「ミボ、見てあれ」
 エドナの指差す先には小さな光が見えた。
「出口よ」
 もちろんスレイにもその光は見えていて、彼は希望に目を輝かせている。
「とうとう出口だな」
 スレイに声をかけられると、先を行く淡い光は立ち止まってうなづいたように、少年の瞳に映った。
 その様子を少し離れて眺めていたミクリオはエドナに尋ねてみた。
「あのノルミン、この後どうするつもりなんだろう」
「さあね。ついてきたかったら、そうするんじゃない」
 素っ気なくエドナに返され、ミクリオが肩をすくめて再びノルミンに視線を移すと、その小さな体を包んでいる光が明滅を始めていた。
「見て、そろそろ限界よ。それに太陽の下ではこの儚い光はかき消されてしまうわ。ここが潮時でしょうね」
「そうか……。スレイが寂しがるね」
 ミクリオは名残惜しそうにノルミンの放つ光を眺めた。
「しかたないわよ。だってノルミンですもの」
「本当に君はノルミンに対して辛辣だね……」
 ミクリオが肩をすくめると、エドナは傘を地面に突き刺して両手を腰に当てた。
「あいつらとは因縁があるって言ったでしょ。なんなら今から教えてあげてもいいけど」
「いや、いいよ。話を聞いている間に、スレイを見失ったら大変だ」
 ミクリオが断ると、エドナは残念そうに舌打ちをした。
「……まあいいわ。いつか絶対に聞かせてあげるから」
「……なんでそんなに聞かせたがるんだ」
 ミクリオは謎の闘志を燃やすエドナを横目で見て溜め息をついた。
 ノルミンを始めとする一行は、そのまま光に向かって歩いて行き、やがてそのまばゆい世界へと辿り着いた。
「眩し……。久しぶりの太陽だ」
 スレイは右手をかざして太陽を見上げた。戦場では穢れのもやに阻まれたせいで陽光を感じることはなかったので、本当に久しぶりになるのだ。
「ここは森の中なのかな」
 周囲を見回すスレイに弱々しい光が瞬きながら近づいて、大事そうに抱えていた木の実を差し出した。
「これ……くれるのか」
 スレイが木の実を受け取ると、明滅をくり返しながらノルミンは洞窟へと戻っていった。
「さようならノルミン。また会いに来るよ」
 弱々しく瞬く光にスレイが声をかけると、すぐに動きを止めてスレイを振り返る仕草を見せたが、再び暗い洞窟の奥に向かって光は遠ざかっていった。
 スレイは今にも消えそうなその輝きに向かって手を振ると、洞窟を後にして歩き始めた。
「ところでここはどこなんだろう……」
 うっそうとした森の中で、スレイは困ったように右手で頭を掻きながら周囲を見回すと、明らかに人口の物とわかる岩を見つけた。
「これは……遺跡なのかな」
 よく見ようと岩に近づいたスレイは、見覚えのある紋様を発見した。
「これは、シールドがいた遺跡と同じ紋様だ。もしかしてここはあの森なのか」
 スレイは急いである痕跡を探した。ここがシールドのいた遺跡なら、あるはずのもの。それは……
「うん、間違いない。ここはシールドのいた森だ」
その痕跡を前に、スレイは力強くうなづいた。スレイが探していたのは、シールドを助けるためにルナールと戦ったときについた傷だったのだ。
「よおし、マーリンドに行くぞ」
 高らかに宣言するスレイの後ろで、ミクリオは溜め息をついた。
「やれやれ。大事な建造物に傷をつけるなんて、スレイも僕もまだまだだね……」
「あら、でもそのお陰でここがどこかわかったじゃない」
「それはそうだけど、遺跡を研究する身としては、ね……」
「ふうん。アナタたちって、本当に変わっているわよね」
「……人のこと言えるのか」
「なにか言ったかしら」
 しらを切るエドナに溜め息をつくと、ミクリオは気を取り直して言った。
「いや、なんでもないよ。さ、行こうか」
 ミクリオはすでに森を出ようと歩き始めているスレイに視線を移した。
「仕方ないわね。ついていってあげるわ」
 エドナは傘をかつぐと、スレイの後を追ってミクリオと一緒に歩きだした。
 出口に向かって森の中を歩いていたスレイが、突然立ち止まってなにかを見上げた。そのまま右手を顎に添えて、しばらく考え込んでいる様子だったが、ひとつうなづくとスレイは近くの木に登り始めた。
「いきなりなにを始めるのよ、あの子」
「多分、木の実を採る気だ」
「木の実って……」
「僕たちと違ってスレイは人間だから、さすがになにか食べないと。もう限界は超えているだろうし」
「はあ。なるほどね」
「エドナも食べるかい」
「……いらないわよ」
 ミクリオは頬を膨らませたエドナをチェシャ猫のような笑顔で眺めた。
「なによ、ミボ」
「エドナが食べないなら僕だけいただこうかな」
 ミクリオの右手にはいつの間にかスレイが採っているのと同じ木の実が握られていた。
「食べるの、それ」
「もちろん。前にも食べたことあるしね」
 そう言うとミクリオはあんぐりと口を開けてその実を頬張った。かじられた部分から覗く白い果肉が外皮の赤色に対比して美しい。
