スリランカ紀行は素晴らしい旅でした。
スリランカ紀行は素晴らしい旅になりました。
仏教の聖地になっている世界遺産のキャンディー市からバス移動で
南の先端にある町ゴール市に到着して世界遺産の要塞都市と
市内観光をしまっした。
スリランカ人には日本人に対して親日的なのか珍しい目が合うたびに
笑顔で挨拶の返礼がありました。
しかし一つだけ不快な態度で拒否された事がありました。そこは観光中の
ゴールでの歴史ある高級ホテルでのトイレ使用を断られました。
白人女性のマネージャーだと思いますが現地添乗員も「仕方ない」と
あきらめて町中の公衆便所まで我慢して歩きました。
断り方は白人特有の東洋人を上から目線で冷たくあしらう方法です。
(スリランカ添乗員は素直にあきらめました)
キャンディー市からゴール市にバス移動中に日中にもかかわらず
不思議な木にだけに鈴なりにとまっているコウモリ群。
ゴール市郊外で牛がのんびりと行進中を見つけました。
スリランカ南西海岸の先端部に位置するゴール市の要塞都市跡。
植民地政策はポルトガル・オランダ・イギリスへと時代と共に変わっていく。
ゴール要塞都市にオランダ東インド会社が造った遺跡あと。
表の顔と裏の顔があります。
東インド会社は後にイギリスが管理しながら植民地政策の重要な
貿易管理をしていました。
イギリスは木綿をインドに輸出してその代金でインド産 阿片を中国・上海に
輸出しお茶をイギリスに輸入する三角貿易巨万の富を築き上げた。
スリランカは当時セイロンとよばれ東インド会社が紅茶・香辛料・生ゴムを
イギリス本国に持ち込んでいました。
当時はインド人、セイロン人の奴隷取引にも関わっていたといわれています。
ヨーロッパ人にとっては黄色人種・黒人などは奴隷としての人身売買は
正業とみられていたのでしょう。
東インド会社が建てた倉庫群は世界遺産として残されいました。
コール市の要塞都市にあるレストランまで到着する直前にインド洋に沈み
かける太陽は、ひときわ美しかった。
山岳地帯でつまれた紅茶をコロンボの埠頭までひかれた鉄道は
アジアでは初めてのことでした。左の海はインド洋です。
今回コロンボ市の小中高校 principal Isipathana Collegeの学校訪問をしました。
全校生徒5000人とききましたが日本語教室もありビックリしました。
学校訪問は視察団に是非コースに入れる様にお願いしていました。
理由は高校卒業して日本の大学で勉強するための下準備する若者を
ホームステイさせて大学で勉強させたいからです。
上下の写真は日本語を選択している12年生の若者たちです。
今回の学校訪問は中央に写っている
現地NHK特配員のPANINI KUDAVIDANAGE様の通訳で校長先生、教頭、
日本語担当の先生などが大歓迎を受けて会議を開いてくれました。
スリランカ国の人口は2100万人のうち20歳以下の児童・生徒が500万人いる。
大学生は4万人なので10人に1人の割で進学すると勝手に計算しました。
人口構成は日本と違って逆三角形にはなっていませんので
経済発展は間違いない。
第二次大戦前にはシンガポールなどより文明国家を形成していた。
30年間の内戦で出遅れた経済ですがコロンボの中心部には5星超高級ホテル
建設が三か所も始まりました。
イギリス植民地時代に栄えていたラッフルズホテル同タイプも一時休業して
建物は保存した状態で再開発中でした。
我々の泊まったザ・キングベイ・コロンボホテルの隣りは大統領官邸で
常に警備が厳しい体制が引かれていました。
スリランカ国立 小中高校一貫教育を視察しました。
スリランカ国の訪問の一つに小中高校の義務教育を視察することでした。
