フイリッピン技能実習生学校訪問
5月17日 東京パン連盟工業協同組合主催でフイリッピンを訪問しました。
フイリッピンから技能実習生を受入ている当組合員として初めて、現地送出機関
及び学校での学習実態を視察することが第一の訪問目的でした。
マニラでの給料日は15日と月末の二回にわけて支払います。
その為に給料日の週末金曜日は道路渋滞です。
現地ガイドさんの説明で宿泊ホテルまで20分かかりますと言われましたが
3倍の40分もかかりました。ガイドさんの説明にもかかわらず時間計算は
全然していません。
給料を月二回に渡って支払う理由は彼らは、宵越しの金を持つ習慣が
まったくありませんので経営者の判断で習慣になりました。
写真にセブンイレブンが写っていますが街中にはいたる所にあります。
日本企業の進出も多く日本人は2万人近く働いているそうです。
職業実修生学校を立ち上げた藤本さんとは立ち上げる前からの友人です。
事務所には先生を含めて十数人が勤務しています。
受入企業側の面接試験に合格した研修生は4~5ヶ月間の日本語勉強が
行われます。彼らの学歴は大学卒業生でフイリッピンでも中流家庭と思います。
フイリッピンの特殊事情は国家が人材輸出国として外貨獲得に貢献する
ことも理由の一つだと思います。受入企業に入社するにはフイリッピンでの
勤務が同じ職種でなければなりません。
我々製パン業はフイリッピンの製パン工場勤務者でなければ許可出来ません。
彼らが日本で勤務した三年間の給料は生活費を差し引いて100万ペソ
約260万円持ち帰るのが目標になっています。
当社に勤務しているフイリッピン人実修生は目的通り実行可能です。
彼らの収入(預金)はフイリッピンに帰国後マイホーム購入資金にしたいと
話ていました。
「ベルギービールウィークエンド横浜2013」
5月15日より山下公園で「ベルギービールウィークエンド横浜2013」が開催されました。
早速、家内と山下町に住んでいる嫁、孫と待ち合わせしていってきました。
セブンイレブンで購入したチケット3000円を現地で受付手続しました。
手続終了後腕にピンクのバンドを付けられてコイン10枚いただきました。
ピンクバンドには「BBW2013」と訳の分からない文体です。
このバンドがないとベルギービールが飲めない仕組みになっていました。
16:00ごろ会場に入りましたがそこそこの入場者です。
グラスカップは飲み終わるたびに洗浄機に掛ける仕組みになっています。
小さなグラス(150㏄ぐらい)に一杯飲むたびにコイン3枚だすので
割高になっています。私に取っては二口で空になります。
コインを1000円分追加しても三杯しか飲めませんので割が合いません。
10枚のコインをもらったのでグラス10杯分が飲めると思っていました。
たった3杯分それも小さなグラスで、分かっていれば行っていませんでした。
北京滞在中はドイツのルフトハンザ・ビヤーガーデン以外はベルギーの
ステラ・アルトアに限定しています。最近アサヒビールが取り扱いになり
街中で飲める様になるでしょう。
二種類の生ビールを飲みましたがやはりステラ・アルトアビールが一番旨い!
同じく馬蹄型ウインナーソーセージコイン3枚で購入
ステージでは年寄りにはなにか分からない会話をしていましたが
我々にはついていけないので飲み終わったら帰宅準備になりました。
開催されたベルギービールを横浜港に向いて飲めば味もプラスになるでしょう。
左側の氷川丸と右側の遊覧船を見ていると時間間隔がなくなってしまいます。
山下公園から見たホテル90年ちかく前の建物はおもむきがあり歴史を感じます。
追加料金4000円支払って一口ビール3杯では物足りないので家内、嫁、孫は
先に帰らせて見の前のホテル・ニューグランドのバーで久しぶり一人で飲みました。
白州12年を飲んでいましたが、この際BARで期間限定売出でリザーブできる
スコッチウイスキー ロイヤル・ロッホラガー12年を予約しておきました。
結論
「ベルギービールウィークエンド横浜2013」は 金と太鼓で宣伝して
わざわざ山下公園まで行きましたが値段の割には高いものにつきました。
酒飲みはジョッキーグラスの大きさで価値観が決まります
