「超訳と写真で旅する百人一首」 | パパは過労死寸前〜素朴のグルメ〜

パパは過労死寸前〜素朴のグルメ〜

娘2人に囲まれながら、2015年より小規模な会社を立ち上げて、日々、家事&仕事でフル回転中の男一匹34歳。糖質オフ本を制作したことにより半年で10キロ減に成功。毎日が締め切り的な業務で週に2日は帰れない……。そんな多忙パパの食日記&適当な徒然育児日記。

朝飯→素うどん
昼飯→カップ生姜雑炊、納豆汁
夜飯→茶碗蒸し、タラコぞうすい、塩昆布冷や奴、一口餃子
飲物→水、ルイボスティー、ポカリスウェット、アクエリアス
仕事→某書籍の校正、某アイドル雑誌の編集






















「大好きなイッコへ❤️ 今度会える日は、あいにくの雨だけど、映画楽しみだね❤️」
















電車内で完全なる頭の薄いクタビレたオッサンがそんなラブリーベイベーメールを打っていた!


しかも、絵文字超多用!












いや、別に覗き見したわけではござらんよ?

ふと、視線の先に絶賛メール打ち込み中の瞬間が飛び込んできてしまっただけだからね?

しかも、「頭の薄いオッサンなのにそんなメールを打つなんてプププ」という悪意の塊的な意味合いでネタにしているわけでもない……。

のか……?

いやいやいや、もしかしたら、お相手は今も変わらぬ愛を貫いている奥様かもしれないし、はたまた愛娘のイッコちゃん、そう、今は離婚して離れ離れだけれども時々会える最愛のイッコちゃんの可能性だってあるのだ。

何も、愛人だとか、夜のお姉ちゃんだとか、出会い系のあの子だとか、愛人だとか、愛人……なんてことは、一言も言った覚えはない。

むしろ、そんな想像をしてしまったブログの前のキミの方が、悪意の塊なのではないだろうか?(笑)













ってゆー流れが悪意だろ!




とは、言わないで。

だって、面白かったんだもーーん。















食中毒だけど頂きます。



子どもたちの朝ごはんの素うどんを頂いた。

朝からもう腹が激痛すぎて……。

でも、お腹は減るので、消化の良いものを。




お昼はカップの生姜ぞうすいに、経口補水液。

コレ、はじめて飲んだけど、結局何なのか⁉︎

いずれにせよ、食中毒だから、逆に消化に良さげな炭水化物を食べているというジレンマ。




茶碗蒸し、塩昆布冷や奴、タラコぞうすい、一口餃子。

DVDを鑑賞しながら食べたので、なんだかんだで品数は多め。

とはいえ、食中毒真っ最中のため、もちろん消化に良いものばかり。

長女が作ったという一口餃子は油っこかったが、この濃ゆい味には癒された。






















どーーーーん。

「超訳と写真で旅する百人一首」(笠倉出版社)

本日発売!(※正確には11月11日の昨日)




そう、コチラの企画は、人気漫画「超訳 百人一首 うた恋い。」と、来年映画化も決まっている「ちはやふる」の、2つの百人一首漫画よりインスピレーションを受けて立案されたものであり、ちょうど時を同じくして我が家の長女の幼稚園でも百人一首を遊戯の中にとりいれていることから、是非とも一冊作ってみたいと考えていた企画なのである。

私も中学時代は全首を覚えることに成功し、百人一首大会では圧倒的な強さを誇っていたという過去の栄光もあるが、いざ、仕事にとりかかってみると、忘れてる忘れてる……いや、というより昔は意味など理解しようとせず、ひたすら丸暗記していただけなので、勉強すればするほど百人一首とはかくも魅力的なものだったのかと、改めて再確認もさせて頂いた。

