下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -25ページ目

北千住の旨い焼き鳥屋「鳥真」

家内の父親は国鉄幹部職員で北千住駅官舎に住んでいた関係で
中学卒業までは北千住の下町育ちでしたが大学時代は千葉県民になる。

北千住には思い出が多いこともあり現在のイトーヨーカ堂の
発祥の地が自慢話で度々聞かされてきました。

私の友人に超優良企業の製菓会社のオーナーがたまたま北千住生まれ
育ちで昭和22年時代は子供を生めや増やせの時代で同じ中学で現在は廃校
になりましたが足立区の第16中学校卒業生です。(16中学・・すごいですね!)

製菓会社オーナーの黒○さんは酔っぱらうと時々
「北千住は千代田区の飛び地だ!」確かに千代田線が乗り入れているが・・

家内はビート・たけしは荒川の向こうで同じ足立区でも北千住駅付近と
違って柄が全然違うと話しています。

所帯を持って家内と43年間北千住駅付近は歩いたことがありません。
今回、北千住の美味い焼き鳥屋で会食をすることになり行く機会ができました。

ビックリしたのは北千住駅構内の大きさに驚きました。
JR東日本、常磐線、快速電車、千代田線、日比谷線、東武伊勢崎線、
つくばエキスプレス、たくさんの電車が交差しているのにびっくり。

昔は日光街道の遊郭の宿場町としての潜在意識を反省しています。

異国情緒ある横浜歴史、文化・文明は別にしてスケールの大きさは
横浜駅より発展して様に見える。


北千住駅付近は商業施設がたくさんあり圧倒されました。


黒○さんと待ち合わせした駅とつながっているマルイ入口で再会する


家内からは何十回も聞いているイトーヨーカ堂発祥のビルは店が入れ替わっている


発祥の地の横道前の焼鳥屋「鳥真」にたどり着く。


元社長になってからお得意先と会うことがなくなり最近は一人で一杯飲むことが
多くなりました。帰宅途中の立飲み、屋台の常連客になりました。

今回、黒○さんの行きつけの「鳥真」は門構え、のれん、雰囲気
どれ一つ取っても高級店でした。その一つに各種類のカード使用ができる。
最近カードを使って飲み食いする店に入ることが少なくなった。


鳥真の「のれん」を見ただけで一限客(一見客)は屋台の値段では足りないと
思う。


口開けの我々は黒○さんのお蔭で店主に丁重に扱われる。


二階かイトーヨーカ堂発祥の地のビルを見下ろして席に着く。


まず最初は生ビールとお通し


雨が降って寒かったので熱燗を頼んだら合金の5合徳利には驚きました。
金属なので手で直接持てないので布巾が巻かれている。
流石は北千住流儀に感心する。


酒づきは、150㏄入るぐい吞みでグイグイ呑む。


お任せ焼鳥はタレも良く出来て旨い!


野菜も豊富に出してくれて満足・満足!


次から次と出てくる焼鳥の種類は「心臓」「心臓と肝臓」「ひざ軟骨」
「へんとう線」「胸軟骨」全て満足できる。



      美味しさは写真を見て判断してください。


最後は鳥飯が出ましたが酔いも回り残った焼鳥・鳥飯はお土産にして
持ち帰り。

次回「鳥真」に行く機会があれば他の予定をキャンセルしてでも北千住に行く!

普段行っている立飲み屋と違って満足、満足。





「ヨコハマ」を書いた直木賞作家 戸川幸夫

「消えた横浜娼婦たち」を読み終えてパート-4 にも書きましたが

国際都市横浜について評論家の大宅壮一がヨコハマを歩いて

「こんな得体の知れない街、得体の知れない国が、
世界中のどこにあるのだろうと思った」と

昭和31年の ある雑誌新年号に書いていたという話しは語り草である。

異国情緒ある外国人居留地の山手町・山下町日本大通り付近と
野毛、日の出町黄金町、福富町、長者町、寿町は同じ横浜でも感じは全く違う。

「消えた横浜の娼婦たち」に紹介されている直木賞作家、戸川幸夫著者の
「ヨコハマ」が読みたくなってアマゾンで検索してやっと手に入れました。



「ヨコハマ」は昭和31年発売されたものですがその後大映で「第三非常線」と
名前を変えて映画化されていました。

読み終えて昭和20年~31年代の国際都市横浜が詳しく書かれています。
当時から香港・横浜は密貿易・人身売買・麻薬取引など数限りない
人間の欲望の世界が書き綴られていました。

