けている。
 このままここにいてもどうしようもない、と腹を括って洞窟に足を踏み入れたスレイの体から赤い小さな光が離れて夜の闇に消えていった。

「まったく。川ぐらい渡れるだろうが、あの根性なしが」
 草の上に横たわる少女の傍で黒い服の男がスレイを罵っている。
「まあ、そんなに大きな声を出しては森の動物たちがびっくりしてしまいますわ、デゼルさん」
「お前は……」
 デゼルはいるはずのない者の声を聞いて狼狽えた。
「あら、そんなに驚かれるなんて心外ですわ」
「……驚くなって方が無理があるだろう。お前、あのお人好しの導師はどうしたっ」
「スレイさんですか。あの方はもう導師ではありませんもの」
「……契約を解除したのか」
「霊応力を失ってしまったら、そうするより他に方法はないでしょう」
「なんだと」
「それにロゼさんの霊応力は素晴らしいですわ」
「おい……待て」
「もしかしたらかつてのスレイさんの霊応力を上回るほどかもしれません」
「待てと言っているだろうがっ」
 夢見るような表情で喋り続けるライラに、デゼルが何かを投げつける動作をすると、風が彼女の長い髪を揺らした。
「ふざけんじゃねえっ」
「あら、なにかお気に障るようなことを言ってしまいましたかしら」
 ライラが小首を傾げると、デゼルはものすごい剣幕で怒鳴った。
「気に障ったかだと。ああ当然だ。てめえの都合ばっかり押し付けてんじゃねえっ。こいつに近づくなっ。余計なことを吹き込むなっ」
 一気にまくしたてたデゼルが手にしているものがライラの目に留まった。
「デゼルさん……その手に持っているものは……」
「ペンデュラムだ。教えたんだからてめえも俺の質問に答えろっ」
 デゼルは手に持ったペンデュラムという名の光る小石を、いつでも放てるように構えながらライラを睨んだ。
 その鎖のついた小石を初めて見たときから、ライラは霊山にいたあの男の持つ武器と同じものだと気づいていた。
「そういえばお二人とも風の天族ですわね……」
「なにをぶつぶつ言ってやがる、早く答えろっ」
「……次の導師を探していますの」
 ライラは警戒というより敵視しているデゼルに答えた。
「次の導師だと。あのガキはどうするんだ」
「先程も申した通り、スレイさんはもう私たちと話すことも触れあうこともできませんわ」
「だから見捨てるっていうのか」
「デゼルさん、私は主神です。導師に道を指し示すのが私の役目なんです」
「つまりあのガキはそれに値しないと……」
「スレイさんには新たな導き手が現れることを祈ります。私は……」
「おい、待てっ」
 ライラの視線の先を見て、デゼルは声をあげた。ライラの意図に拒否感を覚えたのだ。
「う……ん……」
 デゼルの声が聞こえるはずのないロゼが、身じろぎをしてゆっくりと目を開けた。
「う……誰、いったい。うるさいなあ……」
 右手で両目をこすりながら上体を起こしたロゼに、ライラが嬉しそうに声をかけた。
「まあ、ロゼさん。目が覚めましたのね」
「てめえ、やめろっ。いい加減にしねえと、ただじゃおかねえぞっ」
 慌ててデゼルがライラの前に立ちはだかると、ライラは左手を口元に当て、鈴を転がすような声で笑った。
「あら、穏やかではありませんのね。なぜロゼさんのこととなると、そんなにムキになるのでしょう」
 デゼルに怒鳴られてもどこ吹く風といった感じで、ライラは気にも留めていない。
「それにしても、あたしなんでこんなとこに寝てるんだろ」
 独り言のように呟くロゼを一瞥すると、デゼルはライラを睨んだ。
「知るか。どっちにしろこいつには俺たち天族の姿は見えねえし、声も聞こえねえ」
「まあ、どうしてですの」
