下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -27ページ目

「消えた横浜娼婦たち」を読み終えてパートー1

いつだか忘れましたが伊勢佐木町の有燐堂で数冊まとめ買いした

小説、雑誌、の他にノンファクション小説を読み忘れていました。


読まないとモッタイナイので電車通勤中に少しづつ読んでいました本は

「消えた横浜娼婦たち」著者 檀原照和氏で戦中戦後の横浜についての

裏社会の事情が詳しく書かれていました。


この本は官製の横浜史ではない。表舞台に登場する事のない

アウトサイダーたちの記録である。しかし題名に書かれている


横浜娼婦の話だけでなく時代背景、時の行政、経済の流れ、

庶民の生活模様、進駐軍にまつわる出来事、横浜市の街中、


私の知らなかったたくさんの話題、今は無き飲食店名など懐かしく

思い出しながら、そうか、そうか、と感心したり思い出にふけったりしました。


下記の写真の「消えた横浜娼婦たち」の中にブログ・Facebookに書いた

ヨコハマメリーさんの話が詳しく書かれていたことも買った理由の一つです。



「消えた横浜娼婦たち」の題名ですが横浜の街中の様子が詳しく書かれています。



当局公認遊郭と当局非公認チャブ屋の違いを上記に年代別に書かれています。

この年表は貴重な資料です。


横浜中華街近くにあった同潤会アパートは今はレイトンハウスのスポーツセンター

高級マンションになった。ヨコハマでは同潤会アパートや

互楽荘は代表するアパートでした。


上記の写真は互楽荘で建物の中心は中庭になっていてハルビンを思い出しました。


本の中にたくさんの写真が写っています。この写真は私とFacebookでのお友達

写真家の町田様の提供にびっくりしました。


町田様の写真は横浜中華街にあった北欧レストラン「バイキング」でした。
本の中には町田様の横浜を写した貴重な写真がたくさん掲載されていました。


マニー・パッキャオのサインと孫の誕生日の話

3月の週末に埼玉県から友人がわざわざ横浜まで遊びに来ました。


児〇様とは昨年マカオで開催されたプロボクシング、フィリッピンの

スーパースター マニー・パッキャオの試合を観戦した友人です。


私が持参したマニー・パッキャオ写真パネルには自筆のサイン入りを

児〇様にプレゼントする目的でもありました。


マカオで開催された写真パネルにパッキャオのサインが書かれている。


世界のアスリート年収で第三位60億円の稼ぎ6階級制覇したことがある。

絶頂期のゴルフでのタイガー・ウッズより稼いでいた。




(サイン部分の拡大写真)

印刷でなく自筆のサイン入りは引退後にはプレミアが付くでしょう。


待合せは「そごうデパート」の10階にテナントで入店している

ホテル・ニューグランドのバーでした。


私も元社長になってから時間的余裕もできたので遠方の友人には

そごうデパート2階から渡り通路を通りシーバス乗り場で山下公園前まで

夜風に吹かれながらの船旅を楽しみました。

香港旅行にはスターフェリーに乗ると地下鉄利用と違って気持ちに

余裕ができ海風が何ともいえない心地よさを感じる気持ちと同じです。


横浜観光を計画される方には是非「シーバス」の利用をお勧めします。

利用方法は山下公園前から乗っても楽しい船旅が出来ます。


元三菱造船工場の跡地は再開発されて新しいマンション群が立ち並んでいます。


久しぶりのシーバスに乗りましたが何時乗っても新しい発見が出来ます。

陸地から見る「みなとみらい」と違って舟からの景色はいつ見ても素晴らしい!


