1・17。 | 日本語教師の独り言

日本語教師の独り言

日々感じたこと、思ったこと、楽しかったことなどを綴っています。
クラシックのコンサートに、ときどき行くので、そのことも備忘録的に書きたいと思っています。



こんばんわ!



ご無沙汰しております。

ようやく週末ですねo(〃^▽^〃)o



タイトル。



唐突ですが、阪神淡路大震災の起こった日です。



本当は、その日に書きたかったんだけど、今日になってしまいましたが、

思うところがあるので、書きます。



ちょうど、17年前といえば、僕は高校3年生でした。

一足先に、推薦で大学が決まっていたので、受験に影響はありません

でしたが、神戸の学校に通っていたので、校舎は使用できる状況では

なく、しばらく休校となりました。



もちろん、電車も動いていなかったので、、、



友人たちの多くが被災し、また家族を亡くした友人もいました。

わたしは、住まいが神戸でなかったので、被害はありませんでしたが、

通っていた高校や、町のことが気になって仕方ありませんでした。



ようやく学校に行ったのは、卒業式の日でした。

仲の良い同級生たちとは、電話で連絡をとっていましたが、学校がどう

なっているのか、通いなれた町はどうなっているのか、そんな気持ちを

抱えながら、卒業式に向かったことを覚えています。



火災の被害が大きかった地域だったので、本当に一面、「焼け野原」で、

“言葉が見つからない”といった感覚でした。



17年。



月日の流れを感じます。

それとともに、何か震災関連の行事が「形骸化」しているように思えて、

ちょっぴり寂しい気持ちや違和感を覚えるときがあり、複雑な心境です。



「鎮魂」「伝承」、、、



いずれも大切ですが、一人一人の胸に、その思いを刻み、何もその日に

限らず、常に(毎日でなくても)、ふとした時に思い出し、そして心を鎮める

思いを持つことが、本当の「鎮魂」じゃないかな、と思います。



当たり前のことなんだろうけど、、、



時がたてば、その記憶も、その事実も、どうしても薄れてしまいます。

「形骸化」したものって、何かタブー視されてしまって、近づきにくいモノ、

触れてはいけないコト、そういった距離感を生んでしまい、物事を本質

から遠ざけてしまうように思えてなりません。



そうならないためにも、いま一度、原点に戻って、「何が本質か!」という

ことを問い直す時期なのかもしれないな、とこの日を迎え、黙祷をささげ

ながら考えていました。



様々な思いを持ち、様々なことがあり、事実その場にいた人にしか感じ

得ないこともあると思います。

うまく言えませんが、そういったことも含め、一人一人がしっかり考えを

持ち、見つめないといけないんじゃないかな、と思います。



震災に限らず、「負の出来事」とされている戦争や事件、事故などは…



重い内容になってしまいましたが、そんなことを考えていました。



今日は、久しぶりに雨が降り、冷え込んで来ました!

風邪をひかないよう、くれぐれも気をつけてくださいね。

それでは、また明日。

おやすみなさぁ~い(^-^)ノ~~