おはようございます。
文理学科合格の歓喜が2〜3ヶ月後には文理学科入学による絶望に変わるシーズンが今年も大阪の至る所ではじまるな・・とロクでもないことに思いを馳せる重本孝です。
#↓高校受験
#読者様の大半が女性や学生さんであることを無視したブログ
彼は言った「豊高というよりも阪大に行きたかった。」
今から3年前の2021年3月18日午前10時2分頃。
1人の少年が電話口の向こうでこう言いました。
「(豊中高校)受かりました〜。」
そして先日2024年3月9日午前9時2分頃。
今度は少しだけ青年になった“3年前の少年”は電話口の向こうでやはりこう言いました。
「(阪大)受かりました〜。」
こうした連絡を2回もくれるなんてホントに塾講師としてもありがたい限りです。
さて、そんな少年もとい青年は、元々は決して絶対王者タイプではなく、典型的な受験界におけるタタキ上げタイプです。
彼の年は教室からは豊中高校に5人チャレンジしたのですが、私の中では彼はそのうち5番目。
つまり当時のメンバーでは「一番ヤッベーゾ・・(かもしれない)」という状況からの、点数開示をしてみてもやはりまあまあ余裕のない得点での合格だったのでありました。
しかし豊高入学後、特に2年生以降、理系を選んだ彼はクラストップや理系トップをはじめ、物理や英語などでも何度か学年トップを取ってきたことがありました。
この結果については高校受験時だけから考えればアンビリバボーだと思うのですが、その頃になると私はもうすっかり彼が豊高の帰りに、たい焼きくんか!?言うくらいに毎日毎日自習室に立ち寄る姿を見ておりましたので、さもありなんという風な受け止め方ではありました。
#塾の自習室がボクの住みかさ
#ときどき重ちゃんにイジリ倒されるけど
そんな彼に先月の2次試験前にこう聴いてみたんですね。
「そんな(ここまで毎日やるような)キャラやったっけ?」
と。
するとそこで彼は言ったのです。
「ぼくずっと阪大行きたかったんで、高校入ってからも( 勉強)やろう!」
・・って思ってました。
私は続けてこうたずねました。
「え?それっていつから??」
彼は答えます。
「小学校の頃からです。」
私がさらにたずねます。
「早っ!?それってなんで???」
彼の答えて曰く、
「いや、小さい頃に母さんが『阪大ええとこやで〜』って言ってたんで、『ええとこなんやったら行こうかな〜』みたいに思ってました。だからそれやったら(阪大に行くんやったら)家近いし豊高いけたらイイな〜・・みたいな。」
#つまり阪大が先
とまあ、、、そんなやりとりが現場であったんですけれども、個人的にはこれって新高1生の子には参考にして欲しくって、やっぱり志望校に受かってそれが「達成」になる人と、それが「スタート」になる人、それがその後の運命を分ける一番よくある要因なんじゃないかと他の生徒さんを見てても思います。
高校生以降の塾がどうとか、高校入ると勉強がどうとかってあると思うんですけど、それよりも何よりも
「登る山を決める」
これが大きいです。
こういったところが「勉強のやり方」ではなく大切なのは「考え方」と私がよく口走る所以でございます。
昨日の入試で志望校に受かった人は合格して当然安心したでしょうし、喜びもしたでしょう。
しかし結局多くの人が「次に登る山」を設定することができず、受験界という名の海洋に漂うクラゲのような生活をしてしまい気づけば高校卒業と同時に駿d..[以下省略]
とりあえずそんな感じで新高1クラスでは学習内容もさることながらサクセスする先輩ってこんなこと言う人多いよとかっていうのを今後続々と伝えていき、大学受験生としてのホントにホントのベースシックな部分を内側に築いていって欲しいなと思います。
追伸
そういえば翠嵐言った子も「翠嵐入って対人はラクなった。。。」と言ってました。
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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