ベイブリッチもエキゾチックに見えるのは舟に揺られて観るからでしょう。


大桟橋付近から見えるイルミネーションの建物は通称クイーンと言われた

横浜税関です。


乗船代700円で横浜港から観た横浜景色は別格の楽しみがあります。


(写真・文章はガラリと違った内容になる)気まぐれブログ

下記の孫の写真は昨日の誕生日プレゼント特集です。


現役時代は孫の事など頭の隅にもありませんでしたが今の心境は

まったく違います。


長男の二人目の孫は3月30日が誕生日で5歳になりました。


毎年3/30は私にとっては特別な日で、その日は何があっても

予定を開けていたことで毎年空欄にしていました。


その理由は私にとって人生の生き方を軌道修正してくれた方で

今でも尊敬している恩人、故邱永漢先生の誕生日でした。


会社経営について試行錯誤した時代に出会った人です。

先生から教えてもらった中小企業経営については40年間過ぎた

現在でも時代の変遷が変わっても考え方は同じです。


生き残り出来た現在の会社は規模が小さくても自己資本率53%あり

B/C財務内容にも自信を持って経営出来るまでになりました。


今は後継者にバトンタッチしてからは孫と会う時間が多くなり楽しみです。


小学生の長男・次男には4月後半は横須賀軍港観光に連れて行く予定です。


横須賀埠頭から舟に乗って第七艦隊基地のある米海軍と海上自衛隊、

防衛大学見学を計画しています。ついでに昔観た映画「豚と軍艦」で


一躍有名になったドブ板通りのBARで一杯飲みながら孫達には同じ

BARで米兵御用達のハンバーガー・ホットドックを食べさせる予定です。


ついでに居るか居ないか分かりませんが親も教えられない

米軍相手の若いピチピチギャル(逆慰安婦・パンパン)についての

説明もしておきます。



ケーキ一つ食べるにも落着いて食べる事の出来ない孫達は私の性格、

隔世遺伝間違いなしですが学校の勉強嫌いが同じでは困ってしまう。


少し古い写真ですが気に入っています。内孫3人とも男で賑やかです。








横浜

横浜駅近くの原鉄道模型博物館へ孫と見学に行く

日曜日の天気のよい日は原則として府中カントリークラブで仲間とプレーを
楽しむことにしています。しかし今年の一月から半年間にグリーン改造を含む
大改造工事をしている為に営業中止してしまい今はジプシーゴルファーに
なってしまいました。

他のコースに行くにも自動車運転は酒が飲めないことが理由でまったく
運転していません。3年間運転していないと自信がなくなり困ったことになりました。

一軒隣の孫が遊びに来た時に「明日の日曜日に鉄道博物館でも見に行くか」と
声かけたら一つ返事で「行く・いく!」と元気な声で返事が返ってくる。
私は孫の家庭教師ができないので遊ぶことには何処にでもついてくる。

横浜駅から徒歩10分ぐらいの所に「原鉄道博模型物館」があります。
今で言えば鉄道オタクのさえたるものでしょうが行ってびっくりしました。

博物館は原信太郎氏のコレクションですが横浜で「原」とつく名前には
横浜では元庄屋さんを含め大金持ちの方々が大勢います。

原三渓園、ホテル・ニューグランドを所有している原地所をはじめ
華麗なる一族と関係あるか、ないか分かりませんが・・想像です。


横浜駅東口から孫と二人だけのお出かけに気分ウキウキする。


横浜駅付近を流れているカタビラ川を渡り横浜三井ビルデング方面に歩く。



横浜三井ビル前の敷地内にある不思議な彫刻物に孫が近寄る。


孫はなにを思ったのか彫刻物の巨大な股下に手を入れて、何かを探している。
「男にしては何もない、女にしてはオッパイが小さい」納得いかない様子。

美術、芸術についての知識は小学生の孫と変わらない知識しかありません。
説明できないので作った作者がオッパイを付け忘れたのか、オチンチンを
付け忘れたのか、どちらかと説明しておきました。


横浜三井ビルには博物館専用エスカレーターで2階に上がる。


入場料1000円は鉄道模型に無関心な私には高く感じましたが館内を
見て回った結果、コレクションを見る限り1000円は当然という気になりました。


80坪近くの鉄道模型電車が縦横無尽に走り回っている。
マニアにとっては時間を忘れさすでしょう。

今回パソコンを買い替えウインドーズ8.1にしましたが「パワーアップ新エデイタ」
に貼り付けした写真は一旦はりつけ後は取り消し、切り取りができないので
不便になる。したがって入場料写真が二枚になっているのです。



昭和の初めに慶応義塾幼稚舎から大学まで通った原信太郎氏の
経歴が詳しくパネルに書かれていましたが彼の影響で当時の国鉄、各私鉄も
一目置かれた存在で鐡道経営者トップとの交流があったそうです。


模型列車が走り回っている会場には大人、子供も真剣に見惚れている。


外国の模型列車だと思いますがとても精巧にできているのには感心です。


会場には至る所鉄道模型関係を含む本物が展示されていました。


孫は会場で走り回っている電車が欲しそうにしていましたが元社長に格下げ
されているので、買ってくれ、とは言わなかった。もしかしたらママに言われた
のかもしれません。

