アリーシャ邸の大きな玄関の扉の前で、スレイは声を張りあげた。
「アリーシャ、オレだ、スレイだ。大丈夫か」
 次いでスレイは右の拳で扉を叩いた。
「アリーシャッ」
 さらに大きな声でスレイがアリーシャの名前を呼ぶと、豪奢な扉が少しだけ開いた。
「一体誰ですか。末席とはいえ、ここは王族であらせされるアリーシャ姫の屋敷ですよ」
 怒気をはらんだ声で無礼を咎められ、スレイは右の拳を止めてその場で固まった。
「……バカ」
 後ろでエドナが溜め息をつき、ミクリオが肩をすくめた。
「そもそも貴族街で大声をあげることすらはばかられるのに……」
 説教口調でぶつぶつ言いながら玄関扉の向こうから顔を覗かせたのは、以前スレイたちに紅茶を入れてくれたメイドだった。
「君はっ……」
「あっ……」
 メイドはスレイの顔を見るなり、口元に両手をあてて目を見開いた。
「これは……。失礼しました。少々お待ちください」
「あ、うん……。オレの方こそ……」
 スレイの返事を待たずにメイドは扉を開けたまま屋敷の中に引っ込んだ。ほどなくして足音がぱたぱたと、スレイだけでなく後ろにいるエドナとミクリオの耳にも届いてきた。
 少し間をおいて開けたままの扉の奥からアリーシャの声が響いてきた。
「本当なのか、スレイが来ているって。ああ、どうしよう。なんの準備もしていない」
「とりあえず玄関へお出になられてはいかがですか、アリーシャ様」
「そ、そうだな。わかった、すぐ行く」
 そんな会話の後に、またぱたぱたと走る音がして、今度はアリーシャが扉の向こうから期待に目を輝かせて、ひょっこりと顔を覗かせた。
「ス、スレイ。無事だったようでよかった。その……今の聞いていたのか」
 心なしか赤いアリーシャの顔を見て、スレイは微笑んだ。
「うん。アリーシャも元気そうでよかった」
 アリーシャにつられたかのように顔が赤く染まるのを感じたスレイは、照れ隠しのように右手で頭を掻いた。
「スレイこそ……行方不明と聞かされていたから、気が気でなかった」
 紅潮した顔で告げるアリーシャに、スレイはうなづいてみせた。
「うん、ありがとう。アリーシャがレディレイクにいるって思ったから、オレはここまで来れたんだと思う」
「スレイ……。こんな私でも君の助けになれたと思うと嬉しいよ」
 そう言うとアリーシャは本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
「……ねえ、さっきから二人の世界に入っていて、うざったいのだけど」
 エドナのその呟きに反応したのは、スレイではなくアリーシャだった。
「も、申し訳ありませんっ、エドナ様っ」
 頭を下げるアリーシャを、三人は目をまん丸に開けて見つめた。
「……ねえアリーシャ。エドナがなにか言ったの」
「え……スレイこそ、聞こえなかったのか」
 自らの問いに拳を握りしめたスレイの表情を見たアリーシャは、なにかを察したのかそれ以上は尋ねずにつとめて明るい声で言った。
「スレイ、こんなところで立ち話もなんだから、中に入らないか。天族の方々も、ぜひ……」
 アリーシャが玄関の扉を大きく開くと、スレイに続いてエドナとミクリオが屋敷の中に入っていった。
 頃合いを見はからって玄関の扉を閉めると、アリーシャはメイドを呼んだ。
「はい、ご用件はなんでしょう、アリーシャ様」
「スレイを客室まで案内してほしい。この前に泊まってもらった部屋だ」
「承知いたしました、アリーシャ様。スレイ様、どうぞこちらへ」
 メイドはかしこまって応じると、スレイを客室へと案内した。
 メイドに続いて歩くスレイの羽織った導師のマントが揺れるのを見て、アリーシャは小さく溜め息をつくと、彼の後を追った。
「お飲み物でもお持ちいたしましょうか」
 スレイを部屋に通すと、メイドがアリーシャに尋ねた。
「ああ、頼むよ。いつもので」
「承知いたしました」
 メイドは一礼すると部屋を辞した。
「スレイ、それから天族の方々もどうぞ、おかけになってください」
 スレイが勧められるままに近くの椅子に腰かけると、向かい合っているベッドが少し軋んだ音を立てた。
「すごいな。アリーシャは天族が見えるようになったんだ」
スレイが少し複雑な表情で感嘆の意を告げると、アリーシャは首を横に振った。
「いや、私にはまだ天族のお姿は拝見できないよ」
「えっ、でもさっきエドナがいるって……」
「あれはお姿が見えたわけではないのだ。あのときはエドナ様のお声が聞こえたから」
「声が……」
「いつもではないのだが、集中すると聞こえるときがある。もっとも気づいたのは聖堂にいたときだったのだが。それはそうとスレイ、今ベッドが軋んだ音がしただろう」
「えっ、そうだっけ」
 スレイが驚いた顔でベッドに視線を向けると、アリーシャはくすっと笑った。
「スレイは視覚に頼りすぎだな」
「え……と。はははははは……」