書かれている事で気がついた幾つかを話題にします。

1)昭和30年代までの中華街という名称は何所にも見当たりません。
  当時は南京街、又はチャン町と書かれています。
  (学生時代は当時はチャン街で飯でも食うか、と言っていた)

2)日本人以外の中国人、朝鮮人は第三国人と表現されています。

3)フィリピンはヒリッピンと書かれている。カメラはライカが一流品。

4)横浜の町名はすみから すみまで出てきますが山手町、伊勢佐木町、
  野毛、黄金町、日の出町が舞台になっている。

5)ホテル・ニューグランドも舞台の一つとして何回も書かれている。

6)ジャズの曲名に「黄金の腕」「第三の男」の懐かしい曲名が書かれている。
  (チャブ屋、外人相手のBARから聴こえたジャズ)


下記の二つの名曲を聴きながらブログを呼んで下さい。
         ↓



「黄金の腕」麻薬中毒のフランク・シナトラがジャズドラマー崩れの
ハスラーとして出演青年時代好きだった
グラマー女優キム・ノヴァクが競演している。



敗戦後のウイーンを舞台にした名画「第三の男」の名曲

(63ページを転記)

伊勢崎町の中ほどに大衆酒と銘をうった根岸屋があった。
根岸屋には夜がない。24時間稼ぎ続けるという、ハマの一つの

治外法権が認められた国際都市らしい酒場風景を描き出している。

ここのシュウマイでもなくビールや酒やウイスキーでもなかった。
いつも八時ご、九時ごろからスタンドに屯する十数名のオシ娘の
存在なのである。
(転記終わり)
詳しい内容は古書を買い求めてください。

99ページから本牧花町(本牧チャブ屋)での出来事に
淡谷のり子の名曲「別れのブルース」

♪窓をあければ~~ 港が見える~
♪メリケン波止場の~ 灯が見える~


当時の南京街(横浜中華街)は治安が悪く中国人租界といわれ
中国、台湾、香港情報は彼らが一番早く知っていた。

本の帯には村上元三の一部を書き出す。
彼の作品は足で書く、彼は絶対にへばらない。図太い男である。
一度彼の悲鳴を聞きたいものだと、常々おもっている。

作品はフェクションですが書かれている出来事は実際に起きた
海外への人身売買、麻薬取引、銃撃戦、密輸、殺人事件、ドル買い、

羽田沖海賊 横浜の闇と霧は全て実際に起きた出来事を
取材してフェクションにしています。



第44回クラス会を横浜中華街で開催

今年で卒業して第44回目の珍友会(クラス会)を横浜中華街で開催。

毎年のことですが昭和三十三年度卒業のクラス会(珍友会)を
横浜中華街の市場通りの四五六菜館で11:30より開催されました。
  (四五六菜館は安いが料理についてはコメントしません)

わが母校は戦前は横浜市鶴見区に日本大学第4中学校でしたが
戦災で消滅してから、戦後新たに東横線日吉に再建して校名も
日本大学高等学校・中学校とし大学直属校とした歴史があります。

私が入学し昭和30年度のころは夜学・商業科もあった。当時
普通科以外はほとんどの生徒は高校卒業と同時に就職していたものです。

大学に行かない商売人のセガレの出来の悪いガキは読み・書き・そろばん
重視の商業科に入学していましたが卒業前にに商学部新設が決まり
人数合わせに余分に寄付金を出せば全員大学入学出来ことになりました。

