石は大きな音を洞窟内に響かせて岩にぶつかり転がった。その音に前を行くスレイが気づいて振り向いた。
 ミクリオとエドナは少し緊張した面持ちでスレイを見つめるが、彼の瞳は二人の天族を映すことはなく、スレイは遠目からでもそれとわかるような大きな溜め息をついた。
「……やっぱり見えないみたいね」
「そうだね、仕方ない。気長にいくさ」
 ミクリオが肩をすくめると、スレイが大きな声で呼びかけてきた。
「ミクリオだろ、そこにいるの。ありがとな」
 きびすを返したスレイの後ろ姿を、ミクリオは嬉しいような困ったようななんともいえない表情で眺め、エドナはそんなミクリオを睨みつけた。
「さ、行くわよ。ミボ」
「あ、ああ」
首をすくめて恐縮するミクリオを伴って、エドナはスレイの後を追って暗い洞窟をさらに進んでいった。
 当のスレイは暗い洞窟を、まるで出口を知っているかのように迷いなく先へと進んでいく。
「スレイはこの洞窟に来たことがあるのかしら」
「エドナは知っているのか」
 質問に質問で返すミクリオに、エドナは呆れたように答えた。
「ワタシが知るわけないじゃない。誰かさんたちと違ってそんな変な趣味はないもの」
「変なって……。まあ僕の予想だけど、スレイの奴も知らないと思う」
「じゃあなんであんなに迷いなく歩けるのよ」
「さあ。それはわからないけど、スレイが歩き続けているのは、単にじっとしていられないからだろうね」
「な……そんな理由で歩き続けてるの。出られなくなったらどうするのよっ」
「僕に喰ってかからないでくれないか」
「じゃあ、ミボがあの子を止めなさいよ。早くっ」
 無茶を言うエドナに狼狽えたミクリオがスレイを見ると、彼は立ち止まっていた。
「ま、待て、エドナ。スレイが止まった」
「そう。じゃあすれに言ってきなさいよ。こんなところで迷子はまっぴらだって」
「無茶言うなっ」
 ミクリオがエドナの理不尽に大声で抗議すると、何かが彼の目の前をかすめた。
「え……」
 改めて周囲を見回すと、天井からたくさんの目が二人を見つめていることに気づいた。
「コウモリ……いや、憑魔か。逃げるぞっ」
「間に合わないわよっ」
 狼狽えるミクリオを叱咤し、エドナは傘を構えた。
「でもどうするんだ。今の僕たちは憑魔を浄化できないぞ」
 杖を手に取りながらも、ミクリオはためらいの言葉をエドナに投げかけてくる。
「あいつらの動きを止めれば充分でしょ。いくわよっ」
 エドナの号令に反応したかのように、一斉にコウモリが襲いかかってきた。
 黒い翼を広げて向かってくるそれを、ミクリオは弾いたり叩き落としたりしながら声をあげた。
「ちょ……エドナッ」
「なにっ」
 同じように傘でコウモリをなぎ払いながらエドナがめんどくさそうに応じる。
「さすがに多すぎるぞっ。いくら叩いてもキリがない」
「もうっ、うるさいわね。黙って手を動かしなさいよっ」
 傘を振り回しながら一喝するエドナに、それでもミクリオは訴える。
「でも、このままじゃ本当に……」
「うる……っさいわねっ」
 エドナが苛立ちを露わに、地面に傘を突き立てると、二人を取り囲むように岩がせり上がった。
 その岩に阻まれてコウモリがエドナとミクリオに近づけなくなり、口惜しそうにガラスを引っかいたような声をあげながら、岩の向こうを酔っ払いの足取りのように、よたよたと飛んでいるのが岩の間から垣間見える。
 それを好機と見たエドナは、すかさず詠唱を始めた。
「な……なにを……」
「ミボ、今からワタシが術を発動させるから、タイミングを合わせて氷をコウモリに向かって放つのよ」
 有無を言わさぬエドナの口ぶりに、ミクリオは溜め息をひとつつくと杖を構えた。
「わかった、氷だね」
「氷海凍てる、果て逝くは奈落。インブレイスエンド」
 エドナが術を詠み終えると、それはミクリオの氷と重なり、無数のコウモリを封じ込める巨大な柩となった。
「すごい……」
「初めてのわりにはうまくいったわね」
 息を呑むミクリオの横でエドナは平然と言ってのけた。
「え、初めてって……」
「言葉通りよ。今まで都合よく氷の天族がいなかったもの」
 ぬけぬけと言ってのけるエドナを、ミクリオは口をぽかんと開けたままで眺めた。
「さて、スレイはどうしているのかしら」
 そんなミクリオの様子など気にすることなくエドナはスレイを目で追った。
「そういえば……」
 ミクリオもエドナにならってスレイの姿を探すと、すぐに親友の姿は見たかったが、予想もしなかった姿に空気の抜けたような声が漏れ出た。
「……へ」
「ちょっと……」
 彼らの視線の先で、スレイは岩に腰かけて腕を組んで壁にもたれかかって目を閉じていた。
「もしかして寝てる……」
」呆れた。ちょっとはワタシたちの苦労をねぎらいなさいよ」