公立学校は6歳から18歳までの一貫教育の12年間同じ学校で学びます。
1年生(6歳)~12年生(18歳)という言いかたで表しています。
学費・教材費など一切無料なので貧しい家庭でも安心できます。
こちらの義務教育では各国の言葉の読み書きの選択教室別に分かれています。
日本語を学ぶ教室にはたくさんの生徒がいます。
学年が進む度にひらがな・カタカナ・漢字などに進んで行きます。
訪問した10歳児(小学校4年生)ですでに日本語を勉強しています。
親日関係では台湾と同じ、又はそれ以上の親日国家である事を改めて
知る事が出来ました。
民族間の内戦が終結してから中国企業が多く進出していますが
スリランカ人の本音は日本企業の進出を多く望んでいます。
今回の学校訪問のきっかけは、横浜山下町で船の汽笛が聴こえる
異国情緒豊かな「BARラッキープレイス」スリランカ人オーナー
との会話がきっかけです。
行きつけのBARで彼は私にだけ本音で政治・民族・教育の話をしてくれます。
ただし他の客がいない二人だけの時だけです。
1)日本の歴史教育・教科書にはアジアで起きた真実は書かれていない。
2)NHK,朝日、毎日、東京新聞、TBSをはじめ真実を語らず、中国、韓国などに
媚びている反日マスコミ報道で日本人の思想回路をゆがめている。
3)彼が(ラッキー)読んでいる海外から持って来てくれた英字新聞は
航海士、船長、船員が読み終った新聞と日本で左翼新聞編集者の
検閲?を受け時々 英字新聞が反日記事に書きかえられていると、話す。
4)スリランカの親日国家がサンフランシスコ講和条約の原案に反対して
戦勝国のアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国と共同租界5分割に反対した。
5)スリランカは第二次大戦で輸出で大事なゴム園・港湾設備・インフラ設備を
日本軍の爆撃で壊滅されたけど
「恨みを恨みで報復する事には平和が訪れない」と損害賠償請求をしていない。
(反日国家、韓国・中国に爪のアカでも飲ませたい心境!)
6)彼の話には戦後の吉田首相、岸・佐藤・田中総理までは政治家、高官の
東南アジア国訪問する前にスリランカに立ち寄りその後に
訪問する国に行け、と指示していた話をしている。
その事は今の麻生副総理が一番分かっている、と教えてくれた。
今回の訪問した国立コロンボ学校には6歳から12歳の生徒5100人の
在校生がいます。写真は旅行者の佐藤さんに現地ガイドが学校担当通訳を
紹介している場面です。担当者はNHK現地特派員を兼ねている。
正面には仏像があり雰囲気は学校に来たとは思われない。
日本でいえば小学生と高校生が同居している不思議な感じ。
5100人の在校生を教育している校長先生は若い方でした。
上記の二枚の写真は日本語担当の女先生は知的で美人でした。
流暢な日本語で話しかけられるので流石に親日だと感じる。
最終学年12年生教室の日本語教室での若者です。
笑顔で迎えてくれ、目が輝いて見えました。
うちの孫と同じ年齢に見える児童ですが先生の前では皆さんおとなしく挨拶。
違う教室では先生不在でしたがご覧の通り我々を大歓迎してくれた。
年頃は10歳前後のネアカで笑顔、眼はキラキラしている。
子供達はその内我慢が出来ず大声を張り上げお祭り騒ぎになる。
中には机に立ち上がり騒ぎ出す、うちの孫と同じ行動をしている様な勘違いになる。
数分後に女先生が教室に入った瞬間スリランカ語で「静かに!」
手のひらを返したごとく、波が引いたごとく、シーンとなる。
180度違う行動は子供たちの特権でどこの国の子供達と変わらない。
教育熱心なスリランカ義務教育を視察して国の将来は思っている以上の
発展は間違いなし!
