皆さま、こんばんは
全然、気分がのらず、修士論文ではなく、
ブログを書いています
加えて、妻ともケンカ
妻とのケンカの種は、母のことです。
母は、私の実母なので、私が世話をするのが当然なのです。
ただ、「助けてほしい」という甘えがあり、
それがケンカの発端です
甘えた私が悪いのです・・・
こちらは、また別の機会にでも!
というわけで、
教師と指揮者
というお話です
以前から、教師と指揮者って似てるな~って思っていました。
指揮者って、自ら楽器は演奏しないで、作曲家が書いたものを、こういう音や表現にしてほしいと団員(演奏者)らに告げるのが、その役目です。
そして、その指示を受け、団員(演奏者)らは、指揮者の指示が何かを読み取り(あるいは感じ取り)、音にして(表現して)、聴衆に音楽をとどけています。
教師も、わたし自身が学習者(かれら/かのじょら)のことばを
直接、表現することはなく、うまくそれができるように日々、何かしら合図を送って、それを感じ取り(学び取り)、学習者たちは自分の思いをことばにしています。
授業ひとつをとっても、演奏会みたいなものだと思います。
同じ演奏会なんて、二度とありません。
同じ指揮者、同じ楽団だったとしても、です。
毎回同じ教師、同じ学生でも、授業って違います。
生きているというのでしょうか。
今日はしっくりきた、
今日は不完全燃焼、
今日は何をやっていたのか、
今日はおもしろかった、でも、なぜ?
などなど反省をしない日などありません
以前、かの小澤征爾が、そのようなことを言っていました。
毎回が勝負です
と。
本当にそのとおりだなと、感じさせられます。
今日は、それを痛感させられるような授業でした。
てなわけで、へとへとです。
小澤征爾に比べたら、私がやってることなんて、たいしたことではないと思います。
でも、もしかしたら小澤征爾の足元ぐらいには辿り着けたのなら、クラシック音楽ファン、小澤征爾とツーショットをとった1人しては喜びをかみしめるのみです
大きなことを言いだし始めたので、この辺で止めておきます。
小澤征爾とのツーショット写真をアップしたいところですが、
お恥ずかしいので、またの機会に譲ります!
先日撮った、朝焼けのワンカットです。
では皆さま、週末のひととき、のんびりとお過ごしください。
すてきな時間になりますように!