【義母の葬儀】告別式から火葬まで | すったりじゃん‥なブログ

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毎日の出来事や家族のことについて
思いついたことをテキトーに書いてます。
同居後に施設に入った義母(シヅ子さん)の病気の事や
介護の事なども書いています。
(シヅ子さんは令和5年6月に亡くなりました)
父ロスになってしまった母親についても書いています。

告別式の朝

お斎を食べて喪服に着替えて

11時からの告別式の準備をする

 

シヅ子さんの施設から弔電が届く

『お通夜か告別式に伺います』と

連絡した時に言われた気がしたのだが

聞き間違いだったのかな?

どなたも来られる気配がない…

 

式の進行とか焼香のやり方とかの

最終確認をしますと山田さんが来てくれた

親戚しかいないので喪主の挨拶は省略した

 

ご住職がお見えです…と言われて控室へ

『本日はよろしくお願いいたします』とご挨拶

お位牌にシヅ子さんの法名が書いてあった

キレイな感じの法名…蓮の文字が入ってた

 

優しい感じのご住職と少しお話した後に

『四十九日や初盆などはご相談ください』と

言われた

これから先続くであろう法要の事もあり

落ち着いた頃に連絡させていただくことにした

 

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予定時刻の11時少し前に

従兄弟のお兄ちゃんが来てくれた

「え~!?お兄ちゃん?」って驚いたら

妹のケーちゃんが

「『何時から?』って聞かれたんだよね~

 まさか来るとは思わんかった」って

オットが「わざわざすみません」ってお礼を言ってた

お兄ちゃんなりのオットへの気遣いなのだろう…

 

 

告別式が静かに始まった

私のシズ子さんについて書いた文章は

(まとまりがなかったのにも拘らず)

驚くほど素敵な文章になっていた

司会者の方の声のトーンのおかげか?

 

最後の一行をオットに内緒で書いておいた

 

『女手一つで息子を育て上げて

 さぞ大変だったと思います。

 やっと俊雄さんに会えますね。

 ゆっくり再会を楽しんで下さい』
 

ずっとシヅ子さんに言いたかったひと言

面と向って云えなかったので

ココで言えてよかったと思った

 

オットはシヅ子さんが亡くなった時も

お棺に入っているシヅ子さんを見た時も

目が真っ赤になるくらいで泣かなかったけど

式の最中にオットの鼻をすする音が聞こえて

何度もハンカチで涙を拭う姿が見えた

オットにしかわからない思いがあったんだろう

 

お棺に入れるものがあればご準備ください…と

言われていたけど、家に取りに行く時間もなく

お通夜にせっせと折った鶴や

祭壇のお花をたくさん入れた

ピンクの花に囲まれたシヅ子さん

 

最後にもう一度シヅ子さんの手を握った

『あまりお世話できずにごめんなさい』

『ムスコさんの事見守ってて下さい』

 

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出棺の時に、男手が弟ひとりの予定だったけど

従兄弟に手伝ってもらって職員の方と一緒に

霊柩車に乗せて、油山の火葬場へ

 

火葬場は割と混雑していて慌ただしかった

慌ただしく過ぎた方がしんみりしなくて

よかったのかも

 

骨になったシヅ子さんを見た時

何とも言えない感情になった

狭窄症の手術の金具を見た時は

さすがに泣きそうになったけど

淡々と骨壺にお骨を入れた

 

骨壺が暖かかった

『母ちゃん、家に帰ろうね』

 

6年ぶりの自宅

一度は鹿児島に連れて帰りたかったよね

 

リビングが見渡せる場所に机を置いて

祭壇の代わりに遺影と位牌と骨壺を置いた

また、3人暮らしに戻った