 スレイが右手で頭を掻くと、エドナがもっともらしくうなづいた。
「アリーシャの言う通りね。少しは反省しなさい」
 しかし今度のエドナの声はアリーシャの耳に届くことはなく、エドナは軽く舌打ちをした。
「なんてことなの、まったくもう……」
「えっ、あ。申し訳ありません、エドナ様」
 弾かれたように直立の姿勢をとるアリーシャと、ベッドに腰かけて足をぶらぶらさせているエドナを交互に見て、ミクリオは声をあげて笑った。
「ミボのくせに生意気よ」
 エドナが横目で睨むと、ミクリオは咳払いをした。
「エドナ様、本題に入ってもよろしいでしょうか」
 直立不動の姿勢のままのアリーシャが尋ねると、エドナは大仰に答えた。
「いいわよ、始めなさい」
 ようやくエドナの許しを得たアリーシャは、うなづくと椅子に腰かけてスレイに尋ねた。
「ではスレイ。ひとつ尋ねるが、戦場でなにが起こったのだ」
 アリーシャの問いに、スレイはネイフトに話したのと同じことを語った。
「……そうかスレイ。マルトラン師匠を助けてくれたのだな。私からも礼を言わせてもらうよ」
「お礼なんてそんな……。当たり前のことをしただけなのに」
「いや、当たり前の行いをするのはそんなに簡単なことではないよ」
 アリーシャが微笑むと、スレイは右手で頭を掻いた。
「ふふ……。スレイがスレイのままで帰ってきてくれて本当によかった」
 スレイはどうしていいのかわからなくなり、頭を掻きながらうつむいた。
 その頃合いを見はからったように、部屋のドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
 アリーシャが応じると、ドアが開いてメイドがティーセットをワゴンに乗せて運び入れた。
「失礼いたします」
「スレイ、お茶でも飲んで落ち着こうか」
「うん、ありがとう」
 メイドがテーブルの上にティーカップをソーサーに乗せて並べていくのを見て、スレイは声をあげた。
「アリーシャ、これって……」
「天族の方々の分だ。当然だろう」
「そうだな。ありがとうアリーシャ」
 スレイがアリーシャに礼を言うと、エドナが呟いた。
「当然でしょ」
「当たり前のことを当たり前に行うのは言うほど簡単じゃないんだよ、エドナ」
 ミクリオがアリーシャの言葉を引用してエドナに告げると、少女は頬を膨らませた。
 どうやらそのやりとりはアリーシャにも聞こえたようで、彼女は頬を桃色に染めてうつむいた。
 スレイはそんなアリーシャに、不思議そうな顔で尋ねた。
「ところでアリーシャはどうして天族の声が聞こえるようになったの」
「そうだな。スレイはどうしてだと思う」
 逆にアリーシャに尋ねられ、スレイは腕を組んでうなり声をあげた。
「質問に質問で返すなんて感心しないわね」
「エドナ様……」
「アリーシャが固まっているじゃないか」
「……ちょっと二人とも静かにしてくれないかな。なに言ってるか気になって集中できないよ」
「すまない、スレイ……」
「アリーシャは悪くないだろ」
 腑に落ちない顔でスレイが言うと、アリーシャは首を横に振った。
「いや、エドナ様が私に対して"質問に質問で返すのは感心しない"とおっしゃったのが始まりだから、私が原因なんだ」
「はは……エドナらしいというか……」
 スレイが苦笑すると、アリーシャは砂糖を入れた紅茶をかき混ぜながら告げた。
「だから意地悪しないで、天族のお声が聞こえるようになったときのことを話そうと思う」
「ホントに。でもアリーシャの質問に答えられないのは悔しいな」
「いや、私が無茶振りしたのが悪かったのだ。忘れてくれ」
 そしてアリーシャは、大きく息をひとつ吐いた。
「それではスレイ。私が天族のお声を聞けるようになるまでの話をしよう。王都に連行された私は、そのまま屋敷に閉じ込められた。スレイたちが戦場に駆り出されているのに、なにもできないこの身がもどかしくて悶々としていたよ。しかし焦ってばかりいても仕方がないと思い、気を落ち着かせるために聖堂に行って祈ることにしたんだ」
「それで天族の声が聞こえるようになったの。アリーシャってすごいんだね」
「そんなにすぐには聞こえないよ。もっともスレイならあり得るだろうがな」
「そうかな……」
「ああ、私が保証する。それで続きだが、聖堂で祈っているうちに、私を呼ぶ声が聞こえてくるようになったんだ」
「それ、もしかしてウーノさん……」
「むしろ聖堂におられる天族はウーノ様しか思い当たらないよ」
 アリーシャは微笑むと、カップを手に取り芳しい香りを鼻腔に漂わせた。
 つられてスレイもカップを手に取り懐かしい香りを嗅ぐと、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。
「オレにも聞こえるかな」
アリーシャが少し考えるような顔になると、ソーサーにカップが触れる音がした。


リア多忙に体調を崩してしまい、更新が遅れました(´・ω・`;)