出来の悪い悪童も寄付金さえ払えば大学進学できたので父親も無理して
入学金を手当てして進学したのが事実ですが人手不足のために

学業は二の次で毎日、現場仕事、配達で勉学はほとんど代弁、カンニング
もどきで4年間過ごしたのが実態でした。

役人になるならば別ですが、どんな大学でも卒業してからが実力で
頭が悪い、良いなどは全く関係なく仕事にうち込んで、成り上がれば(独立)
誰でも成功できてそれなりに生活安定し資産形成できるのです。

独立するには毎年の年賀状200枚以上出して200枚以上貰える人脈が
必要になる。その中には5名前後の友人・知人の独立までの金融機関紹介、
保証人、得意先紹介、物件の紹介、経営のアドバイスなど教えてくれる。

いくらインターネット・スマホなどが発展しても基本的な事は変わらない。
話しがそれましたが勘違いしている若者が多いのであえて触れる。
独立して失敗した人の年賀状枚数を調べればわかることです。
    (企業独立のアドバイス田中真澄講演会より)


昭和33年度卒業と同時に中華街で第一回クラス会(珍友会)を開催して
今回出席者16名でした。

当時の1クラスは56名でしたが住所不明者7名 物故者13名、昨年より1名
増える。これからは毎年物故者が出てくるのは間違いない。


昨日はゴールデン・ウイーク初日で横浜中華街は真直ぐ歩けない人混み。


市場通りになる四五六菜館発祥の地。店の題名は料理人の賭け麻雀で
勝った時に積もったか カンチャンか 当たりパイかのどちらかで
牌を店名に付けたことは横浜中華街では有名な話です。



今年で74歳になる同級生は私を含めて全員現役引退組です。


3年前から恩師の意向で夜は体力が持たないので昼間の土曜日に決定。


56名のクラスの中には前科者はいませんがアル中で横須賀国立アル中病院で
3名死亡、4人目の私は予約済みですが・・まだお迎えは早いです。

上記の写真の同級生はどう見ても80歳に見えますが昨年、
本業をそっちのけで地元消防団関係に携わって50年目で瑞宝双光章受賞した。

クラスの卒業生で皇居に入って天皇陛下をまじかに見た第一号ですが
元株主総会屋はいても犯罪者(前科者)の第一号でないのが救いです。


ハゲは同級生ですが彼は「俺は10年間床屋(理髪)に行ったことがない!」
自慢していましたがパソコンを見たことも、さわったこともないので堂々と公開する。


左の恩師と周りの卒業生の年齢差は全く違和感が感じない同年代に見える。

顔を隠さずに堂々と公開できるのは昭和時代で思考停止状態になって
誰もパソコン操作ができないからです。

クジラが食べられなくなる大変だ!

毎回利用していた蒲田駅付近の床屋(理髪店)が廃業してしまいました。

廃業した理由は競争が激しくなったのと髪を切るお客の来る期間が
伸びて営業が成り立たなくなったのでしょう。

会社帰りに桜木町市営地下鉄地下2階にある「ぴおシティ」は行きつけの
立ち飲み屋「はなみち」をはじめ数件の立ち飲み屋、一杯飲み屋など
数件入店しているフロアーに、異色の店、床屋(理髪店)があります。


三月までは散髪、髭剃り、シャンプを入れて全部で1500円ポッキリでしたが
四月から消費税8%加えて1620円になりました。それまでは消費税5%は
取っていなかったのです。

それにしても安くて早くて気に入った髪型にしてもらいました。帰宅するには
呑み屋の一角にある床屋から真直ぐ帰る勇気は持ち合わせていません。

床屋でさっぱりして、ちょいと一杯立ち寄る事にはちゅうちょしません。


4月に入っても立飲屋の「はなみち」は消費税分の値上げをしていません。


店側の努力で立飲屋の客種の財布を気にして頑張っている経営方針には
感服します。当社は請求書を出した時にはしっかり8%頂いていますので
商売によっては大変な思いをしているのです。