 エドナが口を尖らせるのを見たミクリオは、笑いの衝動がこみあげるのをこらえきれずに吹きだした。
「ちょっと、なんで笑ってるのよ」
「いや、あいつらしいと思って」
 涙を流して笑い続けるミクリオを見て、エドナは肩をすくめた。
「仕方ないわね、もう」
 ミクリオとエドナは連れ立ってコウモリの巣を離れると、手近な岩に腰かけた。

 昼か夜かもわからない洞窟の中で、スレイは体の痛みを感じて目を覚ました。
「いててててて」
 こわばった腕を動かすと、肩が軋む音が聞こえた気がしてスレイは顔を歪めた。
「やっぱりこんなところで寝ると体のあちこちが痛いな」
 苦笑しながら肩をさすっていたスレイは、ふと思いだしたように体をまさぐり始めた。やがてにんまりと笑うと、ポケットから小さな木の実を取り出した。
「洞窟探検を再開する前に、まずは腹ごしらえだな」
 スレイは嬉しそうにその実を一口かじると、すぐに顔をしかめた。
「しぶっ……」
 すぐさまスレイは口の中の渋いものを勢いよく吐きだすと、手のひらに残った木の実を見て溜め息をついた。
「もうちょっと食べられる味だと思ったんだけどな。これじゃあ干さないと無理だ」
 苦笑しながらスレイはその小さな実を放った。木の実は二回弾むところころと転がって止まった。
 するとそれを待っていたかのように、岩陰から小さなネズミのような生き物が出てきて、その実の傍に寄って匂いを嗅いだかと思うと、そっぽを向いてどこかに走り去ってしまった。
「ネズミも食べないか……。はは、酷いなぁ」
 スレイは右手で頭を掻くと、なんとなく小さな動物に見向きもされなかった木の実を眺めた。
「まるでオレみたいだな」
 自嘲気味に呟くと、スレイはその小さな実に手を伸ばした。今の自分と重ね合わせてしまったのだろう。とくに一部が欠けてしまったところなど、霊応力をなくした自分を思い起こすのかもしれない。
 スレイの伸ばした手があと少しで木の実に触れそうなところまで近づいたとき、それは突然スレイの手から逃れるように転がった。
「え……」
 スレイはまばたきをして、もう一度木の実を見た。
「そんなワケないよな」
 見間違いだろうと気を取り直して、今度は岩から腰をあげてさらに手を伸ばして転がった実を拾おうとした。
 しかしまたも木の実はスレイの手を避けるようにころころと転がった。
「待て、この……」
 スレイはムキになって中腰のままで木の実を追った。しかしもう少しで掴めるというところまでくると、木の実はころころと転がってスレイの手から逃れてしまう。
「なんでだ」
 スレイはそっと木の実に覆い被さったが、寸前で滑るように移動され、スレイの両手は虚しく宙を掴んだ。
「動いた」
 スレイは木の実をまじまじと見た。転がったときは確信が持てなかったが、そんな変な動きで移動をするわけがない。
 すれは注意深く木の実を観察した。じっと目を凝らして見ていると、だんだんと淡く白色に光るものが浮かびあがってきた。
 それらさっきのネズミのような生き物よりは大きいが、犬よりは小さそうだった。
「なんだろう、これ。……猫でもないよな。イタチとか……。待てよ、動物って体全部が光るワケないよな」
 興味津々でスレイがその光るものに手を伸ばすと、それはするりとすり抜けた。しかしそのまま逃げるでもなく、スレイの前に留まっている。
「もしかしたら……ノルミン」
 マーリンドで出会った小さな天族の名前がスレイの口をついて出た。すると淡い光は木の実を抱えてスレイに手を振ったように見えた。
「ノルミンなのか。……でもなんでオレに見えるんだ。今のオレは……」
 そう呟いたスレイの脳裏に、以前ライラが言ったことがよぎった。
ーー私たち天族が念を込めれば人々にも見えるようになりますわ。ただとっても疲れますので、長時間は無理ですがーー
「そうか。ノルミンが姿を見せてくれてるんだ」
 スレイが改めて淡い光を見ると、それはうなづいたようだった。
「ありがとう。励ましに来てくれたんだ」
 スレイが光に向かって手を差し伸べると、すいっとすり抜けていった。
「あ、待って」
 慌ててスレイが淡い光を追うと、それを待っていたかのように木の実を持ったまま暗い洞窟を柔らかく照らして進みだした。
 暗い洞窟で一人取り残されることを恐れたスレイは光を追った。
「どういうつもりなのかしら、あのノルミンは」
 今のスレイには見えない仲間のエドナが口を尖らせた。
「さあ。もしかしたら出口に案内してくれるつもりなのかもしれないね」
 同じくスレイからは見えない親友のミクリオが答えた。
「……ノルのくせに生意気ね」
「お喋りしてる暇はないぞ。あいつ、意外に足が速い」
 ミクリオが告げると、少女は吐き捨てた。
「ホント、ノルのくせに生意気」