が4000円分の元は取れませんでした。
橋下亨大阪市長殿「それを言っちゃあおしまいだよ!」
今、お騒がせの橋下大阪市長の慰安婦に関する発言が世の中が
ひっくり返るほど大騒ぎしています。
柴又の寅さんではないですが「それを言っちゃあ、お終いだ!」
事もあろうに公人の大坂市長が「本音と建前」は男なら全員分かっている。
ただしホモとオカマは別である。
小学生のころお袋の実家、岡山県金光駅の隣町の玉島には遊郭があり
終戦後の老若を問わない元気な連中の性処理の赤線がありました。
川崎に住んでいたころは私の後輩、歌手の坂本九は川崎南町、赤線の
花街の息子で同じ隣町には堀の内町には公設遊郭がありました。
高校三年生の時に売春禁止法が成立してその後2年間は更正期間として
営業されている事は、なぜか?・・はっきり記憶しています。
今はそれらの町はトルコ風呂を経てソープランドとして個人売春が堂々と
営業されています。ただしこれらの経営者の名刺には堂々とソープランド名
ラブホテル名称は使わないで訳の分からないアルファベットや
カタカナ文字、ナントカ・カントカ興業の名刺が多いです。
表の社会と裏の社会が共存共栄されている所にヤクザの黒社会が入り込む
すき間ができて「本音と建前」で善良な市民を含めて利用しているわけです。
過去に訪問した売春町のオランダ、ドイツの飾り窓にも見に行きましたが
先進国といえども若者の性処理は言わず語らず闇社会が仕切っています。
Facebookでも色々と書かれていますので張り付けました。
(貼り付け始め)
橋下市長の「慰安婦は必要だった」発言は、表現は兎も角ひとつの真理だと思います。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/130519
慰安所を用意しなかった国がどうなったか(一部抜粋)
(1)ソ連
世界難民問題研究会協会のドイツ課長であるライヒリンク博士によれば、
ソ連赤軍がベルリンまで侵攻してくる間に、190万人の女性が強姦されたという。
そのうち140万人は旧ドイツ東部領など
、50万人は後のソ連占領地域において強姦されたとされる。
ライヒリンク博士は、強姦の結果として生まれた子供の数をつかむことは
不可能だとしつつ、その数を29万2000人と推定している。
数値の相当性の問題はおくとしても、
こうした戦場の現実が「慰安所」の存在を要求するのである。
(3)フランス
フランス軍は45年4月21日にシュツッツガルトを占領した。
福祉・保険関係の責任者になったガウブ教授はこう報告している。
「女性住民はこの災難に十分な準備がなく、
多くの場所で強姦事件が何百件となく起こった。
60歳以上の女性も16歳以下の少女もこれを逃れることはできなかった」。
これらの現実を述べた上で、
「だから韓国に謝罪なんかする必要はない」と言っていれば
、橋下市長への支持も中途半端なモノにならなかったんですけど、
その辺が彼の思想的な限界なのでしょうね・・・・(^^;)
橋下の発言は下品そのもの、、だけど現実です。
女性の皆さんから批難されて当然ですが、
別の方の意見そのー2
現在欧州では英、独、仏、蘭で次々に売春合法化さされ堂々と営業してます。
彼はなぜこのタイミングで彼が発言したのか、分裂、消滅寸前の
維新勢力としては勢いに乗る安倍政権に擦り寄るつもりかもしれません、
(貼り付け終)
根府川~伊東市~天城山荘~天城高原ゴルフコース
我家に泊まりに来た息子夫婦を関内に送り届けたのちに
家内の運転で天城へゴルフに出かけました。
東名高速厚木ITから厚木・小田原までは有料道路を利用します。
伊東市まで数か所の、追いはぎ有料道路が数か所ありますが
時間差の変わらない旧道を利用しています。
真鶴有料道路を通らず旧道で根府川駅を通り真鶴まで通る道です。
途中には旨いレストランもあり景色もよくお気に入りの道路です。
観光道路ではありませんが昔からの集落、昭和の雰囲気のある
土地柄は一時代遅れの雰囲気がたまりません。
いつもトイレ休憩に立ち寄るJR根府川駅です。周りにはコンビニもなし、
食堂なし、駅売店なし、無料トイレあり、このトイレがとても清潔に
いつも掃除が行き届いている。