教室での視察を終えて校庭付近の子供達の明るい顔にはうれしい。
訪問を終えて校門前での記念写真は日本語担当女先生二人と右端の
完ぺきな日本語を話す海外担当通訳はNHK特派員は昔NHK英語先生を
していたウイッキーさんと似ていました。
コロンボ市内でバス中で観た光景ですが、今回訪問した学校と違います。
クリケット競技での対抗戦の応援風景ですが公道を大型トラックで行進。
ここの学校出身者には政治家、官僚の多くが卒業生しているので
公道使用を多めに認めていると現地ガイドさんの発言でした。
今回の学校訪問のきっかけを与えてくれた視察団、ヨコハマの
BAR博学非凡なスリランカ人オーナーに感謝いたします。
今回のきっかけで「金を稼ぐだけは半人前!使って一人前!」二人の
セガレも厳しい社会情勢にも関わらず後継者としてパン事業を引き継いでくれた。
200㎡の自宅に年寄り二人の生活をしているので
ホストファミリーになってボランティアでこの際スリランカ人の大学生を
4年間住ませて日本の大学費用をはじめ生活費の面倒をみてやる気持ちになる。
ホームステイさせて親日国家にお返しする方法も視野に入れ、
晩年の人生を過ごしたいと思っています。
昆明国際空港からスリランカ民主社会主義共和国コロンボまで
スリランカの国際空港到着後はバス移動3:30かけてキャンディー市まで走る。
仏教の聖地キャンディーのリゾート高級ホテル到着が真夜中の午前零時ちかくになる。
キャンディーは高地にありゴルフ場もあって気候もよくしのぎやすいです。
国際空港をはじめマヒンダ・ラジャパクサ 大統領の写真がいたる所に貼られていました。
今年は選挙の年で人気の高い大統領の宣伝工作を利用する議員が多いとのこと。
スリランカは80%の仏教国で他のヒンズー、イスラム、キリスト教となっています。
30年間民族闘争に明け暮れて経済発展が遅れましたが今は落ち着いたそうです。
民族闘争終結5年目を迎えて中国企業進出が目覚ましく各地で企業名を目にします。
出遅れた日本企業進出も毎年多くなり株式市場もこれからと感じられました。
経済、株式市場に発展途上国に多くみられる外国人枠を発行株式40%まで
などの制限は紅茶会社一社のみで他の将来有望株は制限していません。
しかし74歳の私には今から買って儲けても自分に還元できないので見聞するのみ。
私の感じた事は10年後にはアジアでの発展間違いなし。
15年若ければ上場株の時価発行1~5社を選び場して5年間は遊ばせておく。
10倍以上の値上がり期待できるでしょうが年が年なので蚊帳の外にいます。
理由は6歳から18歳までの無料の学校義務教育の徹底、向上心、真面目で
手先が器用な事などがあげられます。
空港で入った男子用トイレのキン隠し便器はTOTOを使用していた。
陶器のノリタケは日本企業NOワンでこちらでは一流ブランドになっています。
タクシーはインド製60万円のオート三輪車が多くタクシー用四輪自動車は見かけません。
キャンディーは首都コロンボ市から115キロ離れた仏教の聖地になっていて
イギリス植民地時代からのゴルフ場もあり気候も温暖で素晴らしい土地でした。
早朝7:00~8:00までは学校の通学時間帯で渋滞になっている。
仏教画の原典は仏教・ヒンズー教・回教・キリスト教・ユダヤ教・ロシア教?の
似通ったところを感じますが私だけかも知れません。
アジアで初めての鉄道はスリランカと説明を聞きました。
山岳地帯で紅茶の葉を摘み取り早く港まで届ける為に造られたそうです。
30㎏以上の大きさになるジャックフルーツのなっている木を初めてみました。
小さなジャツクフルーツは一瞬ドリアンと見間違えますが中身の味は
思ったほど好きになれる果物ではありません。
BOPF(ブロークン・オレンジ・ペコ・ファニングス)セイロン紅茶の最高級品質名称
アルファベットの内容はナントか、カントか行っていましたが覚えていません。
5キロの木箱に30㎏の紅茶を入れた当時の箱です。
紅茶畑の様子を再現している紅茶専門店の従業員です。
スタイル良く美人系なので好奇心がわき立ちわざわざそばまで行って記念写真。
街中で見かける自動車販売用パン売り風景。急いでいるので買う事が出来ない。
中国昆明から来たせいかセイロンのライオンビールは旨い!
