こんばんは
占い師の日の宮燈子です。
ご存じの方はTwitterのプロフでご存知だと思いますが、私の本業は(正)看護師。看護師と占い師のある共通点を最近見つけました。
それは どちらも アートである ということ。
ちょっと看護のお話になります。
私が看護学校で学んでいたときに、教授たちはみんな、「看護はアート(ART)です!!」と繰り返し繰り返し言っていました。
当時、看護学生だった私には、まるで「???」なお話。もちろん、実例を聞いたり見れば、頭ではわかるのですが、自分ではとてもそうは出来ません。新人時代の病棟看護でも、そんなふうに思えることはありませんでした。
時がたって、数十年以上、私も看護師としては中堅〜ベテランあたりに今は位置しています。最近、「看護がアートである」という意味がしみじみとわかるようになってきました。
自分の看護観が出来てきて、患者ごとに分析し、瞬時に必要な看護技術を提供できること(土台)、さらにそこに私らしさという独自性が加わることで、誰も私と同じ看護の仕事は出来ない、という意味で看護がアートたらしめるということがわかったのです。
例えば、声掛け一つ、機械の操作の細かな手順や少しの工夫、こだわりは看護師それぞれ違います。
同僚の看護師がケアを終了したあとの患者の皮膚が、バラ色に美しくなっているのは、その人が限られた保湿剤を魔法のように使っているからです。
私ならば、食事の介助の美しさや、患者に触れる際の所作は他の人に負けない自信があります。
占い師も同じです。同じようにウェイトタロットを使って同じ結果を出していても、「言葉」が違います。
西洋占星術など命占は、もうすぐ土星が巡行になって〜という読みは、同じです。ですが、それらを全員じっくり読んだとしても、内容が一緒でも使う言葉や微妙なよみが違います。
それが「占い師のアート」だと私は思うのです。
そこに占い師のスタイルが出てきます。だから同じものはありません。もちろん、自分のスタイルを築いたと思えるまでは、アートだと実感できないかもしれません。
命占などの占いがAIにとってかわられるかも、という話題をみましたが、それはありえません。占い師が「自分の言葉で語る限り」占いの独自性は保たれると私は思うのです。占いをしているのは誰なのか、それを聞くのは誰なのか。お互いに人間である以上、人間同士でなければ伝わらないものが確実にあります。
そしてその言葉を紡ぎ出すのはどこからなのか、といえば、それは自分の生きる姿勢から滲み出るのです。
だから「言葉」と「声色」でその人が芯があるのかないのか、いろんなことが垣間見えます。
だからこそ、占い師は「言葉が命」ともいえます。生き方が命ともいえるでしょう。
占い師の言葉が寿ぎにも呪いにもなりうる、ということはプロの占い師ならば知っているはずです。
なぜ、ベテランの先生に「鑑定場以外でも、良い言葉を使い、心を磨き、身ぎれいにすること」と言われるのか。
生き様が言葉に出るからです。いくらきれいな言葉を使っていたとしても、絶対にごまかすことは出来ません。
自分の鑑定スタイルを作ることは、ある程度、鑑定経験を積み重ね、占術を学んだり鑑定展開を学べば出来てきますが、「言葉のもとである自分を磨く」ということは、意識していかないとなかなか難しい。
人間力を磨くということは占い師の一生の勉強なのだと思います。