列車の到着時間に合わせヒルトンホテルの送迎バスがあります。
天下りの特殊法人の雇用促進事業団が我々の徴収した金で
500億円掛けて豪華に建設しましたが経営不可能になり
結局9億円で小田原市に売却、その後ヒルトンホテルにまた貸し運営した
いわくつき物件。
普段もご覧の通り閑散とした駅前広場で郵便局と農協のビルが目立ちます。
無人駅なので駅員はおりません。
構内には自由に入れるので橋上駅舎から写すことができます。
晴天だったのでJRの赤い鉄橋と相模湾の青と手前の新緑が目にまぶしく
美しく見えました。
伊東市に入るバイパス道路の標識
天城高原ゴルフコースのクラブハウス食堂
家内が食べたシラス鮪丼、家内はいつもさっぱり系を好む
人間ドックに疑問
食品業界だけが加入できる東京都食品健康保険組合が
上野稲荷町にあります。
毎年4月ごろ人間ドックにオプション付きの検査をしています。
中村庄一著者「大往生したけりや医療とかかわるな」を読んで
残り人生について気持ちに変化が出てきました。
本の中でできれば人間ドックにも行かない方がよい、
と書かれています。
いくら中村先生がお勧めでも毎年行っている
人間ドックを中止する事は心境としてできません。
今回の人間ドック検査結果が送られてきました。
昨年との違いは体重測定で約2kg増えていました。
80㎏あった体重の10%=72㎏に挑戦、何回も失敗しながら
昨年に72㎏に成功しました。達成感と同時に中村先生の
「大往生したけりや医療とかかわるな」を読んでから
「俺の体重は肥満体質ではない」と気がつきました。
これ以上増えなければ生活態度を変えることもないと判断しました。
人間ドック検査が終わり担当医に
そのこと(中村庄一著者「大往生したけりや医療とかかわるな」)を
話したら「私も同感することが多くあります」と話していました。
これ以上話すと営業妨害になりかねないので残り人生をいかに
楽しく、健康に生活できるが最終目標になるでしょう。
元気で動き回れる最終目標年齢80歳まで7年6ヶ月残っています。
これから先になにが起こっても動じない医者いらずで過す予定。
これから先の人生は「儲けるまでは半人前、使って一人前」
競馬でいえば第四コーナーを回りかけている状態ですから
体の何所が悪くなっても心配なしで過します。
会社もセガレ達にまかしてなんとか後継者として事業継承できたし
あとの残り人生は、
ちょいわるオヤジで女にもてたいと願望しています。
体重は骨太体質なので意識的減量を中止したので今が正常と思っています。
既製品のワイシャツの左腕は骨太で時計をはめたらボタン締めが出来ません。
血液検査については昔から赤血球が薄いのか、少ないのか分かりませんが
「C」の「経過観察」と毎年書かれているので無視しています。
飲酒量をとやかく言う家内、取り巻きにはこれからは「鉄の肝臓」で出来ている。
しかし錆が出来ない様に昨年から一週間又は10日間に1~2日間
禁酒する方向に変更しています。
LSギャングストーリーを観てきました
最近のアクション映画はコンピュータ・グラフィックを使ってどんな
きわどいシーンでも上映できる為に面白さが失われています。
最近の007シリーズでも観終わった後にバカバカしくなることがあります。
例えばカーチェース、殴り合い、これでは死んでしまう、と思われるシーン、
入場料を払ってわざわざ映画館まで行く機会も少なくなりました。
最近は海外出張、観光旅行で機内で観ることが多くなりました。
機内でみる映画は今までに見そこなった古い映画を観る事にしています。
面白い作品も多くあり、暇つぶしにはもってこいです。
過去に観た記憶に残る名画(自分だけ)「バック・トゥ・ザ・.フュ-チャー」
「アリ」とザルツブルグ行の帰国便で「サウンド・オブ・ミュージック」
今回の観光旅行で機内で観た作品です。
数年前に映画館で観た「アメリカンギャンッグスター」は実話に基づいて
主人公が刑期(短縮)を終えて制作に関わった傑作作品でした。
今回、映画館で観た「LAギャングストーリー 」も1949年ロスで実際に起きた
実話をアクションを取り入れて上映しています。
筋書きは複雑でなく観れば単調ですが実話だけあって面白い映画でした。
出演している俳優、女優の名前は全く知らないですが推薦できます。