商売の規模が小さくなるほど消費税8%を お客様から頂く(預かる)のが
難しい問題です。何とか8%の消費税は価格に上乗せしてもらいたい。


最近のニュースで南太平洋でのクジラの調査捕鯨が全面禁止になる事を
テレビで知りました。それならば今のうちにクジラ料理を少しでも食べておこう。


クジラベーコンは小学生時代はよく食べたものです。当時は子供で
クジラベーコンは油くさく好きではありませんでしたが、酒飲みになってから
酒の肴にはピッタリです。辛子に醤油をたらしてチビチビ呑むには最高です。
(昭和20年代は我家では牛肉、豚肉は食べられない高値の花でした)

しかしベーコンを赤色素で染めてあるのは子供にはよくないです。
我々製パン業界では色素は自主使用禁止にしています。

理由は発がん性物質がある、とも無いとも言えますが子供を含む若者には
無機質色素は体には間違いなく良くないでしょう。

しかし私の歳になると他人に迷惑を掛けなければ癌になろうが
命が短くなろうが、体が不自由になろうが承知の上で食べたいのです。

自宅では食べられないクジラの赤色素入りベーコンは旨い!


生ビールを呑み終えたので純米酒に切り替えと同時に頼んでいた
クジラの刺しでチビチビ飲む。

横浜の野毛地区を含めてクジラを食べさせる店が多くある。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=88
野毛の朝市にクジラ祭りが開催されるほど有名なので刺身が食べられるのも
うれしいですが調査捕鯨が禁止されたら安くて旨い刺身も品書きから消えるでしょう。


      (くじらベーコン 300円 くじら刺300円 安すぎる)
クジラがつまみで食べられる野毛地区、桜木町で一番安い店「はなみち」は
一品一皿300円は安い。消費税も取っていないのは不思議でならない。


左端品書き 純米酒 280円 生ビール中ジョッキー 380円


床屋代1620円は別にして、立飲みですが300+300+380+280=1260円。
床屋でさっぱりして呑んでリラックスし夕日の沈む前の薄明りに帰宅しました。

横浜大桟橋にダイヤモンド・プリンセス号を見てくる

昨日のブログは大桟橋でメガ企画の佐藤さんとの打ち合わせを兼ねて
6月に10日間の船旅するイギリス船籍ダイヤモンド・プリンセス号見学を
兼ねて大桟橋のカフェーで打ち合わせしました。

打ち合わせ前に昨日書いたブログの大さんばし食堂で昼食した内容。
天候もよく大桟橋に向かって右側の税関埠頭の立入禁止マークを無視して

中に入って数枚写真を写したのが下記の写真になります。


税関埠頭から見えるマリンタワー、ホテル・ニューグランド、手前の緑が山下公園。


この写真は反対側の像の鼻から見た赤レンガ。


いろいろな形をした舟についての専門知識はもちあわせないので説明できず。


天気がよく潮風も気持ちよくたまにはのんびりしていたい場所です。


それにしても小型船舶に必要なそれぞれの設備は国家予算に組み込まれている
のでしょう。


大桟橋のデッキは全て木材が張り詰められています。


6月の船旅は友人知人は参加いたしません。同じ船なので見学した訳なのですが
ビルが海に立てられている錯覚になります。

下から二段はファミリータイプ?と思われるデッキに置かれているテーブル、椅子に
ゆとりがあります。その上2段は長椅子二台が置かれています。

私一人でしたら船底の椅子ナシ、窓ナシ、デッキナシの三等室で十分間に
合います。食後Barで飲んで船底で横になれば1分間で寝息に変われる。


ダイヤモンド・プリンセス号を見た瞬間はホテルと勘違いするほどの大きさ。
長崎の三菱造船で造られたイギリス船籍です。したがってイギリス国旗が
設置されていました。


ダイヤモンド・プリンセス号の乗客半数以上は横浜大桟橋から乗船する日本人。
外人は飛行機で来て横浜大桟橋から乗り込んで南下して二カ国を回って
10日目に再び横浜に入ってきます。


