おはようございます。
昨日だけで校内生の保護者様&読者様の合計3名の方からトータル7件の飲食店をご紹介に預かったことで白帯グルメブロガーから黄帯くらいにはなったのではないかと踏んでいる重本孝です。
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時間や社会にとらわれず、
幸福に空腹を満たすとき、
つかの間、彼は自分勝手になり、「自由』になる。
誰にも邪魔されず、
気を使わず物を食べるという孤高の行為。
この行為こそが現代人に平等に与えられた、
最高の「癒し」といえるのである。
#今年はいまだ得点開示も連日頂けております。
#本当にありがとうございます!!!!
本編だけ読まれる方は*****まで一気にスワーーーイプ!!
校内向け業務連絡
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新高1クラスの受付は停止致しました。
年内のどこかでまた若干名の受付は行う予定でございますが、予約制はとっておりませんので大変恐れ入りますがその点だけご留意頂きたく思います。
あと「高校受験でこのブログ役に立ったよ〜」と言って下さる方はこちら↓
#御礼の返信が真夜中になりますことだけご了承下さいませ。
#連日のご連絡誠にありがとうございます!!!!!涙
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ちなみに得点開示についてよく南大阪の方から「南大阪の学校なので要らないかもと思いましたが・・」的なことを言って頂くのですが、全然そんなことありませんでして、受験に関するあらゆることに関心がありますから、どこを受験された方であってもその情報は非常にありがたいですということと、あとは、私も人間なのでご連絡を頂けますと「ああ・・俺でも人のお役に立ててたんだ〜・・」と思えて純粋に嬉しいです。たぶんご連絡下さった方の想像をはるかに越えるくらい喜んでます。笑
#毎年頂ける光栄なお言葉は一生の宝物です
#こちらこそあざます
【グルメリポート】
昨日はつけ麺の名店・時屋さんに行って参りました。
13時50分頃、並ばず入店。(ラッキーーー!!)
豚つけ麺を注文。
うん、アンビリーバボービューティホー美味い。
チャーシューはボリューム&食べ応え&見た目&味がall完璧。(トッピングでもう1枚プラスすれば良かったと後悔・・)
教室から30分くらいで行けるのでリピ確。
ていうか北野界隈美味い店多過ぎて学生さんめちゃ羨ましいぞ、おい!
麺を全て食べたあとに“しめご飯”があるのですが、これがまたスープを麺とは違った形で味わえる楽しさがあってめちゃめちゃイイ感じで、気づけばプラス100円出して「もう1杯!」してしまう始末。
とりあえずつけ麺好きで西中島南方界隈に行ける方は是非行ってみて下さい!
あと、つけ麺と言えば、実は教え子の子たちがよく「美味い美味い!」と言っている梅田の麺屋たけ井さんにまだ行ったことがなくって、来週はたけ井さんも行ってみようと思います。真剣
**ココから本編**
先に謝っておきます、マジメに書いてしまいました・・
偏差値的に「上」の学校に行くメリット。
いきなりではあるのですが、個人的には、結局幸せになるためには、世間が幸せな道とイメージするものはあくまで“ただのサンプルに過ぎない”ということは十二分に理解しておかなければならないのではないかと思っています。
#個人の見解です
例えば勉強が得意で北野高校に入った320人の子どもたち全員が揃いも揃って上級公務員になることや有名企業に入ることが一番向いている・・・なんてことあるのだろうか?とたまにふと思ったりします。
ていうかさすがに320人もいれば私のように個人プレーヤーとして野良の世界で生きることが向いている子もいるでしょうし、それこそインフルエンサーみたいな最近確立されてきたタイプの仕事スタイルであるとか、実は学歴が1ミリも関係のない世界で生きてくことが・・・というか、むしろそちらの道こそがその子にとってのジャストフィット・ハッピーであったりっていうことは320人もいれば絶対あると私は思います。
そんなわけでやっぱり個人の意見としては
世間が幸せな道とイメージするものはあくまで“ただのサンプルに過ぎない”
・・ということになります。