百人一首の時代の恋愛観は今とは大きく異なっており、「通い婚」やら「一夫多妻制」など、男女共に恋の悩みは今以上につきなかった。

メールや電話などない時代だけに、連絡手段は恋文(ラブレター)以外にはない。

つまり、その恋文にかける想いは凄まじく、だからこそ、和歌という洗練されたコトバウタが当時の人々の間では主流となったのだろう。

和歌は切って離すことはできないほど、密接に繋がっていたのである。

というよりも、平安時代は貴族社会。

むしろ、「恋をする」「和歌を詠む」ことが仕事なのであり、まさにそれこそが人生であったのだ。

そして、百人一首は、そんな当時詠われた数々の歌の中から、平安貴族のひとりである藤原定家が編纂したもの。

ただし、ここに選ばれた歌々は何もこの時代の傑作撰ではないという。

要は、平成のヒットソングベスト100ではないということなのだ。

本来ならばベスト100をセレクトするのが常だろう。

だが、定家はソレをしなかった。

ココに百人一首の面白さ、深さ、そして、1500年の時を超えて、今なお詠み継がれている理由がある。

そう、順番や詠み人の配置など、様々な角度から検証すればするほど、定家の壮大なる伏線、設計図が見えてくるのだという。

しかも、その謎の全貌はいまだに解き明かされてはいないのだ。

……と、百人一首ミステリーのような話に脱線してしまったが、本誌のテーマはまったくこれとは違う方向性で、つまりは、最初に触れた「恋の歌」をメインで扱っている。




どん。

たとえば、コチラは表紙の裏面だが、百人一首の歌を、先述した『超訳 百人一首 うた恋。』の発想をお借りして、同じく〝超訳〟と題して編集部オリジナルの解釈を付け足している。

もちろん通常の現代語訳もセットで掲載しているが、さらに今の時代の感覚でとらえた〝超訳〟を加えることによって、より百人一首の世界と自分たちを重ね合わせることができるのではないかというテーマがあるのだ。

「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」

通常ならば、
筑波山の峰から流れ落ちる滴が、やがて水かさを増して男女川になるように、私の恋心も徐々に積もり重なって今では深い淵のようになってしまったのですというような訳になる。

それにプラスして、これを我々の感覚に置き換えて「最初は気になるくらいだったけど、今ではめちゃくちゃ好き」と超訳しているのだ。

そう、こういった超訳があることにより、今まで以上に百人一首の歌々を身近に感じることができるのではないだろうか?


どどん。

先日、『超訳 百人一首 うた恋。』の監修者である東大の渡部泰明教授にお話を伺ったのは、まさにこの〝超訳〟についてだったのだ。

この時のお話は本誌巻末インタビューにて掲載しているので、気になる方はぜひともご一読いただければと。




さて、思わず饒舌になってしまい、長々と語ってきてしまったが、兎にも角にも、
たった「31文字だけで綴る熱く切ない恋文(ラブレター)」

我々が生きる現代において、手紙という文化は廃れはじめてしまってはいるが、それでもメールという形で、いまだに文字に想いを乗せるという行為は存続している。

むしろ、直接会って話したり電話をしたりするなどの会話よりも、メールの方が主流になりつつあるだけに、恋文は今後も生き続けるのではないだろうか。

これを機に、思い切って、好きな相手に和歌で告白メールをする、なんて洒落たことをしてみてもよかったり……?






さて、ここで冒頭のオッサンに話を戻したい。

彼の送ったメールである。



「大好きなイッコへ❤️ 今度会える日は、あいにくの雨だけど、映画楽しみだね❤️」









ハートとか「、」とか抜かしたら31文字やん!w

漢字を1文字としているから正確には31文字ではないけれども……。



とはいえ、この偶然の一致に思わず震えた私は、せっかくなので、最後に、冒頭のオッサンのために、彼の〝恋文〟を和歌の形に整えてみようと思う。

















「あいにくの 雨のデートに なるけれど 相合傘して 映画行こ」






















どどーん。


よろしくお願いしまーーーーーす!