船尾には船名、都市名が書かれていました。


天候の良い日に港に来るといつも感じることですがこの近くに住みたい、と
思っています。横浜港はどこを見ても飽きることがありません。



佐藤さんと別れて、急に丘の上からの横浜港を見てみたいと実行に移す。
歩いて元町中華街駅まで行き元町側からエレベーターでアメリカ山公園まで

そこから2~3分歩いて「港が見える丘公園」「大仏次郎記念館」「イギリス館」を
過ぎてワシン坂公園まで行くがその手前からはベイ・ブリッチ、コンテナーヤード
山下公園、横浜港、全体が見下ろせる絶景に感激する。

横浜のチッベトと言われてもおかしくない青葉区あざみ野、たまプラーザ付近は
横浜の地名はピンとこない、昔は山村で険しい剣山という地名がある。
(中国で言えば四川省の山奥と同じ、人口はチベット族の方が多い省です)

この歳になってから横浜市中区山手町の緑の多い丘、山手に引越しして
ベイ・ブリッチ、港、海、船、コンテナーの見下ろせる
横浜港を毎日見ながら余生を過ごしたい。

高校生活の横浜市、横浜に住んで40年ちかく、神奈川県には60年間
この歳になって飲んで帰る自宅まで辛い思いをしながら電車バスはつらい。

魔都上海と共通の色々な戦前、戦後(1880~1946年)の異国文化が
混ざり合いどちらも好きな街です。また官制歴史に書けない影と裏表が

同時に混ざり合い裏町には好きなBarやジャズバーも数か所あり楽しめる。
上海でいえばフランス租界地区の
淮海中路を中心とした雰囲気です。


最後の余生は自然の残っている異国情緒ある居留地の外人用住宅地、
山手町で晩年の人生を過ごす夢見て書き終えたいです。



横浜大桟橋見学を兼ねて昼食の話

先週、香港出張から帰国しましたが出張前から風邪をこじらせ体調不良。
昨年から自分の体力減少を自覚することも多くなりました。

一番感じることは、もの忘れ、勘違い、間違え、言った、言わない、
数えればきりなく出てきますが現役時代と違ってスタミナ切れをいちじるしく
感じる歳になりました。

話しが変わって帰国後、6月に予定している外国船の船旅計画、10月後半に
予定しているカリブ海、キューバ、メキシコ旅行の長期計画をたてる為に渋谷の
メガ企画の佐藤さんとの打ち合わせを横浜大桟橋で話あう事にしました。


ヨコハマスタジアムも周りのヨコハマ公園内のチューリップは十数万本も
植えられていて数十種類も珍しい花もあり多くの観光客を楽しましていました。


ネットで調べてみたら69種類16万本がスタジアム周りの花壇に植えられています。
とても壮観でした。毎年の行事として毎年見ることにしています。

鑑賞もそこそこにメガの佐藤さんとの約束時間13:00まで大桟橋入口の
シルクセンタービル交差点の横浜開港資料館の中庭、楠木ベンチにしました。


ところが旅行会社のトップを務める管理職の佐藤さんが、何を間違えたか
横浜市開港記念館(別名ジャックの塔)に行ってしまいました。

私も勘違いしていないかと気になり携帯電話をする、やっぱり勘違い
していた。急いで大桟橋入口の横浜開港資料館に駆けつける。
彼は汗だらだらかきながら約束の時間を20分遅れて到着する。


横浜開港資料館は大桟橋から一番近い場所で元英国総領事館で
ペリー来航が調印した歴史ある場所になっています。

昼食を近くの歴史ある食堂で食べることにしていましたが時間経過で
行ってみなければ食べられるかダメか分かりません。


そこは公益法人「波止場会館」の結婚式場、港で働く横浜の港湾労働者を含む
天下り元公務員就職の施設でを兼ねた福利厚生施設レストランで
一般の観光客には入りづらい場所です。


すぐ側には開港当時からある「像の鼻埠頭」を入った場所で一元客が
入りづらいレストランになっています。佐藤さんを招待予定でしたが

お役所仕事で昼食時間を1分経過していたので入店できずあきらめました。
(お役所仕事と感覚は同じです。詳しくは後半で説明します)