中国は青島ビールをはじめ中国製ビールの旨い会社はない。
スリランカ1日目の印象は台湾と同じく親日国家です。
日本人と分かると笑顔で話し掛けてくるし、素晴らしい国と褒めてくる。
日本からの援助で高速道路をはじめインフラ設備にとても感謝している
その理由は過去に書いたブログ
http://ameblo.jp/tozando/entry-11760295270.html で検索してください。
昆明市の旧市街を散策しながら
♪・・三日遅れの便りを(ブログ)のせて♪~~
昨日は上海に戻ってきました。
度々書くますが毎日強行軍でスケジュールをこなしています。
3/10は昆明市の旧市街探索を兼ねて昼食を食べに行きました。
昆明市で一番高級5星ホテルの翠湖ホテルで朝食前に部屋に置かれていた
Qカフェーコーヒーに目がとまりました。北京のQカフェー総経理は雲南省、
四川省 成都のコーヒー管理は「やってられない!」と故邱先生に直談する。
その結果現在は成都の管轄になり北京総経理に詳しいいきさつは聞いていません。
朝食にはタダでコーヒーが飲めるのでバックに入れて持ち帰る事にしました。
ホテル前の湖には北国から飛んできた白鳥が居るはずですが見かける
事はできませんでした。海カモメがたくさんいて
そこそこの観光客を楽しませていました。
昆明旧市街はテント・トタン板で作られたバラック建てには数え切れない
商店といえない物売りの集まるマーケットです。
物売りの出店には食料用ヘビか観賞用ヘビか分かりませんが売られていました。
この真黒な虫はゴキブリにちかい動き方をしていましたが漢方薬になるそうです。
中国語で説明されていますが意味不明です。
えたいのしれないいろいろな商品はなにに使われるか時間が無くて聞き損ねました。
鳥の餌との説明でしたがウジ虫か昆虫の幼虫か分かりません。
もしかしたら昼食に出された料理の一部でないかと疑問を抱く。
昆明では古くから営業している雲南料理「昆明光房子」は邱先生のお気に入り
レストランの一つでした。
先ほどのウジ虫幼虫と勘違いするほどよく似た物体です。
油で揚げた一品ですが、こちらでは前菜として出されていました。
マツタケその他のキノコのたくさん入ったスープは名物料理の一つです。
肉は豚肉が多く出てきましたが脂身が多くイマイチでした。
その他にも十数種類の料理が出てきましたが感激するほどの事はないです。
昆明旧市街にはところどころ古い建物に目が写り感激できます。
古くて渋い建物は取り壊されるのでしょうが見ていて飽きがこない。
昼食後は昆明市郊外に新しく出来た中国で第4番目国際空港があります。
そこからスリランカ国コロンボ国際空港に出発しました。
いづれにしても今回の強行軍には時差ぼけも重なり飲む酒の量も減ってしまう。
雲南省昆明市までの長旅にクタクタになりました。
3月9日 日曜日から羽田空港よりANAど関空経由で上海まで行き3時間待ちで
雲南省昆明国際空港に到着したのが翌日の午前1時になりました。
ビジネスクラスで来た人達と上海合流したのが待ち時間に加算されて
遅れることの原因になっていました。
昆明到着してバスに乗り込んだ時間が1:41になり翆湖ホテル到着は
午前3時近くになりました。3時間の睡眠時間で朝食を食べて昆明市内
見学に出かけました。
昆明からスリランカ国コロンボ着そしてキャンディーまで3:30バスに揺られて
ホテル到着は午前零時になり翌日は5;30起床6;30分荷物を出す。
3/10~12まではブログを書く時間は全くありません。
平均睡眠時間3:30分。このブログは3/12コロンボの
ホテルで上海行きまでの休憩時間に書いています。
遅い昼食を中継の関空でカツカレー、中瓶ビール、燗酒は七尺徳利に不満になる。