原鉄道博物館を見終わってから関内駅を降りて伊勢佐木町のイセザキモール
通りのレストラン不二家で夕食をする。私はビール・日本酒とトンカツで済ます。

孫は行きがけにおにぎり二個食べたのちに不二家でカツカレー一人前ペロリ。
物足りないのか私のトンカツ白米を取って食べる。小学校二年生にしては
食いすぎの部類に入っているでしょう。

帰り際に4歳の孫のお土産を買って帰る気持のある長男は優しいのに
うれしくなるが・・もしかしたら自分も食べたいからと勘ぐる。


オールド シャンハイ ジャズバンド

今回の視察団参加して昆明・スリランカ・バンコク経由
上海の旅は強行軍でしたが思い出に残る
とても良い旅でした。

自分の体調は考察団参加前から風邪で病院から貰った
風邪薬持参での参加でしたが帰国後も風邪が長引いて
治りが遅くて会社からの帰宅も途中下車しないで
自宅でPCを操作しながら一杯飲んでいます。

上海で毎晩Sモルトウイスキー&モヒートカクテルを
飲みながらJAZZライブ通いをしていましたが
上海はやはりオールド・シャンハイが懐かしい曲です。


(魔都上海のけだるいリズムとてもお気に入りです)

「上海バンスキンズ」1984年松竹映画 監督:深作欣二
出演:松坂慶子・・宇崎竜童・風間杜夫を思い出す。



日本人居留民団10万人が暮らしていた上海の租界地区
虹口は6歳まで生活していた満州ハルビンを思い出すので
異国に感じない土地柄です。



(上海を思い出す二曲を貼付けしました)

1940年時代の虹口地区も再開発で見るところが少なくなりました。
日本も昭和の建物も少なくなるのと同じく寂しい限りです。

年取った事もありますが横浜でも再開発された、
みなとみらい地区には何の魅力も無く未練も無く
行きたい気持にはなりません。

今日のブログはロックの飲みすぎでまとまりませんでした。

スリランカのジャヤワルダナ元大統領が日本を救ってくれた。

過去のブログと同じ事にふれていますが私にとっては
大事な事なのでテレビで一部放送された部分も張り付けました。

今回の視察団が訪問したスリランカ訪問に現地の高等学校訪問を
お願いしていました。現地の義務教育は6歳から18歳まで

日本でいえば高等学校卒業までが義務教育となっていました。
児童、中学生、高校生一同に会えてとても勉強になりました。

(ウィキペディアより)
日本との関係[編集]
閣僚・首相・大統領としてたびたび訪日、更に政界引退後も日本を訪れている。また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど日本とスリランカの交流に尽力した。1989年、昭和天皇の大喪の礼に本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。既に肩書きは「前大統領」だったが、元首級参列者・大統領同格の国賓として待遇された。1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学している。1996年、死去に際し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られた。
(貼付け終わり)

下記の動画は日本人にとって是非知ってもらいたい大事な動画です


上記のYouTobeは日本を救ってくれたスリランカ国が
1951年サンフランシスコ講和条約での日本を救った名演説の解説


当時ソ連は北海道・東北6県を国境に定める為に35人参加させて講和条約で
スリランカ案の反対妨害を企てたのですが各国の流れが変わったという事です。

ジャヤワルダナ代表の15分間の演説で戦勝国アメリカ・イギリス・中国・ソ連
各国の流れが変わったことで現在の日本の発展につながっていった。



ホテル・ニューグランド近くの行き付けのBARラッキープレイス
その奥に同じくBARスリー・マテーニィーいずれも行き付けの店。
横浜港の各国の客船の霧笛も聴こえる異国情緒ある山下公園近くです。



ラッキーさんにスリランカの日本人の知らない話は聞いたことが
ありますが「明日スリランカ旅行をしてくる」と話したら

たまたま早かったので他のお客がいない事を良いことに
サンフランシスコ講和条約で演説したジャヤワルダナ元大統領の孫と
高校生時代の同級生で泊まりに行った事もある友人でした。



