先週、大阪府の公立高校を卒業した
学年の子たちというのは、
実は公立入試の制度変更後に
受験したある意味1期生の子たちです。
そういった意味で、
私は究永舎生が毎年受験する
公立高校の大学進学実績には
例年以上に今年は興味を持っています。
距離も近く、
校内生、卒業生も一番多い
豊中高校は特に。。。
改めて読むと見苦しい点もございますが、
今から3年前のこちらの記事を
よろしければご確認下さい。
私はこの制度変更によって
一番影響があるのは豊中高校に
なるのではないかと思っておりましたし、
その後もその考えは今のところ変わりません。
なぜ豊中高校か?
ということなのですが、
理由は2つあります。
理由①2015年に北野戦争終結
(説明は割愛致しますのでご了承下さい。)
(類塾さん、あざ〜っす。)
ちなみに究永舎出身の北野生には
申し訳ないのですが、入学すると
「どこ校?」と聞かれていちいち
説明しないとダメみたいなので、
最近では私もちょっとひねくれて
「面倒臭かったら“豊中本部校”言うとき...」と
(馬渕教室さんごめんなさい!)
生徒さんには言っています。
ちなみに今の究永舎生の子の
高1のクラスは40人中、
馬渕さん34人、類さん4人、
開成教育セミナーさん1人で
謎塾出身が究永舎生1人という構成らしく、
もはや最近の北野は“馬渕教室北野分校”の感すら漂ってます・・・
究永舎ならもっと安く、
通塾回数も少なくて済むのに・・・(うぇ〜ん・・・
閑話休題。
上の写真の通り2015年に
戦争に1段落ついたことは
タイミングとしては
実は豊中高校の大学進学実績に
大貢献するのは間違いないと予想されました。
2015年の北野の後期最終倍率が
1.83なのに対して、
2016年の北野の最終倍率は
1.20ですから、
これを見ても、大手塾が戦争中ほど
北野受験を推していないのは明らかです。
(今年の中間集計見ても今は三国丘が熱い!?)
これにより、
内申の下支えもない
受験になりましたから、
前年度までの北野突撃隊に
位置していた層が北摂では
豊中高校に流れるのは
火を見るより明らかです。
これにより、豊中高校は
労無くして一部の北野層の生徒が
春に門をくぐってくれる環境となりました。
理由②翼の折れたエンジェル。
2015年公立入試までの
内申点制度は副教科への係数が大きく、
良くも悪くも受験生への影響が大でした。
しかし2016年入試より、
その形がなくなり、以前までと比べると
内申の段階、つまり12月の段階で
(3学期ではもうそれほど内申は変わらない)
豊高受験アウト!になる生徒さんが減り、
実力さえあればワンチャン有り!の
入試形態に大阪は変わったのです。
(これはどこの学校にも言えます)
これにより、3年前の
ブログにも書きましたように、
内申という翼を支えにして
豊中高校合格を勝ち取っていた層
(厳しめに言えば国公立がスペック的に厳しめの層)
というのが池田に流れ、その代わりに、
一部の、本来なら内申のせいで
豊中高校を受験できなかったはずだけれど、
ナイス制度変更でその持ち前のスペックを
頼みに受験したら受かちゃいましたという子たちが
豊中高校はこの過去3年を見ても
明らかに増えたと思います。
まとめると、、、、
元々、内申が無いにも関わらず大手塾ゴリ押しで出願し、当日実力を発揮して北野にスベり混んでいた層が、2016年以降はある程度“無難作戦”で豊中高校に出願するようになった。
元々、内申の段階で豊中は厳しめとなり、無難に池田に出願していた層が、内申はイマイチでも実力(特に数学)を頼みに豊中高校に出願できるようになった。
この2点が効いて、
豊中高校は今年度以降、
阪神、および同志社の数は
さらに増やしてくると
予想されます。
さきほど、この春に関学進学を決めた
池田高校の男の子が自習室の荷物を
引き揚げにやってきてくれて
言っていました・・・
「ウチのクラスはたいがい関関同立落ちてました。
近大も受かってる人あんまいなかったです・・・。
でも知り合いとかから聞いたら豊中は関関同立は
みんな結構全部受かってるって聞きます。」
う〜〜〜〜〜〜〜む・・・・・・・
果たしてその真相やいかに!!!???
受験屋としては注目しています。
(予想思いっきり外れてても何の責任もとれませんのであしからず笑)
ふ、、、
またつまらぬ記事を書いてしまった・・・・
高3卒業したから昼間ヒマなんです笑