長女とメダカと死生観 | パパは過労死寸前〜素朴のグルメ〜

パパは過労死寸前〜素朴のグルメ〜

娘2人に囲まれながら、2015年より小規模な会社を立ち上げて、日々、家事&仕事でフル回転中の男一匹34歳。糖質オフ本を制作したことにより半年で10キロ減に成功。毎日が締め切り的な業務で週に2日は帰れない……。そんな多忙パパの食日記&適当な徒然育児日記。

朝飯→おうちモーニング
昼飯→バーガーキングのセット
夜飯→・安い牛肉のスタミナ炒め、きゅうりとミョウガの浅漬けサラダ、ポテトサラダ
ドリンク→午後の紅茶 おいしい無糖、ウーロン茶、金麦糖質オフ500ml、緑茶杯
仕事→某アイドル雑誌の編集、某書籍の校正





















先日、我が家にやって来た金魚とメダカだが、やはりブクブクもない状態下で、食器の中に放っていたため、一匹のメダカが早くもご逝去なされた。



長女にとっては、自分が認識できる生き物のはじめての死。



もちろん蜘蛛や蚊などの小さな虫がパパによって撃退され、グシャッと潰れてしまった状態になったものは何度か目にしているが、あまりにもサイズが小さすぎて、【死】というものを実感することができなかったのだろう。



だからこそ、はじめて自分ですくって、はじめて自分で飼うということを経験した長女にとって、一匹のメダカの死は相当にショッキングなものだったらしい。





ママ「メダカさんは、死んじゃったから、もうバイバイなんだよ? もう会えなくなっちゃったんだよ?」




と、ママが死とは何かを力説するのだが、どうもいまいちピンとはきておらず、ただただメダカが動かなくなったという事実がなぜか悲しくて辛くて泣きじゃくっていた。









つまり、この世から消滅した、もう二度と動き出すことはない、ということが、理解できていないのだ。



ひとしきり、といってもかなりの時間泣き喚いていた長女は、しばらくすると、なんとなく、単純に、「しばらく会えなくなってるだけ」的な解釈に落ち着いたようで、ママに促され、土に還すことになった。




土葬する、という行為自体も衝撃的だったようで、このあとも再びしばらくの間、泣いていたそうだ。
















と、なんだか真面目で暗~い感じで始まるという前代未聞な展開だが、ひとまずは早々に飯ておこう。




















photo:01


おうちモーニング。



ミネストローネに酔いしれた。








photo:02


おうち晩酌セット。



安い牛肉のスタミナ炒めに酔いしれた。

















うん。



ということで、その後の長女さんの行動を記しておく。






すっかり泣き疲れた長女は、布団に入ると即落ちし、泥のように爆睡した。



翌日、一晩明けてメダカのことは忘れたのかな? と思いきや、さすがに4歳児の記憶はナメてはならず、しっかりそのことを覚えていた。



彼女が起きぬけに放った一言は以下の通り。



















長女「メダカさん、おっきくなったかなー?」














へっ????





メダカはおっきくはならないんでない?








突拍子もない発言に妻の脳内が疑問符だらけになっていると、続けて彼女はこう言った。














長女「土の中のメダカさん……」




「ちょっと、○っち、見てくるわー!」


















いやいやいやいや!




まてまてまてまて!













ママ「あのね、○っち、メダカさんは死んじゃったんだよ? 死んじゃったってことはね、もうずっとバイバイなんだよ?」





妻は、超ハイテンションで庭に出て土を掘りかえそうとする墓荒らしになりかけた長女にストップをかけると、すかさずまくしたてるように説明した。














ぽかーん。


















しばらくあっけにとられていた長女は、何のことやらさっぱりわからぬ、といった表情を浮かべ、これまた素っ頓狂な声をあげながら、「本当に謎!」というような口調で、妻に思わず聞き返してきたのだ。
























長女「でもさ、土の中でおっきくなるんでしょ?」





















なんねーから!







植物か?




種植えたら育つみたいな発想なのか!?






いったいどこ情報だ、ソレは!!!!



























はい。





思わず、メダカの死骸を埋めたら、メダカ的な植物が生えて大きくなって、庭を埋め尽くすという、とてつもなくホラーな想像をしてしまったのだが、要するに長女は、メダカという小さな生き物の死によって、【死】というものを理解するには至らなかったというわけだ。




確かにわたくし自身も、金魚や虫の死というよりも、小学生くらいのときに飼ったジャンガリアンの死を経験したときの方が、それはそれは恐るべき【死】と向き合うことができて、自分が死ぬとはどういうことか、ということまで想像できたような気がする。



ソレはすべての生き物に平等に訪れるものなわけで、もちろん死に貴賎はなく、大小なども等しくあり得ない。



だが、まだまだ4歳児の彼女には、そのあたりの感覚が体感できないようで、メダカサイズの場合、中途半端な形でしかその輪郭を掴めなかったようなのだ。



けれども、ある程度、「死ぬ」こととはどういうことなのか、を知るきっかけにはなったと思われるので、長女の通う幼稚園の金魚すくいというイベントは、実は【死】について考えるというきっかけを作り出すことまで考慮しての演出だったのか? と、かなり穿った見方までしてしまい、もしそうならば園長先生は相当なやり手だな、と思わざるを得ない。



















いえす。


少々、話を遠回しに展開しすぎて、なんだか七面どくさい流れになってきたので、このあたりでサクっとシメなければならぬと思い、いいネタを考えていたのだが、なかなか見つからず、結局ウダウダやりすぎたため、ふと思い出したエピソードで無理矢理終わらせて頂こう。




つまり、ソレは残された金魚とメダカに長女が付けた名前である。





「名前をつけると情が移る」とは、何かの漫画だか小説の受け売りだが、一匹のメダカを失った我が家の妻子は、残った二匹に名をつけることで、何かしら人間的なエゴが満たされたのか、【死】というものにさらに向き合っていく覚悟を決めたようだ。







さて、名前。



ウゼーパパちゃんは放っておいて簡潔にいこう。















金魚→可愛いから「かわちゃん」




メダカ→小さいから「ちーちゃん」

























安易ーーーーー!!!!!!!!






めちゃくちゃ安易だけれども、長女が初めて考えに考えてひねり出した名前ということで、親バカとしては感慨深くてしょうがない。





とくれば、あーだこーだとうざったいことを言い続けてきたわたくしが最後にボヤけられることはひとつだけ。


































ちゃんとブクブク買ってやるべきなのかなぁ……。

iPhoneからの投稿