おはようございます。

 

マクドナルドのポテトに味の素と王将のマジックパウダー(Amazonで売ってます)をぶっかけることで無限に食べ続けられる仕様になってしまうことをこの場でひっそりと報告しておきたい重本孝です。

 

#長生きしたい人は絶対ヤメよう

 

 

 

 

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5月5日 仮入部2名

 

 

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参考書学習では補えない通塾のメリット。

 

 

 

今日の内容はおそらく多様な意見が他にも出る次元のものだと思いますので、一般論としてではなく、あくまで個人的な「私はこう思う。」であるという仕上がりとなっておりますことをご了承頂きたく思います。

 

#先に謝らせて頂きますが、結構ガチガチの真面目で構文が複雑な仕上がりにさせて頂いております

 

 

まず参考書学習についてでありますが、実は高校時代に完全に勉強をやめてしまっていた私が、現在仕事の上で生徒さんに伝える内容を習得したのは大学生になってから以降で、それらは全て参考書学習によるものでございました。

 

お互い10代の頃から知っている盟友光博氏などは当時の私からの「“Each of the girls has・・”ってgirlsって書いてるのになんでhaveじゃなくてhasなん?」レベルの質問から受け答えしてくれているので、その点は私の「知の歴史」というか、どちらかと言えば「恥の歴史」を知り尽くしてくれていると思います。苦笑

 

ですから自己評価ではありますが、マジでゼロベースから参考書学習で学力を身につけていくというのはどういうことなのかというのはたぶん平均よりは分かっている方だと思います。

 

 

そんな私が思う「参考書学習では補えないもの」というのは、まず一番大きいのは

 

今やってることがその科目全体の中でどれくらいの難易度レベルのものなのかや、それがどういった意味や価値を持つことなのか?っていうのがよく分からないこと

 

・・であると思います。

 

要は参考書学習というのは初学者にとっては今やってることの将来的な価値がよく分からないまま進めていくことになるので、「やる気」に頼って勉強をしようとしているレベルの人にとってはなかなかできたものではないかなと思います。

 

例えば高校1年生の子が数学で「逆」だの「裏」だの「対偶」だのって初めて見たときに「なんじゃこれ??こんなんやって何になんの???」みたいな状態に陥って、そうなってしまった結果、学習の継続も難しくなる・・みたいな感じです。

 

これまで実際に対面授業を実施する側もずっと経験してきている立場からすると、そこで対面の授業であれば、毎年その単元を学習する初学者の反応をたくさん見てきているので、いろいろと予測がついて、学習者(生徒さん)が精神的に「ハぁっ〜〜〜〜〜!!??(Ado風)」とならないように事前に手を打った形で一緒に学習してもらうことができます。

 

ですから本当に「わかってる」先生に習えれば、高校生以降の英語や数学なんかでも、

 

「ここは先輩らも最初は全然できひんかったから今日はまだ“さっぱりぱりぱりぱりっぱりー”とかでも大丈夫。最終的に高2でまたいまやってることが絡んだ単元で復習する機会があるから最悪その段階で身に付いたら十分。」

 

とか

 

「まあ、ここはややこしいっちゃややこしいねんけど、そもそも別に知ったとこで実は受験ではほぼほぼ役立たへんねんけどな。」

 

などなど、精神的な負担をグッ〜と減らした上で学習を進めてもらえたりします。

 

また手前味噌で申し訳ないのですが、私のように大半の高校クラスの塾生の皆さんを高校受験の頃から毎週授業しているような人間からすれば個々の特性を把握していたり、学年が上がってくると個々の志望校などにも考慮しながら、生徒さんがメンタル的にエンストを起こさないように配慮しながらガイドしていけるのもいいです。

 

例え究永舎のような環境でなくとも、少なくともこの仕事で自力で食べていけるレベルの戦闘能力を持った先生に10〜20人前後規模のクラスで対面授業を実施してもらえれば、先生が心の中で「◯◯ちゃん、今やってるところキツそうやな〜。ちょっと安心させてあげる話入れとこか・・」とか、「〇〇くん、今、大会前で部活の練習キツいんやろな〜・・。今日はちょっともう集中力限界やな。。。ここらでちょっと笑い入れとくか。。。」などと、さすがにそこはお月謝を頂いている責任とシンプルに年長者としての配慮からの声掛けなどで焦らないようにしてあげたり安心させてあげられたりすることができます。

 

そうした結果、参考書学習だけだと段差のキツい階段を孤独に登るような思いをしなければならないところを、対面授業に参加することでゆるやかなスロープを先生を先頭にこの形式で↓

 

 

登っていく形になるので、精神的には結構ラクになる人もそれなりにいるんじゃないかと思います。

 

#すいませんポジショントークでした

 

 

ですからそういった意味では、引き続きあくまで個人の意見ですが、動画学習というのは実は目の前の先生が自分の様子を、その飲み込み具合や志望校やメンタル的なところを気にかけながら授業をしてくれるわけではない、つまり対面授業の良さが1ミリも内包されていないという点において言えば、参考書学習となんら変わらず、、、、というかむしろ頭の中で自分の言葉で言語化しながら自分のペースで咀嚼できるという参考書の最大のメリットすらも奪われてしまっているという点、それとあとは金額だけは一丁前に参考書の何倍もするという点なども併せて考えると、YouTubeならまだしも[自主規制]なんかの動画を見て勉強する系というのは・・・まあ、簡単に申せば悲しみの花だけ束ねたブーケなんじゃないかなと。

 

#動画授業を見ての学習

=対面授業と参考書学習それぞれのメリットがごっそり抜け落ちた学習

#そっと悲しみにこんにちは


 

ちなみに一応申しておきますと、スタサプの英語と国語系の授業は毎日シャツとズボンのアイロン掛けをする際に見ながら過ごすので、最低でも全部1回ずつは見てますし、東進の授業については林修先生の東大特進の授業を昔にヤフオク(絶対出回ったアカンはずのやつ・・)で25万ほどで落札して何周か拝見しているので、たぶんこれを読まれている方の中でも知ってる方かな・・・とは思ってます。

 

 

受験勉強、しかも大学受験の勉強というその本質が孤独な参考書学習であることを踏まえますと、それで大丈夫な人ももちろんおられるとして、やはりそれなりの高校生の子たちには精神的な支柱であったり、間違った努力や戦略(例えば同志社が第一志望で歴史にはさほど興味のない子が日本史や世界史を選択するなど)を取ってしまわないための水先案内人(軍師)、またあるいは、家でも学校でもない、サードプレイスとしての自習室(精神と時の部屋)なんかが価値を持つということもあるかなと思います。

 

 

 

昨日の記事と本日の記事の以上より、大学受験生は参考書学習をベースとしつつ、そのプラスアルファで、通塾して授業を受けることのメリットがきちんと享受できそうな教室や先生がおられる環境があればその利用を検討されるのも1つかなと考える次第でございます。

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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