家内は「なごみ膳」1050円を注文するがツマミを横取りする。
関空から上海行きにはバス移動で中国東方航空に乗り込む。
思った以上の乗客にほぼ満席になる
19:00出発の上海行きが遅れて昆明到着時間の嫌な予感。
上海発~昆明行の中国国内線に乗っている中国人乗客のマナーの悪さに
改めて驚く。客室乗務員の静止も聞かずにドアーに向かって歩き出す。
中国人マナーは100年経っても変わらないでしょう。
こんな連中を使っている北京パン工場の日本人スタッフを改めて尊敬する。
新しく出来た昆明国際空港到着後バスに乗った時間は翌日の1:41分でした。
睡眠不足はこの日だけで終わらずスリランカに到着してからも続く。
このような日程でも今年74歳になる私にも耐えられる体は有難い。
私が一番の長老と思っていましたが上には上がいて81歳の方も参加している。
3/13真夜中1:30分のバンコックでトランジットして上海まで行く予定です。
今回の視察団はとても強硬軍ですが体力の無い方にはとても無理です。
二日後書く予定ですがスリランカの話題ですがとても素晴らしい国に感心しました。
今日から中国昆明市まで行ってきます。
今回の海外視察団は複雑な工程になっています。
私を含めたエコノミークラスは羽田から関空経由上海でトランジット
して国内線で雲南省昆明空港までの日程になっています。
たまにしか利用しない世間体を気にする人達は
ビジネスクラスで成田から上海でトランジットして昆明に入ります。
全行程一回乗っている時間4時間以内のエコノミークラスと
ビジネスクラスの差額は20万円近くの格差があります。
20万円れば屋台で何回飲めるか計算する私にはバカバカしくて
利用する価値がありません。会社の経費も自腹の金も背広の
ポッケットで言えば内ポッケットの金も外ポッケットの金も
両方共に俺の金だ同じ経費で使うならば会社に必要な経費にする。
ビジネスクラスといっても中国東方航空8席の座席は欧州線の
エコノミークラスの座席シート幅しかありませんし3時間近くの距離には
73歳でも苦痛を感じたことがありません。
ビジネスの機内食もセブンイレブンの600円の弁当並で
味はセブンの方が旨いのは食品業界にいる私には分かっている。
邱先生をはじめ有名人、芸能人、スポーツ選手は我々と同じ
エコノミー席ではサインをねだったりしてプライバシーが保てないので
格上の席でも仕方ないでしょう。
昔から寿司屋の値段ほど勘定の開きの大きい食い物はありません。
飲食いして一回に3~5万円の寿司屋が旨いと言っている連中には
一般社会とかけ離れた虚業社会の連中とおもっています。
(橘玲のブログより一部貼り付け)
5万円の懐石料理、50万円のブランドバッグ、500万円の高級時計というのは、
原価からはあり得ない値段です。
たんなる革製品にロゴがつくだけで値段が10倍になるのは、
その背後にある物語(というか幻想)に付加価値があるからです。
その物語は広く知られているので、ブランドを持つと周囲の評価が高まります。
ひとびとがブランドを好むのは、お金で社会的な評判を買えるからです。
http://www.tachibana-akira.com/2014/02/6286
(貼付け終わり)
3月8日土曜日 横浜山下町のスリランカ人経営のBARラッキープレイスで
オーナーとスリランカの国内事情を聞きながら時間を過ごし遅い帰宅に
なりました。
今回は昆明からスリランカに行く予定にしてしています。
スリランカに行く理由については後日詳しく書く予定ですが現地についてから
詳しくお知らせいたします。
雲南省昆明市経由で一泊します。
10年前に故邱先生から北京でコーヒーショップQカフェーを開店予定前に