この写真はお客様には誰にも見せていない大事な写真です。
左端の赤いドレスの女性から3番目の青年がラッキーさんです。

大統領の孫の結婚式に招待された写真ですが正面を向いて
歩いているジャヤワルダナ大統領夫妻、一歩後ろの男性は
後に首相になっか方、右端は大蔵大臣と話していました。


   (ラッキーの奥様が写してくれた写真です)

ラッキーさんのお蔭で日本人が知らないスリランカ国の大事な事を
知りスリランカ国訪問できたことに感謝しています。

帰国後もジャヤワルダナ大統領についてネットで調べていましたが
新しい発見もできました。

小説での邱永漢著書や戦前の出来事に時々登場する戦前の国士と言われ

私が尊敬している 頭山 満の「アジア主義者の巨頭」と
言っていた気持ちが理解できる様になりました。


私の今の心境は、小さなことでもなにか恩返しが出来ることが
なにかあるのでは・・という心境になってきました

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(貼付け始め)
[スピーチ抜粋]
アジア諸国民が日本は自由でなければならないということに感心を持っているのはなぜで­ありましょうか。
それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で­日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷­従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。
私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、­インド及びインドネシアの指導者のあるものがかくすることにより彼らの愛する国々が解­放されるかもしれないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出­来事を思い出すことができるのであります

空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な軍隊の駐屯及びわれわれが連合国に対して天然­ゴムの唯一の生産者であった時、われわれの主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめたこ­とによってもたらされた損害はわれわれに対してその賠償を請求するつもりはありません­。
何故ならばわれわれは、そのメッセージがアジアの無数の人々の生命を高貴ならしめたあ­の偉大な教師の言葉すなわち『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によっ­てのみ消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。
それは偉大なる教師であり仏教の創始者である仏陀のメッセージであります。

故にこの条約の目的とする所は、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日­本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して自らの軍事的防衛力を組織するようにす­ること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること並びに日本経­済に害を及ぼすようないかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することでありま­す。
Full
(貼付け終わり)

パートⅡ異国情緒のある上海・横浜の港町は共通点が多い街です。

黄浦江に沿って中山東一路から一本裏通りの四川中路を散策しました。


1940年代に逆戻りした租界時代の雰囲気が残っている当時の建築ビルが

軒を並べてつながっています。


歩いている上海人、現代の自動車が居なければ欧州の街中と変わりません。


建物は保存されていますが地中に入れられていない電線がいたる所に

はりめぐされているのが美観を損ねているのが残念です。

共同租界はイギリスを中心とした街そのものを開発しましたが一瞬欧州と

勘違いする錯覚になります。


建物だけ観ていると昨年観光したウイーン市内と勘違いする雰囲気があります。

一瞬ロンドン市内と勘違いする赤レンガ造りの建築は北京東路の通りにあります。

昭和30年代の東京駅前の丸ビル脇から有楽町方面に赤レンガ造りの

三菱各企業グループが入っていた建物を思い出させる場所です。


同じく北京東路の反対方面から写した写真です。この付近は観光客もいませんし

落着いた地区になっています。すぐそばに上海半島酒店(ペニンシュラシャンハイ)