(貼付け)
ロサンゼルス、1949年。ニューヨークのブルックリン生まれのギャングのボス、ミッキー・コーエン(ショーン・ペン)は、麻薬、銃、売春、そして――手段さえあれば何でもするという勢いで――この街を牛耳り、さらにはシカゴから西の広い地域の賭博も仕切っている。そしてそんな彼の活動を守っているのは、彼自身が雇っている手下だけでなく、首根っこを押さえこんでいる警察や政治家たち。コーエンの勢力は、街で鍛え上げられた、極めて勇敢な刑事でさえ怖気づくほどだ……例外はおそらく、ジョン・オマラ巡査部長(ジョシュ・ブローリン)とジェリー・ウーターズ巡査部長(ライアン・ゴズリング)率いるL.A.市警の“はぐれ者たち”から構成された少人数の極秘チームだけ。コーエンの帝国をぶち壊すために集められた“最強部隊”である。
ルーベン・フライシャー監督(『ゾンビランド』)による『L.A.ギャング ストーリー』は、ギャング史上もっとも危険なボスとも言われる男から、発展しようとしている街を取り戻そうとしたL.A.市警をめぐって実際に起きた出来事をスタイリッシュに再現している。主演は、オスカーⓇにノミネートされたジョシュ・ブローリン(『ミルク』『トゥルー・グリット』)とライアン・ゴズリング(『Half Nelson』『ドライヴ』)がロサンゼルス市警察のジョン・オマラ巡査部長とジェリー・ウーターズ巡査部長を、そして実在した大物ギャング、ミッキー・コーエン役を米アカデミー賞Ⓡ受賞のショーン・ペン(『ミスティック・リバー』『ミルク』)が演じている。また、アカデミー賞ノミネートのニック・ノルティ(『Warrior(原題)』『白い刻印』)がロサンゼルス市警察署長ウイスキー・ビル・パーカーを、エマ・ストーンがコーエンの愛人でありウーターズが想いを寄せる女性グレース・ファラデーをそれぞれ演じる。 犯罪多発地域の巡回を物ともしないナイフ使いの警官コールマン・ハリスにアンソニー・マッキー(『アジャストメント』)。息子の自転車修理と同じくらい、ハイテク機器をいじることに喜びを感じている、電機のエキスパート、コンウェイ・キーラーにジョヴァンニ・リビシ(『アバター』)、オルベラ・ストリートの巡回を担当する敏腕警官マックス・ケナード巡査にロバート・パトリック(『父親たちの星条旗』)、ケナードの相棒である熱血漢ナヴィダッド・ラミレスにマイケル・ペーニャ(『バトル・オブ・ロサンゼルス』)、オマラの妻コニーにミレイユ・イーノスが脇を固めている。
(貼り付終)
横浜ストーリーフェンスの向こうはアメリカ
写真家の町田昌弘様で見ているうちに彼の写真集を横浜有燐堂で
買い求めました。
題名は「横浜ナイト&デー」1980年代から2009年までの本牧、元町、、
山下埠頭、横浜本牧埠頭、大桟橋、桜木町、曙町、横浜市中区、
横浜市内の各所、思いでもたくさんあり見ているだけで楽しい写真集です。
下記のYou Tubeは前半、後半に分けて神奈川テレビで公開された
動画です。見ていて初めて知る話や出来事にも興味、面白いです。
戦後、大相撲で自分で髷を切落として引退した力道山が本牧で
働いていた事、そのきっかけでアメリカに興味が出てハワイに渡り
プロレス興行にまで結びつけ成功した話。
同じく終戦直後本牧で米軍住宅建設に新潟から出てきた田中建設の
田中角栄、当時は代議士になる前の実話などなど
動画で色々ないきさつが分かります。
下記の動画は皆様の知らない横浜本牧米軍住宅の話が聞けます。
上下のYou Tubeは神奈川テレビで放送されたものですが
写真は町田昌弘さんからお借りした数々の作品です。
同じく下記の動画は後半ですがFacebookでのお友達加藤久真さんが
掲載された動画です。
動画で当時の終戦後は大企業製造業でも鍋、釜の作り方から
始めたそうですが本牧米軍住宅用にアメリカから来た見本の
冷蔵庫、電化製品等を三菱、東芝が見様見まねで作りだして
納品した逸話など話されています。
山下町のBARで時々見かけるギタリスト・エディー藩さんも
登場してザ・ゴールデンカップルス時代の米軍キャンプ回り
エディー藩のホンキートングブルースはヨコハマ舞台にした
ブルースで大ヒットしました。