もう少し具体的な例を挙げますと、例えばネットやなんかで、「これがモテる男性のファション」・・みたいなものとして、身長180cmの小顔男性が着こなしている服装を、165cmで頭の大きな私が真似るのってどうなの?ってことになると思うんですね。
165cmで頭の大きな人間なのであれば、それはそれとして一番良さげに見えるファッションの形というのは必ずあると思うので、それを探っていくことがそうした人間のファションのポイントになるはずです。
生きていくということもまさにこれで、人間というのは個々に特徴や向き不向きがあるので、結局自分の幸せの形を模索していくことが人生のポイントになると私は思います。
ではそももそも論として、みんながみんな全体的に偏差値的に「上」の学校を目指すっていうことはそこまで意味のないことなのか?というと、私はそうは思ってません。
まずシンプルに偏差値的に「上」の学校であればあるほど民度が高いのは間違いないと思いますし、全体的に余裕のある穏やかなタイプの人が多い傾向にあるというのも言えると思います。
例えばお引越しをするとなった際に、わざわざ路上によくゴミが散らばっているような治安の悪いところに住みたいという人は普通はいないでしょう。
それと同じでやはり民度の高さは重要であると私は考えます。
#誰だって少しでも平和に暮らしたいじゃん
そして民度と並んで私がよく生徒さんに話すのは、偏差値的に「上」の学校になればなるほど、優良な読書体験と同じような効能が日常に期待できるということです。
人間が人間として成長する際、そこには何らかの“言語化”が為される場合が多いと考えます。
#頑張ってついてきて下さい
自分の潜在意識下に確かにある感覚や価値観といったもので、日頃それが潜在意識下にあるが故に自覚されていないことというものが人間には誰にでもあると思います。
そこで私が思う優良な読書体験というのは、ある時、あるページを読んでいて、ある一節に触れたときに、バチバチーーっ!!と、自分の潜在意識下に確かにある感覚や価値観を、くっきりとした輪郭を伴う形で顕在意識上に自覚できるレベルで浮上させてくれるものなのであります。
そうやってこれまで自分の中でふんわりと捉えていたものが明確になったことでそれに自覚的になり、これまで以上に自分の軸、および大切にしたい価値観を捉え直すことが可能となって、ますます生き易くなったり、もしそうでなければ陥っていたかもしれない迷いや悩みから結果的に解放された人生を送ることなどに繋がっていく、、、読書にはそういった効能が確かにあるということはないでしょうか。
そして今まさに私が主張したい、偏差値的に「上」の学校に行くことの意義の1つというのがこうした点にあります。
つまり、誤解を恐れず言えば、ある種、現状の自分よりも上のレイヤーに生きる人、自分とは違う語彙や表現をたくさん持っている人というのがいわゆる進学校になればなるほど圧倒的に多いと思います。
それによって先に述べた読書と同じ効能、すなわち
潜在意識下に確かにある感覚や価値観を、くっきりとした輪郭を伴う形で顕在意識上に自覚できるレベルで浮上させてくれる
・・そんな言葉に出会える機会、もっと言えば、自分の中に眠ってもいなかったのだけれど絶対に自覚した方が良い価値観や思考のフレームワークに出会える機会が進学校になればなるほど多いと考えます。
もし今これを学生さんが読んでいれば、今まで述べてきたことをあと少しだけ抽象化させて捉えておいて欲しいと思います。
つまり、成長する(永遠に同じ景色だけを見る生活をしない)ためには、ある基準で見た場合に確実に自分より上のレイヤーにいる人と話すことで(読書は著者との対話です)、一言で言えば新たな視点がザックザク仕入れられるので、そっちの方が成長は加速するはずなんです。
少なくとも自分と同レベ以下の人ばっかりとずっといるよりは、そういった人(この場合は本の筆者も含む)と現場や本の中で対峙してその言葉を浴びる方が今日書いたような理由で圧倒的に有益なんじゃないかと思うので、私はやっぱり受験で言えば、偏差値的に「上」の学校を目指すことっていうのは大いにアリだと思ってます。
#読書ってマジでイイぞ
気づけば真面目に書いてしまい申し訳ないのですが、個人的にはそんなことを最近よく思っていて教室でもお話しさせて頂いておる次第です。
#まさにこういったこと↓が起こる
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
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