昼飯→からあげくん、サラダ
夜飯→ハンバーグなど
飲物→コーヒー、黒酢ジュース、水、午後の紅茶 おいしい無糖、生ビール、ハイボール
どん。
子どもたちの朝ごはん。
トースト、きゅうり、ブロッコリー、こんにゃくガーリック炒め、厚揚げニラ炒め、カントリーマアム、牛乳。
コレ、バランスってとれてるんだろうか?
何かと気を遣ってるつもりなのだが、栄養のバランスって難しいな。
お食べーー。
ブロッコリー、厚揚げニラ炒め、もずく酢、めかぶ、納豆、こんにゃくガーリック炒め、茶碗蒸し。
お弁当の日は色々とおかずが増えて嬉しいモーニングとなる。
サラダ、からあげくん。
まぁいつものコースです。
ゴールデン街、ファイブガロンというお店の巨大ハンバーグ。
オーナーさん自ら料理を作っているそうで、そのほかアメリカンな食べ物をいくつか頂きつつ、小腹を満たしてから、夜の街へと繰り出した。
いえい。
と、いうことで、本日は、タイトル通り、最近読んだ本の紹介をぶちかましたい。
Facebookとまんま同じ内容なので、すでにお読みの方はするするするっとスルーしてください。
では……。
どん。
って、いいのか!?
ソコ、伏せ字にしなくていいのか!?
と、のっけからツッコミをぶちこみたくなる私小説と出会った。
取り急ぎ、SNS上で〝ソレ〟がNGワードとして引っかからないのか!? どうかが気になってしまうのは、私の職業病ともいえるのかもしれないが、通常、アダルト関係の雑誌を制作する場合、〝ソレ〟は間違いなく伏せ字にする。
いわゆる自主規制。
さすがに、公衆の面前で〝ソレ〟を丸出しするのはマズい。
だけに、ちゃんと隠してあげることが、一応の礼儀であるということなのだ。
だからこそ、最初、タイトルに〝ソレ〟が堂々とカマされていることに衝撃を受けた。
と、同時に、自主規制よろしくで〝ち○ぽ〟としてしまっていたら、それは逆に猥褻感しか生まない表現となっていただろうとも感じた。
そうか、〝伏せる〟って逆にエロスなんだ……と。
とはいえ、そんな感想はどうでもいい。
この物語は、純文学である。
むしろ、芥川賞、コレでしょ! と言いたくなるほどに純文学である。
あらすじとしては、「〝ソレ〟が入らない」という事実を中心に、夫婦がたどってきた人生が語られているのだが、その血みどろの20年史は、悲惨であり、残酷であり、痛々しい。
だが、そこに同情という感情は湧きあがらない。
むしろ、人とコミュニケーションをとることが苦手な男女が、セックスを介さずに繋がっていること、その絆にどうしようもなく感情が揺さぶられる。
そして、「〝ソレ〟が入らない」という事実が、ペーソスを交えたユーモアとして、至るところで登場する。
その語り口、目の前で起きていることを冷静に分析しツッコミを入れる絶妙な筆致、そして、〝ソレ〟が醸し出す滑稽さ、愛らしさに思わず爆笑してしまうのだ。
物語の終盤、彼女は36歳にして「○○」する。
ネタバレになるので伏せ字にするが、個人的には、おそらく彼女の体が確信したからこそ起きた現象だったのだろう。
いや、確信ではなく、〝覚悟〟を決めたのだ。
そして、その〝覚悟〟から生まれたラストシーン。
最後までおとぼけを貫きながらも、胸に突き上げてくる堂々たる独白。
子を産み、育てることが、〝生きる意味〟のすべてではない。
彼女が流し続けた〝鮮血〟と、夫婦が〝普通の人生〟を求めて繰り返し続けた〝営み〟は、この世に『夫のちんぽが入らない』という名作を出産した。
そりゃあ、〝伏せてる〟場合じゃないってばよ!
〝ソレが入らない〟悩みを持つ人は、そんなに多くはないだろうが、彼女たちの人生における悩みに共感する人はたくさんいるはずだ。
だからこそ、私もあえて伏せずに、声を大にして言っておこう。
『夫のちんぽが入らない』、とりあえず、あなたの心に挿入せよ!
大丈夫、無理矢理じゃなくても、ちゃんとすんなり〝入る〟から!(笑)
そして、コレ、読みながら、まさかの真っ赤な赤ワインを呑んでいた自分にもビックリしました……とさ!