(BARラッキープレイスでエディー藩さんと)
二本の動画は当時アメリカ文化が詰まっている横浜の話です。
初めて飲んだコカコーラの不思議な味、パンからはみ出た
ソーセージのホットドックなど語られています。
下記の写真は写真家の町田昌弘様の了解を得て掲載しました。

元町から山手のトンネルを過ぎた先は本牧で両脇のフェンスは
緑がまぶしい芝生におおわれたアメリカでした。

米軍住宅建設について動画ではじめて知りましたが建築方法を
リペンデントハウスというそうです。

田中角栄の初仕事は土建屋と思っていましたが
当時本牧で田中建設を設立して米軍相手の建築をしていたのには
ビックリしました。

20歳代のころ海水浴に馬堀海岸、長者ヶ崎などに行っていましたが
当時の米軍住宅、広い芝生など見ていると、ここはアメリカでした。

動画の中で話されていましたが当時日本は暖房、湯沸、風呂などは
練炭、火鉢、薪などでしたが進駐してきていきなり大型ボイラーで
米軍の各家庭に送られていたのです。
町田昌弘様の写真集を見ていると独身時代の思い出がいっぱいあります。
ゴールデンウィーク最終日に神奈川県庁見学をして来ました。
ゴールデンウィークといっても当社は休日なしで営業しています。
仕事がらお得意先の事情で工場は毎日動いています。
5月6日こども日の振替休日最終日はとりあえず会社出勤して
午後から約束した遠方の友人と再会しました。
当日はさつき晴れで上着なしでも快適でした。
家内を含め6人は大桟橋入口の横浜開港資料館で待合わせしました。
早速、中華街まで行き重慶飯店本館で昼食を致しました。
大変込み合っていましたが予約していたので助かりました。
昼食後、ひき戻って横浜開港資料館で開催されている
「上海と横浜 怒涛をこえて」を見る予定にしていましたが
遠方からわざわざ来られた方々は時間待ちの間に見学されていました。
急きょ見学場所を神奈川県庁本庁舎に変更しました。
私も長い事、横浜に住んでいますが県庁には用事がないので
行った事はありません。今回はGW期間に普段見れない
本庁舎6階の屋上、知事室、旧貴賓室が公開されていました。
県庁の歴史展示室の床に張られていた戦前からある建物です。
これらの建物は関内居留地にある有名な企業、金融機関、港、教会で
本土空襲爆撃から免れた所ばかりです。
説明によれば占領軍GHQは終戦後使われる建物、教会、港は
空爆を避けて爆弾投下したと、説明していました。
居留地外の伊勢佐木町、野毛付近は丸焼けになり、一時伊勢佐木町付近に
GHQが飛行機の滑走路を造り使われたと聞いています。
外国船が横浜港近くでタグボートに付き添われ横浜税関、神奈川県庁、
横浜開港記念会館を見たときに最初の横浜税関をクイーン、次がキング、
ジャックと名づけて入港したと、何処かのBARで聞いた事があります。
本庁舎6階屋上から見える大型客船、手前に見える埠頭、通称「象の鼻」
横浜関内にある10階建て以上のマンションで港が見える
陽のあたらない北向きが一番値段が高いという理由が分かります。
普段は見られませんが平日この様な景色がいつでも見られる空いている
場所があります。その場所を内緒でお教えします。
産業貿易センタービル8階横浜商工会議所の喫茶店で
コーヒー300円で横浜港が真下にパノラマでゆっくり見られます。
以前は仕事で行ったおり喫茶店でいっぷくしたものです。
観光客をはじめ一般の方も行きづらい場所ですが堂々行ってお茶してください。
元フジテレビのアナウンサー黒岩知事に就任しましたが
県民にあまり評判は良くありません。
3.11大震災の東北三県の瓦礫処理の協力は