パン・ケーキを製造出来る設備の依頼を受けました。
最初は先生と家内、セガレを北京に送り出し現地の市場調査をさせました。
帰国後に
「お父さん北京・上海の5泊6日の宿泊、
食事代はすべて先生が負担してくれました」
と報告を受けて、旅行中は上げ全据え膳で、当時50代後半の
家内を御姫様扱いで大満足。その結果、
北京市場については未来は開けると決断してくれる。
私は先生から中国北京ででパン製造の話は家内には言えませんでしたが
即決即断でパン工場設立を実行に移す事に固めていました。
先生は雲南省の昆明市から数時間山奥の保山でコーヒー栽培を
手掛け初めていました。十数万坪を取得してコーヒー豆栽培を実行に
移していました。今回雲南省昆明市・保山は思い出のQカフェー聖地です。
思考錯誤しながら現在は成都の総経理が引き継いでいます。
前置きが長くなりましたが明日3/9日曜日は思い出の雲南省昆明市に
一泊します。ホテルには保山で栽培したQカフェーコーヒーが飲める事でしょう。
上海経由雲南省昆明には数回訪問していますが
春夏秋冬が一度に体験できる季節の変化した土地柄です。
しかし残念ですが数日前に少数民族大量殺人事件発生。
殺人事件についての情報は一切ありませんが、
早速街中に繰り出して武装警官、私服を含む公安警察、
共産党精鋭陸軍部隊の動向をくまなく視察予定。
滅多に出あう事のない暴動を目の前で見る事が出来たら絶好のチャンス、
騒ぎが大きいほど血が騒ぎ肉躍る興奮した心境になれるでしょう(不謹慎)
自宅近くの「もみの木台クリニック」は信頼出来る病院。
(昨日の続き) 自宅近くにある開業医「もみの木台クリニック」で体調不良(風邪気味)に ついて診断してもらいました。いつ見ても患者がいる雰囲気はありません。
診断が終わり体調不良でしたが、その後二時間かけて墨田区菊川駅 三つ目通りにある東京パン連盟事務所での例会に行ってきました。 そこで気がついたのがインターネットで検索すればたくさんの情報が 書き込まれ評判も分かる事に気が付き早速調べてみました。
昔は情報を集める手段は不可能でしたがネット検索で個人名をクリックすれば 有名人でなくても、だいたいの事は出てきます。検索しても出てこないのは 一般社会との接点が少ない人か社会貢献出来ない、しない事もあるでしょう。
悪性ガンにかかっても畳の上でお陀仏できる約束を取り付けた事になります。
ご臨終になる前の癌が暴れたりする激痛は毎回モルヒネ注射をしてもらい 大手術しないで楽して畳の上で大往生(極楽往生)したいです。 下記のアドレスはもみの木台クリニック情報です ↓ http://www.aoba-ku.jp/request/medical/doctors_profile_d/216/
(ネットより貼り付け)
検索した結果は信頼してかかり付けにしたい個人病院と判断する。 |
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(貼り付け) 医者になれば家族が病気になった時に治してあげられると思ったんです。 自己中心的に思われるかもしれませんが、小さい頃のことですからね(笑)。 福島県立医大を卒業後、山形県立中央病院に勤務し、 その後に東北大学胸部外科(心臓外科)に進みました。
あっちこちせず真っすぐに郷里に帰ったということです。 私はとりあえず素直でしたからね(笑)。 循環器はもちろんのこと、肺がんに消化器、甲状腺のバセドー病まで あらゆる手術に携わってきました。