 小首を傾げるライラに、デゼルはぶっきらぼうに答えた。
「知らん」
「あらあら。……ではこれからどうしましょう」
 わざとらしくライラが頬に左手を当てると、ロゼがぱんっと音を立てて手を打った。
「思い出した。あたしは戦場でスレイを助けようとして、一緒に崖から落ちたんだ」
 そしてロゼは首をひねって腕を組んだ。
「起きる前に誰か喋ってんのが聞こえた気がしたんだけど、起きたら誰もいないし。スレイもいなくなってるし」
「あの薄情者なら、お前を置いてどっかに行っちまいやがったぞ」
「聞こえないんじゃありませんの」
 反射的にロゼの呟きに返事をしてしまったデゼルに、ライラがくすくすと笑いながら尋ねた。
「うるせえっ」
 デゼルは心なしか頬を赤らめて、帽子を深くかぶり直した。
「まっいっか。見つかんないんだったら、こんなとこにいつまでもいてもしょうがないし」
 反動をつけて勢いよく立ちあがると、ロゼは森の方に向かって歩いていった。
「さて、私たちも行きましょうか」
 今のところロゼについて行くしかない二人は黒装束の暗殺者の後を追って森に入っていった。

「ふーん、なるほど。そういうことだったのか」
 口元に左手をあてて少年はうなづいた。
「で、これからどうするの、ミボ」
 ミボと呼ばれた少年、ミクリオはあからさまに嫌そうな顔をして、彼を上目使いで眺める少女を見た。
「いい加減にミボと呼ぶのはやめてくれないか。……ふう。 僕はもちろんスレイについていくけど、君はどうするんだ、エドナ」
「あら、ワタシは最初からスレイについていってるわよ。もちろん、これからもついていくわ」
 いたずらっぽい笑顔のエドナを見て、ミクリオは肩をすくめた。
「なら、行こうか」
 そうして二人の天族は、スレイを追って洞窟に入っていった。
 洞窟の中は暗く、足元でさえはっきりと見ることができなかった。
 スレイは周囲を見回しながら、用心深く進んでいく。時々コウモリの羽ばたく音が聞こえたり、得体の知れない獣のつんざくような叫び声がスレイを驚かせたりしたが、それらが襲いかかってくることはなく、意外に順調にスレイは洞窟の中を歩いていた。
「霊応力がないって、こんな感じなんだ……」
 手探りで歩く頼りなさに、思わずスレイは呟いた。
「それにしてもあの獅子の顔の男……いったい何をしたんだ」
 その男に何をされさたのかはわからない。しかし何かをされた結果、スレイは霊応力を失い、一人で暗い洞窟をさまよっているのは確かなのだ。
「一人で考えてても仕方ないよな。早く人を探さなくちゃ」
 そう自分に言い聞かせ、スレイは暗闇の向こうを目指してさらに洞窟を進んだ。
 そのスレイから少し遅れて洞窟を行く者が二人いた。スレイと共に居ることを決めたミクリオとエドナだ。
「いつになったら気づくのかしらね」
「それはスレイに僕たちが見えるようにならない限り無理だろうな」
 何気なく答えるミクリオの腰を、エドナが傘で小突いた。
「そうとは言い切れないんじゃないかしら」
 ミクリオは腰を左手でさすりながらエドナを見た。
「だが……。いや、見えなくても何か感じることもあるかもしれないね。僕が悪かった」
 両手を胸の前で広げて謝るミクリオを不思議そうな顔で見てから、エドナは自分の頬をつたう涙に気づいて、慌ててミクリオに背を向けた。
「スレイの奴、いつもより足が早いじゃないか。さあ行こう、エドナ」
 ミクリオはエドナの涙のことには触れずに歩きだした。
「え……」
 慌ててミクリオの後を追おうとしたエドナが足元の石につまづいて体勢を崩した。
「もうっ」
 さっきからミクリオに見られたくないところばかり晒してしまっているエドナは、腹立ちまぎれに石を蹴とばした。