新中2講座受付中
12月1日のお問い合わせ(ご連絡順)
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#⑧の方はこちらの判断で学校名は出しておりません
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新中3〜新高3の受付について
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おはようございます。
昨日は教え子の子と
・・でランチをしたのでありますが、フレンチが初めてだったその子は私がパンを次から次へとパクパクいくのを見てフレンチとはそういうものだと勘違いし、同じペースで食べた結果、最後のデザートでお腹がやべーくらいいっぱいになったとのことで、年長者としての配慮が足りなかったと反省している重本孝です。
ちなみにラ・ターブル・ド・クラージュさんはめちゃくちゃ美味いのは言うまでもないのですが、味付けがしっかりしている感じで、各皿にクオリティの波がないので、今日の子みたいにフレンチが初めてという学生さんなんかには「フレンチってやっぱ美味いんだ!」とご理解いただきやすいオススメのお店でございます。
ていうか「連れて行ってくれ」という連絡がきたときはその子に久しぶりに会える喜びもさることながら「フレンチが食べれる!!!!」という喜びも半端なく、教え子諸氏にはどうかこんな大人にならないよう人との繋がりは引き続き大切にして欲しいと思います。真顔
#晩は質素に1人で卵かけご飯とプロテインとビタミン剤である
#リブログありがとうございます!!!!!
今日は方々からタコ殴りにされそうな話ではあるのですが、たまには人間・重本孝の独断と偏見思考の部分も露出させておこうかなと・・・
「でもそれって安定しなくないですか?」の覚書。
自身が商売(受験に関わるサービスの提供)を初めて早17年が経ちます。
これまで実にアップダウン幅が大きい教室運営でございましたが、退職代行事件以来、その瀕死の状態からなんとか息を吹き返し、最近ではいいのか悪いのか実に平穏な日々を送らせていただいております。
そのように一個人プレーヤーとして過ごしてきて思うのは、学校教育、並びに受験というのは優秀な社員の養成には結構寄与するが、広い意味で「自分で商売をする」という進路にはほとんどマッチアップしていないということです。
こういうことを書いても別にいいのか、書くとマイナスになるのかは分からないのですが、自分が日頃思っていることを書くと、まず「商売」というものをその進路の選択肢として雰囲気的にほぼ消すみたいなのが現状の教育体制ではナチュラルに早過ぎるのではないかと思ってます。
私自身が自分で教室運営(商売)をやってみたいな〜・・、ていうかやれんじゃね?と思ったきっかけなどもそうだったのでありますが、一歩外に出てみると、商売をやっている人ってみんな普通のおっちゃんおばちゃん兄ちゃん姉ちゃんです。
こんなことを書くと大変失礼なのでありますが、私の大手塾勤務時代なんかだと、よく近所の潰れそうな個人塾から出てくるおっちゃんなんかを見て、「おお、、、、こんなオッサンができるんならオレ絶対できるな。うわはは。」などと若気の至りで気軽に考えていたものでした。
#今は思われる側
若い子なんかにたずねますと、みんな「お金は・・・できるだけあった方がいい。」「自由も・・・できるだけあった方がいい。」と言うのでありますが、それらを最大化させようと思うとやはり商売(個人事業主や企業)を選択肢から早々と外す(大人によってその価値観から外されている)のは、まあまあもったいなくね?と個人的にはめちゃ思います。
・・と、まあ、そんなことを昨日もフレンチを食べながら話しておりましたら、目の前のその子が「でもそれ(商売)って安定しなくないですか?」と聞いてくれたのですが、私はある種、それこそが商売の1つの大きなポイントだと思っていて、たいがいの「不安定(いわば売上不振)」というのは全部自分の責任で、逆に言えば自分で始めたことなので全責任が自分にあり、だからこそその不安定な部分込みで自分でコントロールできる部分が非常に多いんです。
商売をやろうとする人間からすれば全コントローラーを自分で握れている状況が安定に近い状況で、そこが成立していない状況はいくら収入が毎月安定していても性格の問題で居心地悪くて気持ちが安定しないんです。
#ここは人によって違うかと
少なくとも私の場合は、大手塾に勤めていたときと今の自分の状況を対比させるとそんな感じです。
要は自分でコントロールして乗り越えていくところに醍醐味があるとでも言いましょうか・・
私も大手塾勤務の経験がありますが、自分で始めた商売でない場合って、自分としては「いや〜・・・それってよくないと思うけどな〜・・」と思うことで、結局「それ見たことか・・」状態になっても、当然みんなの責任みたいになって(責任の所在が有耶無耶で)、なんとなく自分も責任の一端をみんなと一緒に負っているみたいな形になるわけですけれども、やはりそれはちょっと私みたいな多数決が自分の行動指針にならない天邪鬼な性格の人間にはストレスが溜まります。
また、これは私の周りで会社を辞めて独立した人たちはみんなよく言うのでありますが、「会社辞めて自分が商売始めてそれがポシャッても体が元気やったら結局またどこかで(雇ってもらって)働けるんやから、それってまた元に戻るだけやから、そんなリスク言うほどリスクやあらへん。」みたいな考え方もあって、これはみんながみんな同様の境地になれるかというと無理かもしれないとも思うわけでありますが、私みたいなのと違ってみなさん結婚もされていてお子さんも複数おられる方々であってもそう言っているので、まあ、そういう考え方もナシではないのかなと。笑
よく受験の世界では「(受験をして)選択肢を広げる」ということが言われたりしますが、この思想にも私は違和感があって、就職先を選ぶという意味では確かに選択肢は高学歴であった方が広がるのでありますが、よりマクロな視点から見てみますと、「生き方」ということで言えば、むしろそれによって選択肢が狭まってんじゃね?みたいな状態になってることってないかしら???と思う時があったりします。
特に御自身が物心ついたときからドップリ受験につかってて、有名大学に進学してそのまま塾講師になったみたいな人(受験というものにあまりに長く関わり過ぎてる人)のネット上の発言なんかでそう思わされるときがちょいちょいあったります。
なんと言うかこう、、、生徒さんの立場からすれば、大人によって無意識的に「生き方」のコマンドが狭〜い方向へとサイレントに持っていかれてるとでも言いましょうか・・
#伝わってください
44年生きてきての今の個人的な考えとしては選択肢を広げるってそういうミクロな視点じゃなくて、もっと広い視野で、名だたる大企業に勤めるもよし、中小企業に勤めるもよし、個人事業主としてやっていくもよし、公務員さんもよし、ネット上で不特定多数にいろいろなモノを売ったりサービスを提供したり、その他なんでも多様な収入の獲得の仕方が選択肢としてあって、それに伴って可能性として手に入る、より多様な生き方の選択肢が自分の価値観として装填されているのがホントの意味で選択肢が広い人なのだと思います。(人には向き不向きがあるので最終的にはある土俵に絞れてくるわけですが・・)
であるからこそ、人から信用を得るに足る・・・いわばシンプルに「良い人間」であることがまずは重要な意味を持ってくるのだと私は考えます。
ゆえに受験産業に洗脳されて、変にその性格やモノの見方が人ウケしにくい(生きていきにくい)仕様にこじれてしまうっていうのは最悪で、そんなんやったら塾とか通って受験せん方が良かったやん・・・になると思います。
#変な宗教にハマる人と同じで、それに本人は気づけないので治りようがない
あまり上手に言えなかったのでありますが、なんとなく言いたいこととしてはそんな感じなんかなと思います。苦笑
#「言いたいこと全然分からん」ってなった人、明日は恋バナとかもっとみんなで盛り上がれる話にするので許してください・・
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
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