がありますがあまり話題になるほどの事もなく中に入った事はありません。

外灘(ワイタン)は中山東一路一番地から始まりますがその場所が写真の

旧英国総領事館で建物も手入れされて現在も金融関係の特権階級の

会員専用に倶楽部として使われています。


正門にはファイナンシャルクラブと書かれた銅版が張り付けられています。

銅版のたまご枠内には日本で言えば外灘一丁目一番地一号と書かれています。

外灘(バンド)では一番大きな敷地でゴルフ場で言えば数ホール分の広さでしょう。

出入り口には警備員が不審者の侵入をチエックし園内にも警備員が巡回していました。

観光客には入りづらい雰囲気があり園内は我々だけの散策でした。


そこから通り抜けて黄浦江公園まえからガーデン・ブリッチ方面に行く。



私が初めて上海観光に来た昭和50年には高層ビルは正面の当時黒茶色の

ブロードウエーマンションだけでした。建て方もゴツゴツした異様な物体に見えた。


当時から児玉誉士夫が海軍から調達物資請負をする児玉特務機関事務所が

ワンフロアーを使っていた事を読んだ事があるので潜在意識がありました。


児玉誉士夫は笹川良一に頼まれて上海で水田特務機関の不正を糺すために

1943年、水田を暗殺する、これは児玉機関の仕業とされる。魔都上海を

舞台とした小説、ノンフェクション、映画には必ずと言っていいほど登場する

ブロードウエーMです。


ブロードウエーマンションの高層階は当時から高級ホテルとして有名でした。

李香蘭(山口淑子)川島芳子、鄭蘋如(テンピンルー )も宿泊しています。


邱永漢著書「女の国籍」下巻には上海の大ボス杜月笙に事件のもみ消しを頼んだ

主人公の北小路華子がブロードウエィーマンションに 上海実在の表顔と闇世界の

超大 物「杜月笙」が一晩逢引に使ったホテルとして登場します。

1940年時代の写真と現在のガーデン・ブリッジ、黄浦江公園、一部見える

英国総領事館芝生、上海税関など一つも変わっていない。

コピーがあれば買って帰りたい一品です。


ガーデン・ブリッチを渡りアメリカ情報機関クラブが入っていたアスターホテルを

再度訪問して私が添乗員役を務めました。当時の歴史写真が多く飾られ

時代背景がよく解ります。


今回は風邪気味で虹口の日本人居留民団10万人が生活した残り少ない

建物、構築物を再度見学できず残念でしたが、友人二名(〇多、黒〇)に

とってはお互いインテリで経営者としても立派な方なので興味を示してくれました。

その中の一枚の写真には日本人10万人住んでいた虹口租界地区の模様

日の丸が飾られています情景はお正月風景だと思いました。


チャップリンも上海での定宿として使われていたと説明をしていました。


アインシュタインも定宿にしていて彼の使用していた部屋は今でも保存され

ドアー前に名前が書かれています。


ドアーをノックしたら当時のアインシュタインがドアーを開けてくれる、と説明された。


蒋介石も宿泊していたのでしょう。彼は和平飯店隣りのパレスホテルで

結婚披露パーティーを借り切って開催したと聞いた事があります。

一昨日のブログと重なりますが豫園付近のから「四牌楼路」小吃一条街屋台街

タクシーを拾い森ビルのパーク・ハイアット92階のジャズライブを聴きに行く。


91階のフロアーで降りて四角の空洞脇からEVを乗り換えて行くとジャズライブ

フロアーになっている。


前日に来るもの拒まずでジャズライブに14名連れて聴きに行ったら満員でした。

バンドマン脇の席8名分が空いているので勝手に座った瞬間に


マネージャーがかけつけて

「この席8名分テーブル・チャージ2000元+他の8名別の席合計3000元

飲み物別に頂きます」との事でしたが酔っぱらっていたので「かまわない!」


私の友人ジャズドラマーのチャーリーとの親しい関係を察知してコストダウン

もしかしたら混んでいても前の席は彼らのリベート稼ぎに空けている節がある。


昨日と同じ役者で芸人エンターテナー歌って、振付してサックス演奏と

多芸な役者。視察団は帰国、延泊した4名は客席としては

見やすい席が取れて一安心。


今回のジャズ・ライフ会場二か所は初めての訪問でしたが楽しかった。



臭豆腐の匂いのたち込む「四牌楼路」小吃一条街屋台街からパークハイアット

ジャズライブはあまりの格差には初めて連れて行った

お二方もビックリ仰天したでしょう。


(余談)

家内の親父は北千住駅助役で高校生までは北千住育ち

○川様も北千住の菓子企業の名士で同じ第16中学卒業生です。

黒○様の話では第16中学は学習院の分校との珍説を堂々と公言している。


屋台料理は一品10元 ビール4元紹興酒40元で呑んで食べられますが

パークハイアットでは0が一つか二つ多くなりそうはいきません。


この落差が分かる様になったお二方には感謝いたします。


無口でインテリぶらない〇多さん 企業経営者としても尊敬される黒〇様

本当にありがとうございます。右端のプロドラマー チャーリーとの再会

彼自身も喜んでくれて楽しかった。結婚してからいい顔になってきた。


演奏の休憩時間に次回の再会を楽しみにしている、と話していた。

5年前の独身時代に和平飯店ジャズ・Barでドラム演奏した時の動画


最初の数分間はお客の雑音が気になりますがドラム演奏は迫力満点!