極端な話、例えば田舎の山中とかに行って誰も頼るものがいない中、 医者として通用するには外科のスキルがなければと考えたんです。 それはともかく、当時の外科医は病気の診断に携わることはありませんでした。 例えば胃がんを切除するにもどこからどこまで切っていいかを、 逐一、内科医から指示を受けていたものです。
そのような理由もありました。
これまで培ってきた知識と経験を活かし、質の高い医療を提供していきたいと考えています。
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畳の上で死ねる気に入った病院をみつけました。
中国 北京から帰国した翌日から体調が急に汗が出たり寒くなったりしました。
PM2.5 空気汚染 500の最悪条件の出張の影響と思っていましたが
羽田で入国する手続き前の検疫申告は無視して自宅に帰る。
70歳を過ぎてから昨年もインフルエンザに似た症状の風邪を引きました。
過去の風邪と思った時には徒歩7分ちかくの横浜総合病院にかかっていました。
人間ドックで発見した大腸ポリープは昭和大学横浜市北部病院、
40年前にビチュウカク彎曲手術は東邦大学医学部付属大森病院
73歳までに いろいろな病院にかかった経験から治療に出される薬は
似たり寄ったりで風邪など日にちが過ぎれば治ってしまいますが長引かせない
為に薬はほしくなります。
どこの病院も待合室は満席状態で一日がかりで診察待ちには嫌になってしまう。
今年74歳になるので例えガン、その他も高齢者になってかかる大病等々または
アルツハイマーになも大病院にだけはかかりたくないし大手術はしたくない、
治る保障の無い病気に大金賭けて人生勝負したくない。
ブログにも書いた事がありますが「畳の上で死にたい」願望を持っています。
今回は咳、タンがあり、微熱が出た程度の風邪にちかい現象です。
自宅付近のバス停留所前に「もみの木台クリニック」がありますが
昭和49年開設しましたが ちかくに横浜総合病院がオープンしてから
患者が減り続けて廃業してしまいました。
廃業してからずいぶん経ちますが経営者が替わり2年前から再オープンしました。
もみの木台バス停を降りる度に患者が居る雰囲気は見たことが無い。
又いつ廃業するか気になる個人病院なので、毎回外から見える待合室が気になる。
今回の風邪にちかい状態なので家内が
「お父さん「もみの木クリニックは自宅まで往診するそうよ」
「死ぬときは希望通り畳の上で死ねますよ」
「自宅往診してもらえば検視されずに横浜市営の焼場で直ぐ骨にしてくれるよ」
「希望どうりブログに書いている遺言状通りに有言実行できて
残された家族も死んでも悔いなく安心できる」と言いだしました。
ごらんの通りいつ見ても駐車場に車が止まっている様子は滅多にない。
自宅から徒歩二分(160メートル)の所にある便利な病院ですが
3/4の8:55分に診察を受けに行きましたが患者は一人もいません。
9時過ぎに白衣を着た60歳代の先生が外から入ってきました。
患者を滅多に見ない寂れた個人開業医の経営は大変だなあ~と感じる。
早速診断してもらいたくさんの薬を調合してもらいました。
ついでに花粉症の状態も出始めたのでついでに薬をだしてもらう。
これだけの薬を出してもらうと、飲む順序、個数を頭に入れるまで大変だ。
大病院で時間待ちしながら出してもらう薬と大差ないと思う。
それにしても大変な量だ。
今日は3/4は会社出勤は体調不良で行かないが東京パン連盟の
一日一回にこれだけの量を飲べば数日間で治るでしょう。
結論:空いていて直ぐにみてくれるので
今後はもみの木台クリニック行くことにした、気に入った病院だ!心を切り替え
冷たい目線でいつ廃業するか、なんて考えなく何時までの開業してもらいたい。
来週からは中国上海経由で大量殺人事件のあった昆明市で一泊します。
