おはようございます。
路上から「先生〜!」と呼ばれたので声の方を向くと、車の運転席に卒業生の女の子、助手席にお母様という懐かしくも通塾時とは座る場所が真逆の構図でお顔が見えて、その後走り去っていく車を見送りながら脳内で「晴れたらいいね。」が流れていた重本孝です。
#ひらり
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受付再開中
※受付枠が全て埋まる埋まらないに関係なく15日いっぱいまでとなります。
10月1日お問い合わせ
①高1ー天王寺ー男子
②高1ー北野ーー女子
③高2ー茨木ーー女子
④中3になってまだ席空いてたら通うことも無きにしもあらず的な中2の男の子(生徒さんが今のところ自勉派とのこと)
10月2日お問い合わせ
⑤中2ー豊中3中ー男子
引き続きご検討のほどよろしくお願いいたします。
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毎日勉強する人としない人のシンプルな違い。
昨日は「毎日勉強する」ということを書いたのでありますが、これに関して中高生の子たちが誤解してはならないのは「毎日する」というのは「毎日しなければならない」のではなくて、本質的には「毎日せざるを得ない。」といったところになるということです。
以下、このことについて述べます。
よく大人の方でも子どもに理屈で、すなわち、勉強するべき理由というか道理のようなものを説いて勉強する気になってもらおうとするノリがあるかと思うのですが、私はその打ち手は一切採用しておりません。
理由は簡単で理屈は理屈でなんとでも反論できるからです。
要は「健康」とか「見た目」とか言われて、自分自身も「そりゃそうだ・・」となっていてもお腹の出た中年のオジさんからしたら、それでボクサーみたいな体になろうとするかと言えばその展開にはならないのと同じで、子どもにとっての勉強というのもやらない子に「将来困る」とか「学歴社会うんぬんかんぬん・・」とか、ましてや
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・・みたいなことを説いても、子どもは「そうか・・・。よし、勉強やろう!」みたいな進研ゼミ展開にはなりません。
・・ていうか、これ、みなさんすでにご存知ですよね。。。
私自身、お恥ずかしながら中高のときは学習習慣ゼロ、、、、ていうか小中高を通じて宿題以外で「勉強」ってやったことなかったです。
#昨日のブログは無かったことにしてください
ただ、、、、、、、さすがに野球の練習みたいなことはしない日の方が少なかったです。
バット振ったり、ボールを壁当てしたり、身体のどこかしらのフィジカルトレーニングであったり、プロ野球選手の打撃フォームの連続写真を眺めたりなど、何らかの形で野球に関わることはしていたように思います。
そんな自分が大学生以降で今度はなんやかんやあって
塾の講師、しかも灘や東大や京大を目指す受験生を担当するような塾講師を目指すようになります、、、、というか、そういう生徒さんが通うような塾を経営することで誰にも何にも縛られずに塾講師という仕事ができる人間を目指すようになります。
そうなるとホントにあらまあ不思議、今度は打って変わって毎日勉強するようになります。
だいたい当時のルーティンは【昼前後に起きる】→【なんばのジュンク堂および旭屋書店で本を買う】→【昼食】→【喫茶店を2〜3件ハシゴして勉強と授業準備】→【バイト先の教室に出勤】→【帰宅】→【ファミレスで勉強】・・・みたいな感じでした。
もちろん夜な夜な遊びに出かけることもありましたが誰からのお誘いもない日(ほとんど誘われないのでほぼ毎日)はだいたいこんな感じでした。
結果的に野球は才能が無さ過ぎて報われませんでしたが、塾講師の方は自分なりには十分報われた方かなと思ってます。
#みなさまのおかげでございます。
そしてここからが本日の主張なのでありますが、人が毎日何らかの「鍛錬めいたもの」をするときっていうのは、私は必ずなりたい姿になるために、それを「しなければならない」と思っているというよりかはそれを「せざるを得ない」というのがやはり正解なのだと考えます。
これは生徒さんを見ていてもそうです。
これまで数々のセルフ・ラーンニング・モンスター、いわゆる自習狂を生み出してきた究永舎自習室を眺めておりましても、そうした【本籍地:自習室】の人というのは強い意志を持って自分を律している・・・・というよりかは、自習せざるを得ない、ていうか毎日自習したい・・・だって絶対受かりたいから!という、春には〇〇高校、〇〇大の〇〇学部に通ってる自分しか考えられないという感じでとかく大量に問題をこなしていきます。
aikoの「秘密」という開始1秒で「あっ!?・・これエエ曲やわ。」って分かる歌の歌詞の中に、
これ以上想いが募ったら
なんだか好きだけじゃ済まなくなりそうで
っていうハンパなく怖い歌詞があるんですが(「募ったら」の「つの〜〜〜」のファルセットめちゃ好き)、私はこれまで歴代の自習狂の方々を常にこれの変え歌、すなわち、
これ以上想いが募ったら
なんだか受かりたいだけじゃ済まなくなりそうで
・・という、自分でも「オマエ、何言うとんねん!?」な歌詞を脳内で再生させながら見守ってきたのでありますが、それほどまでの「〇〇高校!」とか「〇〇大学〇〇学部!」という強い願望イメージこそが自習狂が自習狂たるその本質であると私は思います。
#この辺は語り出したら結構ガチ目になるので続きは教室で微笑
それくらい願望イメージというのには、たとえば私のように小中高自習ゼロ、高3の10月進研模試で英国世の3科偏差値30ちょいくらいのポテトヘッドの学生を2年後には「とにかく毎日勉強したい。」という人間に変え、10年後にはモヒカンのオジさんにするくらいの力があります。
結局このブログなども私の「こんな塾があることを知ってほしい」「受験のリアルな現場を知ってほしい」「こんな保護者様のお子様に通ってほしい」「究永舎をこんな教室にしたい」・・・ひいては「もっとお金を稼ぎたい」(前半台無し)という願望イメージ(潜在意識)がその駆動因として機能しているのは間違いありません。
逆に言えば、今「毎日勉強・・・・・・・しない人」というのは、昔の私と同じでそもそも英語や数学の学力をつけることで叶えたい願望イメージというのがゼロと言わないまでも、ふ〜んわりしている、、、いわゆる「私はポテトヘッド、あなたもポテトヘッド」なんだと思います。
#親が方向性を決めるお家は子どもにとって受験が自分ごとにならず願望イメージもあったもんじゃないので注意っす
毎日勉強する人としない人。その違いは願望イメージを発端とする、「せざるを得ない」か「いまひとつする理由がない」かの違いであるというお話でした。
ちなみに、、、、掲げる志望校の割にはさして鍛錬に勤しまない受験生を眺めているときに私の脳内で流れている曲は「キミに100パーセント(アニメヴァージョン)」です。
#サビが秀逸
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
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