お客様の拍手喝采に満足感が出ていました。

https://www.youtube.com/watch?v=q5akU7lspG0

横浜に行く機会があれば上海と共通した飲食店、BAR、ジャズクラブ、ライブ

どこにでも連れまわして堪能させる自信はある。


別れの最後に演奏休憩中ボディーアクションで

「約束を破らず実行してくれ!」と言わんばかりの演技をして抱き合って別れた。


それにしても上海・横浜は異国情緒ある港町は

来る人拒まず・去る人追わず人つき合いに差別しない気風は同じです。


70年前に上海を舞台にした「夜霧のブルース」デック・ミネのヒット曲

歌詞に「花のスマロ(四馬)かホンキュー(虹口)の街か~~」


宇崎竜堂がYouTubeで歌っている同じ曲が一番のお気に入り曲です。

    ↓

https://www.youtube.com/watch?v=uc31pj4p-yY

いつ聴いてもいい歌ですね!旧上海、魔都上海は魅力のある不思議な

港町は宇崎竜堂がヨコハマ・ヨコスカをこよなく愛している事と通じている。







異国情緒のある上海と横浜は港町共通点が多い街です。

上海は横浜と同じ港町で街全体の雰囲気に似たところがたくさんあります。


上海は阿片戦争に負けて以来150年間イギリス・フランスその後アメリカ・日本の

租界地で中国であっても上海は治外法権で中国の異国でした。


横浜もペリー来航以来は横浜市中区 山手・関内を日本人の立ち入れない

居留地としてイギリス・フランスを中心とした文化がいろいろな所に残されています。


上海・横浜は共通点の多い異国情緒ある港町で出船入船が多く、

人の出入りも「来る人拒ばず・去る人追わず」の気風が残っています。


今回の上海での夕食後は仲の良い仲間同士は行く先々を

非公開にして、わらない様にして出かけていました。


そんな事も横浜暮らしの友達の影響からか・・

ジャズバンドのドラマー演奏を聴きに行きたい方は俺について行くか、と

十数名を連れてホテルオークラから歩いてジャズライブまで行きました。


横浜も毎年のジャズ祭りには街中・BAR・会館・コンサート会場では

一日中お祭り騒ぎになっています。


ホテルオークラ(花園飯店)から徒歩20分にある旧フランス租界にある

JZ Club, 46 Fuxing West Rd., Shanghai, Shanghaiまで12~14名連れて

ライブを聴きに行きました。


今回の場所はドラマーのチャーリーが独立したライブ場で道を間違えながら

やっとたどりつきましたが素晴らしい演奏と雰囲気で皆さまとてもよろこんで

頂き一安心出来ました。


(延泊後の1日)

