2つのサルヴェ・レジーナ | Agnus Dei

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気取らず、前向きに、美しく。

だいぶ更新が滞ってしまいました。
今、福岡出張の帰りに買った福岡おみやげの定番「博多通りもん」をむしゃむしゃ頬張りながらブログを書いています。別にこれ美味しいわけじゃないと思うんですけどね……なんですけど……気づいたらむしゃむしゃ食べてしまっています。昨日買って帰ってきたのにもうひとりで10個食べちゃいました(ぉぃ)これって間違いなく美味しいってことですよね、うん。

今日は日曜日。いつものように御ミサに参加して、いつも思うのですが、なんでグレゴリオ聖歌歌わないんだろうなーっていう。僕の出身教会は毎月一度グレゴリオ聖歌(天使ミサ)を歌う主日があります。確かに第二バチカン公会議以降は各国の言葉を使ったミサ形式になったんでしょうけど、でもやっぱりあんなに美しくて完成された比類なきミサ曲を、なぜ使わないのか。日本語の典礼聖歌も素晴らしい曲が多いので、それを歌いたくないというわけじゃないのですが、やっぱり個人的にはラテン語のミサ曲も歌いたい。僕が主任司祭だったら、絶対取り入れるのになあ。

とはいえ、今の所属教会の神父様はすごくオーラがあって素敵な方なので(この神父様に祝別してもらったコルベ神父の不思議のメダイは僕の宝物で、いつも身につけてます)、本気で不満に思っているというわけではないんですけどね。むしろ天使ミサ歌う教会のほうが少数派でしょうし。

でもやっぱり、ラテン語の素晴らしい曲たちがある!ってことはわかっておくべきだと思うんですよね。今の信者の人たちは、グレゴリオ聖歌とか、わかるのかなあ。ひょっとしたらこのブログタイトルのAgnus Deiの意味さえ、わからないかもしれない。やっぱりカトリック教会の現代化、世俗化に少し不満な戸槍なのでした。(このあたりのことについて詳しく知りたい方はこの記事を読んでみてください☆)

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日はそんなラテン語の素晴らしい曲について書きたいと思います。
サルヴェ・レジーナ。マリア様を讃える歌で、修道院などでよく歌われる曲のひとつです。
アヴェ・マリアとかもそうですが、ひとつの歌詞(祈り)にいろんな人が曲をつけるんですよね。だからシューベルトのアヴェ・マリアもグノーのそれもブラームスのそれも、歌詞は全部同じ。ミサ曲にしたって、そうです。そして終課のアンティフォナ(この意味については説明を省きます)のひとつであるこのサルヴェ・レジーナにも、いろんなメロディがついているわけです。

僕は何種類のサルヴェ・レジーナがあるか知りませんが、有名なのは大きく分けて2つですね。
まずはこっちのバージョン。僕が教会の合唱団で歌ったサルヴェも、これでした。微妙にメロディが違うんですけど、まあ同じと見ていいでしょう。厳かで力強い、そしてこの世界に自分と神様しかいないと思わせるような静けさ(メロディの隙間)。素晴らしい曲だと思います。
なんか最近アメブロは動画埋め込みの調子が悪いので、新しいウインドウで開くようにリンクを張っておきます。聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=d5p_U8J0iRQ

そしてもうひとつのサルヴェ・レジーナはこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=1B91RUv2lI8
もう、雰囲気が全然違いますよね。さっきのサルヴェはすごくストイックな雰囲気がしましたけど、こっちのサルヴェはとにかくきらきらしてる。天からメロディが降ってくるような感じ。なんとも神秘的な、本当に素晴らしい曲。バチカンの荘厳ミサとかでこの曲を歌っている映像とか見ると本当に胸が熱くなってきて、いつか僕もこの場で歌いたいなあって強く思います。

みなさんはどっちのサルヴェがお好きでしたか?僕はどっちも好きですけど、あえて選ぶとしたら2つめのほうかな、と思います。1つめのほうは、本当にストイックで、自ら神やマリア様を求めて力強く(地から強く、でもありますね、笑)歌うイメージ。それに対して2つめのほうは、本当に天からの捧げ物としか思えない。人間が作った曲じゃないと思います。きっと聖霊の導きによって作られ、歌い継がれてきた曲なんでしょうね。

こんな素晴らしい宝物をたくさん持っているカトリック教会は素晴らしいな、カトリック信者でいれてよかったな、そんなことをいつも思っています。