県民のエゴを通し、会議は踊り、今でも一切協力していません。
横須賀市から相当離れた場所に処理場指定しましたが
地元少数の住民反対運動で挫折してしまいました。
そのてん豪腕の石原慎太郎は反対運動があっても
「うるさい黙れ!」の一言で実行しました。
政治家はいざとなれば捨身になり変身できる要素があってしかるべき。
知事室の守衛にジョークで「黒岩にもっと仕事しろ」と伝えました(笑)
薄緑色の丸い塔が横浜税関、外国船船乗りに通称クイーンと言われたそうです。
横浜開港記念会館は通称ジャックといわれたそうです。一杯飲むには
時間が早いので遠方の友人を案内しました。以前ここで開催された
横浜にちなんだ演歌のコンサートを聴きに来たこともありました。
館内はボランテア案内係りがいて話を聞くことにしました。
館内にはステンドガラスが使われていて上記の鳳凰が
横浜のシンボルマークとして使われていると説明されました。
戦時中は鬼畜米英といわれた時代に奇跡的に残されたステンドガラス、
前回の案内役に聞いた話ですが下記の写真は同じ写真拡大したものです。
帆船の右の方にアメリカ国旗が画かれています。戦後GHQマッカーサー元帥が
このステンドガラスが気にいり建物接収したおりに
改築改造を許可させないで大事に使われたと、説明を受けました。
意識的に空爆を免れただけでなく使用許可も厳しくした一例です。
今回の案内役の方も大事に使われた建築物と一つなのです、と説明。
クイーンと言われた横浜税関は今年のブログにも書きましたので
案内は致しませんでした。
夕方5時になりかけたのでブログに何回かとり上げたBARスリーマティニーに
行くことにしました。そこで2時間ちかく過ごしました。
昨日書いたブログで終戦後の日本分割地図を書いた説明に反対した
スリランカ国を思い出し、早速隣のBARラッキープレイスで呑みなおし。
ラッキーさんに日本分割の話をしたら彼はもっと詳しく説明してくれました。
戦後、なに一つない丸焼けからたった二十年間で今日の日本繁栄は奇跡です。
私など戦後満州引揚者は親戚も相手に出来ないお互い貧乏人でした。
この歳になって海外出張、旅行の機会が多くなり外国視察感想は
今の停滞した日本といわれますが欧州を見ていても日本はまだまだ豊かです。
7年まえにBARラッキープレイスを私に紹介してくれた
元町の洋品店「フクゾー」故森本さんでした。
ラッキーが今回初めて見せてくれた貴重な一枚の写真です。
若いときの右側の細身のラッキーは人に好かれるタイプなのでしょう。
それにしても今話題のスーパースター国民栄誉賞受賞 長嶋茂雄の
左側のフクゾーの森本オーナーと一緒なのには驚きました。
「人生は人と人の出会い」チャンスは自分自身の手でつかめ!
中華街にあったBARで働いていたラッキーを独立させ
店まで斡旋した故森本社長の出会いで今の店があるのです。
余談ですがラッキープレイスで呑んでいた時に、ひょっこり
ホテル・ニューグランドのバーテンダーが欧米人一人を連れて来ました。
理由はホテル・バーが混んでいるので、この店は安心して呑めるので
紹介したと話していました。横浜のバーは何所でも安心して飲めます。
もう一つの理由は英国植民地だったスリランカ人は
英語がべらべらにしゃべれるからでしょう。
ラッキーも毎週水曜日の休日はホテル・ニューグランドのBARの
カウンターで20分間ちかく外人スタイルの立飲みをして
彼らと懇親を深めています。
遠方の友人二人は電車の都合で途中切り上げて帰宅しましたが
高齢者夫婦二人でBARで遅くまで呑んだのは久しぶりでした。
敗戦後の日本分割案はこの様な事を経てきました。