上記のメニュー表を拡大したものですが一等地でランチ600円安でしょう。
観光客には気が付かない奥まった波止場会館。


次に目についたの波止場・埠頭で働く港湾労働者が時間に追われて立ち食いする
開港食堂を思い出しましたが佐藤さんには失礼だと思い中止しました。


(開港食堂メニュー表 拡大写真)
この店はチエーン店ではないので手作りで旨いのですが気が引けるので・・


上記の写真の横浜税関の埠頭前の一角です。密貿易・麻薬・コピー商品など
取り調べの出先機関の建物に安くて旨い食堂を発見する。
看板の左上に黄色の看板が見える場所が勤労者食堂です。


「大桟橋食堂」いいですね!昭和の時代の雰囲気を感じさせる店です。
昭和時代の匂いプンプンするレトロな店好きですね!


税関埠頭建物の中にある食堂で佐藤さんと昼食をとることにしました。


消費税8%になってから東京の街中でもこの値段で昼食を食べられる
店は少なくなりました。


佐藤様と同じく生姜焼き定食500円+50円(冷奴)+300円(缶ビール)
合計で850円、下戸の佐藤さん冷奴を入れて二人で1400円ですみました。

安い理由を説明しましょう。学校法人、財団法人、社団法人、他の公益法人は
課税品目が少なく、ガス、電気、水道などの光熱費、家賃、エアコン
減価償却は公益法人もちで入店している経営企業又は店主は負担していない。

極端にいえば食材、人件費、交通費のみが経費であとは何もない。

今回は佐藤さんと昼食時間をずらした為に安くて旨い食堂を発見した。
昭和の匂いのする懐かしい味と店を発見したことで港ヨコハマを又発見できた。

しかし横浜に観光で来た方にはお勧めできませんが慣れれば安くて旨い
気取らない、見栄を張らない場所は昔ながらの昭和の匂いを感じさせてくれました。


香港での食べ歩きパートー6

香港最終日は広東料理で話題になっている新斗記にしました。

ここは予約ナシでは入れないほど人気店になってしまいました。
最初のころは予約ナシで入店できましたが客が客を呼ぶ人気店です。

夕食の予約方法も第一回目は6:30第二回目は8:30と決められています。

我々5名は6:30にしました。最初に教えてもらったのは香港在住のパイロットの
友人ですが「ここまで繁盛店になるとは思っていなかった」と話しています。

上記の三枚の写真は6:30の予約に乗ってきた高級車で車名はカットします。
お客の駐車を兼ねた案内係りが入るのにも驚きました。

香港で広東料理で一番有名な福臨門酒家ですが満席になる事は
セミナーまたは海外からの観光客、団体予約以外はないと思います。

新斗記で分かった事は旨さと支払料金は比例していないことでした。
福臨門で一人3万円は普通料金になりますが新斗記で同じ料理を

注文しても半額?もしないでしょう。もちろんアワビ一個の値段は
産地によって格差があるでしょうが
毎回食べている訳ではないので区別は無理。

私も数年前まではなけなしの金を毎回支払ってマネージャーと顔が利く
ほどにになりましたが今はまったく行く事はなくなりました。

最近になって若いころの貧乏生活を忘れたくない事と
セガレ達に同年代の若者と同じ経済観念を持ってもらいたし
大勢の社員の気持ちも理解してもらいたい。

実業の経営は「事業は人なり」細かいところまで気を配ってもらいたい。
(話がそれてしまいました)


6:30に入店しましたがほぼ満席になっていました。


この店の人気料理の子豚の丸焼きは入り口の右脇で焼いています。


大きなガルーパーですが今回はパスしました。理由は一人1万円以下にする予定。


香港に来たら一度は大蝦蛄を食べたくなるので5人前3匹にしました。
店長がわざわざシャコの大きさの確認をさせる為にテーブルまで持ってきた。

この辺のサービスもお客を満足させる方法だと感じます。
広東語ですが「5名で3匹で十分でしょう」と説明を受ける。

子豚の丸焼きは他店との大きさも違いますが668ドルは安い。
高級広東料理店では1000ドルはするでしょう。

下記の料理写真の数枚の説明はめんどくさいのでカットします。


今回持込用ウイスキー白州をリックに入れて堂々と飲むつもりにしていましたが
メニュー表に銘柄は違いますがウイスキーが書かれていましたので
飲むことが出来ませんでした。