「……それ、よこしなさいよ、ミボ」
「それじゃあこっちをあげるよ。はい、エドナの分」
 ミクリオの差し出した左手には同じ赤い実が乗っていた。エドナは少しためらいながらも、その実を受け取り口元に運ぶと一口かじった。
 口の中に甘酸っぱい果汁が溢れて、思わず音を立ててそれを飲み込んだエドナは驚きの声をあげた。
「おいしい……」
「だろう。見てみなよ。スレイの奴、あんなに抱えて……」
 得意げに笑うミクリオの視線を追ったエドナは思わず吹き出した。
「な……なんなの、あれっ」
「しかも食べながら歩き始めたぞ」
「行儀悪いわね」
「僕たちもね」
「ワ……ワタシは食べ終わるまで動かないわよっ」
「それならエドナは食べ終わってから来るといい。僕は見失わないようにスレイを追うよ」
「ち……ちょっと待ちなさいよ」
慌ててエドナは果実にかぶりつき、急いで全部食べると涼しい顔でミクリオに告げた。
「さ、行くわよミボ」
 ミクリオは肩をすくめると、赤い実をもう一口かじってエドナが追いつくのを待った。
 木漏れ日の射す森の中を、赤い実を袋代わりにしたマントで包み込み、ひとつずつ取り出しては食べ続けているスレイの後ろを、苦笑いするミクリオと苛立ちを隠せないエドナがついていく。
「さっきからゴミ落とし続けてるんだけど、あの子ったらどういうつもりなのかしら」
「別にいいんじゃないか。いつか芽を出してそのうち大きな木になるよ」
 能天気に笑うミクリオを、エドナは期待を込めた目で見上げた。
「まんざらでもないようだね」
「……うるさいわね」
 感情を素直に表したことを恥じるように、こころなしか頬を朱く染めたエドナはぷいっとミクリオから顔を背けた。
 そのまましばらく二人は無言でスレイの後について歩いていた。時折スレイが実の芯の部分を投げ捨てるのを眺めながら。
 もしこの捨てられた芯の中にある種が発芽して成長したら、さぞや美味しそうな並木道ができるのであろう。そう想像してミクリオはくすりと笑った。
 やがて歩きながら抱えていた木の実を全て胃袋に収めたスレイは、ズボンで手をはたくと大きく伸びをした。
「さてと……いくぞっ」
 食べ終わると居ても立っても居られなくなったのか、スレイは急に走りだした。
「え……」
 その行動のあまりの唐突さに、ミクリオとエドナは唖然としたが、すぐに気を取り直してスレイを追って走りだした。
「スレイ……ちょっと待って」
 必死に追いかけるミクリオがそう漏らすが、もちろんスレイの耳には届かない。
「聞こえるワケないでしょ。とにかく追いかけるわよ」
 エドナにせっつかれて、ミクリオはなんとか置いていかれまいと、スレイの背中を追いかける。
 当のスレイは森の中を普段ではありえない速さで駆け抜けていた。やがて森を出て街道に入ったが、スレイの足は遅くなるどころか逆に速さを増していく。
 そのスレイをミクリオは必死追いかけていた。そしてエドナはというと、ミクリオのかなり後ろを悠々と歩いている。どうやら彼女はスレイを追うことを諦めて、勝手にミクリオに託したようだ。
 ミクリオはなにか言いたげにエドナを振り返ったが、溜め息をつくとスレイを追って走り続けた。
 スレイがついに足を止めたのは、マーリンドの門の前だった。
「やっと……ここまで来た……」
 息を弾ませながら、スレイは大きな門を見上げた。
「ネイフトさんたち、無事かな……」
 あの日戦火を逃れるために避難したマーリンドの住民を想いつつ、スレイは両手で門扉を押し開けた。
 扉は軋んだ音を立ててゆっくりと開いていき、その向こうにマーリンドの街並みが見えてきた。
 スレイは少し緊張しながらマーリンドの街に足を踏み入れた。
 街は戦争前となにも変わっていない姿をスレイに見せていた。往来を行き交う人々の目は活気に満ち、店先には様々な品物がところ狭しと並べられ、たまに通り過ぎる馬車は遠くの街の交易品を運んできているようで、馭者がやけに丁寧に手綱を操っている。
 スレイは大樹のある広場の近くのネイフトの家に急いだ。
「あれ、導師様。マーリンドに帰ってこられたんですか」
 途中で一人の町人に声をかけられて、スレイは立ち止まった。
「え、うん。ついさっき戻ったところです」
「それはよかった。軍の説明じゃ導師様は行方不明になられたということでしたから」
「へえ……そういうこと、になってたんだ……」
「え、今なんて」
「ううん、なんでもないよ。帰ってこれて運がよかったなあって」
 スレイが右手で頭を掻くと、町人は笑ってうなづいた。
「日頃の行いの賜物ですね。お疲れでしょうし、今日のところは宿に泊まってゆっくり休んではどうですかね」
「ありがとう。でもまずはネイフトさんに会わないと」
「それもそうか。ネイフト代表も喜ぶと思いますよ」
「うん、それじゃ」
 スレイは右手を上げて町人と別れると、広場の脇にあるネイフト邸に向かった。