第61回 横浜開港記念みなと祭り国際仮装行列「ザ よこはまパレード」
「ザ よこはまパレード」
パレードに関して規模組織は全国一はヨコハマでしょう。
今年は五月晴れに恵まれて青空のしたで開催されました。
山下公園近くに住んでいる次男の嫁、孫、家内で見に行きました。
今年はアベノミックス効果も手伝って35万人の人出で込み合いました。
一口に35万人といっても検討がつきませんが35万人という
数字は長野市又は所沢市、全員一人残らず参加しする
パレード見学と思ってください。
東京マラソン、オリンピックメタル受賞パレードでも
30~50万人と発表されていましたから凄い数です。
私が皆様の知らない一番良い場所の陣取りに専念し
その後に家内と嫁がのこのこ遅れて「いい場所三人分とれた~~」
などと言いながら二歳なりかけの孫を連れて乳母車を引いて来ました。
普段、家では年寄りしかいないのでパレード行進はキッズは別として
ピチピチした男女(中高 大学生)が中心で色気のある
若者のスタイルを見ていると元気を貰えます。
青空に行進曲が響き渡り聴いていても心が弾みルンルンになります。
下記の動画の編集は関東学院大学マーチングバンド
横浜中華学院獅子舞~神奈川大学マーチングバンド
駒澤大学高等学校吹奏楽部に絞って載せました。
(一昨日の駒大吹奏部、新入部員の歓迎合宿水死事故前です)
関東学院 伊勢佐木町ブルースをマーチに
神奈川大学 港町13番地の一部
駒沢大学高等学校 ブルーライトヨコハマをマーチに
パレード曲はすべて横浜を題材にしたヒット曲です。
↑
動画 軽快なマーチを聴くだけで心が晴れます。
今回の動画編集での学生のパレード演奏行進を聴いていると
青春時代の数々の思い出と同時に不思議な事に
涙がポロポロ~~理由は自分自身分かりません。
72歳になり酒を呑みながら宇崎竜堂「夜霧のブルース」を
聴くときの感情との違い・・なんでか判りません。
母校(高校)のマーチングバンドも40年間毎年参加していますが
今回の出場は駒澤大学高等学校吹奏楽部に完敗しているのでカット。
44組の参加ですが抜粋された上記の四組を動画で聴いてください。

林横浜市長のパレード車です。神奈川知事はじめ
各県の代表「ミス・・県・美女」も目の保養になりましたが
そばに近づくことは出来ません。

中華街は神戸、長崎にもありますが獅子舞の迫力は横浜が日本一!
孫文が設立した横浜中華学院の生徒とOBの演技です。

パレード車は今までのデフレのせいか一昨年より数が減ってきています。
来年からは不参加の各企業も再登場してもらいたいです。

パレードの内容は分かっていない孫ですが次々の催し物に興味心身

多国籍企業になった日産自動車は昔から横浜が本拠地。



日本大学高等学校中学校吹奏部

横浜税関音楽隊は社会人だけあって紳士的な演奏でした。

コスプレ集団と一緒の柴又の寅さんコピーには驚かされました。
国際仮装行列には毎年、在日米軍軍楽隊もパレードに参加しています。













