香港では紹興酒をはじめ一本丸ごとの値段になっているので
ウイスキー注文はバカバカしいのでビールだけにしました。
理由は私以外の4名はビール少々の口です。

5名の支払った勘定は2500香港ドル一人6500円でした。
今回が一番高い料理になりましたが値段に対してお値打ちは十分ありました。


仕事を兼ねた香港3泊4日でしたが最終日に本格的な広東料理で打ち上げしました。
皆様も香港に行く機会があれば一度は食べ歩きの行っても良い店でしょう。

香港の食べ歩きパートー5

マカオに行けばカジノが有名ですが我々3名はさほど関心がありません。

以前、邱先生の話の中でカジノで10HKドル(130円)負けても夜眠れなくなる。
私は先生の10倍100香港ドル(1300円)負けらら夜眠れなくなる。
そんな訳でカジノで勝負することがなくなりました。

私以外の二人が昼食の麺を食べた後にデザートが食べたいと言い出して
マカオで有名な牛乳プリンを探していました。

路地裏には昔ながらの生活環境ですごしているマカオ人密集地帯。


中々風情があり落ち着いた街並みです。


マカオの牛乳プリンで有名な義順牛奶公司ですがどこで食べてもかわりない。


牛乳プリンです。牛乳、卵の白身、砂糖などを使って作るプリンで、
お豆腐のように軟らかくフルフルです。
温かいのと冷たいのがありますが、どちらも試していただきたい。
地元の人は、冷たいものは体を冷やすという考えがあるので、

温かいほうを食べることが多いです。
右側のあんこをのせたプリンも中々美味しい。


店内は別に変わったことはない。明日から中華料理屋に模様替えできる店。


やはり若い女性がターゲットなのでしょう。男は仕方なくついてくる様子。


二階からのベランダは周りを囲って一部屋作っている箇所がある。


マカオ料理で有名な、「佛笑楼」前を通り過ぎて帰宅準備にする。


セレナ広場を少しだけ観光しました時間つぶしです。
セレナ広場から小道に入った場所に昔からの水飲み場を発見する。


セレナ広場から見える新リスボニアは蓮の花をイメージしている


香港に到着してから尖沙咀市場で美味しいミルクティー13ドルを飲んで
ホテルに帰る。

香港での食べ歩きパートー4

三日目の土曜日はマカオ観光に行くことにしました。

マカオ行きは過去の経験から土曜日、日曜日はとても混雑していて
ジェットフェリー舟券(乗船)が買えない恐れがあるので前日わざわざ
尖沙咀埠頭フェリー乗り場まで予約してきました。

15:30頃でしたがそれでも午前中の各時間帯のフェリーは満席で
あきらめかけましたが、運よく10:00発が買えることになりました。


9:00頃フェリー乗り場に到着、10:00乗船するチケットでしたが
ごらんのとおり混み合っていました。


香港島上環埠頭と尖沙咀埠頭の二か所がありますが利用は泊まったホテルに
よって使い分けできます。どちらもマカオのカジノ王スタンレー・ホーがオーナーです。


我々は飛行機と同じくエコノミークラスが身分相応です。土曜日は割高の
175HKドルで乗船しました。当日のキャンセル待ちで乗船したい方々が
大勢いましたが数名だけ乗れて後は次のフェリーのキャンセル待ちになります。