早速市内の状況を視察しながら、物見胡散で武装警察、公安警察、
一党独裁 共産党陸軍精鋭部隊の警備状況をくまなく見てくる。
昆明はQカフェーコーヒー館をホテル内にオープンした思い出深い土地です。
コーヒーを飲みながら警備情報視察を兼ねて現地情報をお伝えします。
それにしても刀で斬りつけて30人ちかい人殺しは中国少数民族問題の
根の深さは深刻な問題です。
北京滞在中に北朝鮮ホテルで美女軍団を前にして食事。
(本題の前に)
誘われても行きたくない国は韓国、北朝鮮、イラク、シリア
(韓国政府、国民の反日運動にはウンザリする)
行きたい国はキューバ、アルジェリアが残っています。
キューバ、ハバナを愛した作家ヘミングウェイの世界を見たい。
アルジェリアのアルジェは映画ジャン・ギャバン主演「望郷」ペペル・モコ
カスバの隅々を探訪した後にベリーダンス踊り子をお持ち帰りしたい。
(本題に入ります)
北京滞在中、総経理が小声で家内に内緒で北朝鮮のよろこび組の
セクシーな踊りと楽団を観に行かないかと誘ってくれました。
総経理は
「ただし、よろこび組お持ち帰りは元社長の財布では無理かなぁ~」
元社長
「北朝鮮は絶対に許せない拉致未解決チェチェン思想政治体制許せない!」
「しかし美女と朝鮮漬け、朝鮮料理は川崎に住んでいたころから好きだ」
「鋼管通りからセメント通りの朝鮮料理屋 桜苑、西の屋は常連客だった」
場所は三全公寓マンションから徒歩10分の所に国営北朝鮮ホテルです。
最近は北朝鮮ホテルを取り巻く良いうわさは聞いたことが無い。
早速、パン工場日本人を含む7名を予約して行く事にしました。
黒く四角くなっている三全公寓から赤☆まで徒歩10分
予約をするほどのことはなくお客はパラパラ状態でした。
毎晩8時から北朝鮮平壌で集めた美女軍団(よろこび組)が歌ったり
踊ったり、ダンスしたり出来ます、と書かれています。
よろこび組写真の料理メニューの表紙は派手に出来ています。
天狗の狗と書かれている肉は犬肉のことです。久しぶりの犬肉に有り付けた
(ルンルンうれしくなる!)
北朝鮮にも地ビールが有るのに驚く、一本48元(816円)一般ビールの
4倍ちかくのボッタクリ価格に驚くが、ここで一本飲まなければ
上記の3本も北朝鮮産アルコールで右の醸造酒、真中のブルベリー蒸留酒40度
左の朝鮮人参入りは200元もするので飲むのは取りやめした。
今回最初に出てきた朝鮮漬の旨さには驚くほど旨かったた。
メイン料理は赤?犬鍋料理にする。今回7人での会食に食べた人は6人でした。
初めて食べた人もいましたが、黙って出せば犬鍋とは分かりません。
食べ終わってから体も温まり元気が出た気分になった。
会食は8時までに終わりこれから、よろこび組美女軍団のはずですが
思ったほど驚く美女ではなく「冗談じゃ~~ねい~よ」
顔を白く塗りたぐった「鈴木そのこ」タイプが踊りだすが、こちらの気分は
落ち込んでくる。よくよく見ると年増の女に立つものも立たなくなる感じ。
ついさっきまでウエートレスしていた40歳ちかい女性が着替えて歌いだすのに
マアマアのよろこび組のたった一人だけのよろこび組の美女でしたが
私たちのテーブルに挨拶には来ません。ふところを見透かされていたか
先に予約が入っていたか彼氏がいるかは推察出来ず全く不明です。
こちらはアルコールが入っているので多少は気持ちが乗っていけるが
勘定が終わってから帰る直前にメンバーズカードをくれる。
次回行く予定はありませんが行くとしても「よろこび組」のサービス次第です。















































