一日延泊した理由は昨日書いた屋台料理を食べる目的もありましたが

日本人居留民団10万人住んでいた租界の虹口地区に残された再確認でしたが

風邪をぶり返して中止しました。その代わりに外灘観光に切り替えました。


外灘(バンド)は何時行っても観光客であふれています。今回の休息に利用した

店は上記の☆マークを付けられた優良レストラン&バーです。

会員制レストラン、社交クラブも入店している上海高級店に指定されていました。


昼食後の明るい時間帯なのでバーカウンターは開店休業していました。


建物は横浜にも進出していた阿片・お茶・銀・金などで巨万の富を築きあげた

東インド会社との関係が有る旧怡和控股の屋上にあるレストランです。

ただし場所代を含めて料理の値段はビックリするほど高額請求をされます。

黄浦江の真向かいは浦東の陸家嘴金融貿易区中心になります。

ビルに四角く穴があいている森ビルの右隣には600m級の高層ビル建築中。

今年の暮れに完成予定されると聞きました。


外灘(ワイタン)景色を見る絶景の場所ですが観光客・地元上海人にも

分かりづらい場所ですが次回上海訪問する機会にも立ち寄りたい所です。



右側の白い綿シーツが引かれている休息用ベットが有るのには驚きです。

しかし一番眺めの良いコーナーで家内はコーヒー、我々はビールを

お代りしながらゆっくりした時間を過ごしました。私が風邪気味でなければ

そこそこと引きあげて虹口探訪に出かけていたでしょう。

長時間の休息中に船の出入りを見ていましたが思っている以上の出船・入船

観ていて飽きがこない。


手前の埠頭は中国海軍基地になっていて虹口の正面からの写真は禁止です。

その先には大型客船が停泊されています。

その大型客船がタグボートの先導で方向転換をしながら外航に行くのでしょう。

それにしても周りの高層ビル景色とヨコハマ大桟橋風景がダブって見えます。



旧怡和控股を後にして外灘の裏道四川中路をぶらぶら歩きながら

アスターホテルまで散策しました。

上海市豫園裏の地元民の屋台

視察団の予定より一日だけ延泊した理由は屋台料理食べ歩きする為です。

視察団は一般庶民が気軽に食べられる屋台めぐりは絶対にいたしません。


豫園から裏道を抜けて「四牌楼路」小吃一条街屋台街で会食しました
安くて旨い日本人、欧米人、韓国人は一人もいませんローカル屋台です。


前回「四牌楼路」の屋台料理を食べに行った時は現地の方に案内して

もらいましたが今回は日本人我々4名で道を間違えたりしながら

現地の方と電話のやり取りで、やっとたどり時ました。



豫園から6~7分歩いた現地人しか行かない昔ながらの街並みの奥の方にある。



「四牌楼路」入り口にはずらりと屋台村が所狭しと並んでいます。


臭豆腐の独特な臭いが鼻につきますが馴れれば



初めて連れて行った私の友人は臭豆腐の匂いには参った様子でした。

今回は彼らの(○多、黒○)抵抗が大きいので買って持ち込みする事は中止。



彼ら二人は、まさか屋台村までタクシー使ってわざわざ来るとは予測していない。


昨年6月に初めて来たときの店に入る事にしました。

彼らと値段交渉するだけで疲れてしまいますが、それも楽しみの一つです。



他店で焼麺と野菜入り上海ナンを買い求める。



たいら貝のニンニク入り焼は抜群に旨い!


我々の注文した一品料理は上品な物ばかり。



いろいろな食材に圧倒されるエロスの世界は多くの魅力がたくさんある。




野菜を中心とした食材を指でさせば食材に合わせて料理してくれる。



いかがですか、食材の豊富さにはビックリするほどたくさんあります。



焼きたての肉まんも美味しそうでしたがビール3本、紹興酒などなど飲んだあとは

年とってからは眼は食べたいのですが胃袋が受けつけてくれません。


前回食べたザリガニは食べるところが少ないので今回は中止する。

トイレの脇にある調理場の一部ですが整理整頓は全く出来ていない。

しかし料理が旨ければ良しとする。


食べ終わってからタクシーで浦東新区陸家嘴金融貿易区中心区の

森ビルに入っているホテル・パークハイアット92階のジャズライブに

行く事にした。




スリランカは美人が多いと感じました。


スリランカは美人が多く背が高くすらりとしたスタイル女性が多い。


ただし結婚して20年過ぎると次第に横に広がり福与かになる。

もしかしたら、ふくよかになるスタイルは富裕層になることの条件かも・・


下記の美人は写真取りを了解していただいた方々です。

全般にいえる事は目と目が合った瞬間にニコリとしてくれる。

我々日本人に親しく感じることも理由の一つかも知れません。



写真上下の超美人のお二人はモデル?タレント?かも

結婚式に招かれた美人を観ていると体がフラフラになる。


写真を写すときにニコリと笑顔、いいですね!

新婦の親戚と思われる美人もシャッターを押す瞬間に笑顔で答えてくれる。

コロンボ国際空港で写した客室乗務員です。


我々の乗ったスリランカ航空にも多くの美人客室乗務員が

サービスしていましたがエアコンが効きすぎて寒くて寒くて


写真を撮ることも忘れて機内に持ち込んだ冬物を全部取り出し

機内毛布をぐるぐる巻きにし丸くなっていました。


泊まったホテルでの新郎新婦ですが新郎の顔はカットする。

それにしても超美人をモノにした新郎がうらやましい。


新婦側の親戚と思われますが可愛い女の子がいました。



ホテル内で出合ったお二人の美人はどんな関係か分りませんが

愛想がよく私にウインクのお返しがありました。

家内が居なければフラフラと言い寄る処でしたがあきらめました。


紅茶を買い求めた専門店で紅茶畑のモデルをしている女性です。


上下の写真は小中高校訪問した日本語担当教師ですが

スリランカの知的な美人でした。

国費留学で日本の大学で勉強していたと聞きました。


美人特集とは関係ありませんがホテルのプールガーデンで

結婚式の披露宴会場に出演するスリランカ民族衣装を

つけている彼らは芸能プロダクションから派遣された人達でしょう。