マカオの代表的な観光地はセナド広場、聖ポール天守堂跡などありますが
裏町めぐりの路地裏観光の方が歴史的な建築、構築物など印象に残りました。


マカオの旧市街の写真はポルトガル植民地時代のマカオ在住中国人街


下町マカオ中国人街が世界遺産になっているのか、いないのか分りませんが
再開発計画などたてないで保存してもらいたい落ち着いた街並みです。


日本大学芸術学部出身で香港映画ゴールデン・ハーベストのプロデユーサー
美食家でも「暴飲暴食」を自認、、キャセイパシフィック航空協賛の
旅行グルメ番組「蔡瀾嘆世界」の司会を担当した。

1990年代にはグルメ番組「料理の鉄人」の審査員を務めた。
旅行グルメ番組「蔡瀾嘆世界」の司会を担当した。

裏町に蔡 瀾の大きな看板に気が付く、
彼は香港の下町九龍城からマカオに移住していたのには驚き。
何か理由があってマカオを本拠地にしたのでしょう。


昔一度食べたことのある麺屋で昼食をする。


小さな雑然とした店内に「蔡 瀾 推薦」の看板を発見する。

下記の写真に載っている説明はめんどくさいのではぶくことにした。






蔡 瀾がほめるほどわざわざ行くほどの味ではないのですが合格点をつける。
理由は3名で食べて大瓶ビール2本飲んで165HKドル(2200円)は安い。


香港での食べ歩きパートー3

二日目の夕食は地下鉄で九龍の
下町 深水埗にある「小采王」まで出かけました。
深水埗まで来ると日本人を含めて外国人は一人も見かけません。

昨年11月にマカオで開催されたボクシング試合マニー・パッキャオ戦で
香港に三日間滞在しましたが屋台料理(
大牌檔)の「小采王」は外しました。

理由は下痢、吐き気になったりスリ・追いはぎにあったりしたら大変ですから。

二日目の夕食は3名でしたのでたくさんの料理は頼めません。
香港では屋台を通称 大牌檔(ダイパイトン)と呼んでいます。


深水埗駅を降りて地上に上がった所は写真の通り道幅一杯に露天商が
ところせましと商品を並べています。


小采王に行く途中の雰囲気は写真のとおりゴチャゴチャな場所です。


「小采王」のネオン・黄色の看板が見えだすと途端に明るくなってきます。


この場所は歩道・車道は食材を並べたり屋台式厨房を置いたりして
お客には居ぬきの店内もしくは歩道にテーブル・椅子を持ち出し営業。


市の許可・認可があるのか又は地回りの黒社会・ヤクザの縄張りか
分かりませんがいずれにしても借地権?使用料はどこかに支払っているでしょう。


私達が着いた時間帯は(19:30)順番待ちで紙切れに番号が書かれている。
5組待ちでしたが15分近くかかりました。予約が出来ないので仕方がないです。


この写真は歩道ですが香港らしい雰囲気でいいですね!


番号表の順番が来て居ぬきの店内に入る。ごらんの通り満席です。
客種は一般の香港人で身なりも良いし、それなりの人たちです。

「小采王」を私に教えてくれた香港のキャプテン・パイロットも家族で
会食すると話していました。


私達の席は出入口に近い場所でしたが変更したら又待ち時間が出来るので
おとなしく席に着きました。道路側には生ごみ入れケースとゴミ収集トラックあり。


白色のテーブルクロス・ビニール製は前の客の食べ残した料理を一気に包み
汁がもれない様にかたづけましたら その下に新しい同じテーブルクロス・ビニール
が15枚も重なっていました。中々合理的にできています。
一日に何回転もするのでしょう。


店内のメニューにないアルコールは持込可になっています。その横にある
トイレットペーパーはテーブルが汚れたときに利用するようになっています。


上記の五枚の写真の説明は省くことにした。
一言「どれを食べても旨かった!」

はじめて連れて行った東京の下町のお坊ちゃんも
食べ終わってから旨かったと、おせいじなしに報告する。


ウイスキーだけは持込みですが大瓶ビール2本入れて515香港ドル(6700円)
一人2200円で大満足できる。


夜の深水埗の街の薄暗い箇所は危険な街ですが、よそ見しないで
駅までまっしぐら、昼間は子供の玩具の問屋街もあり一見の価値があります。