読書感想文153 よしもとばなな スナックちどり | 恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

ううーん、なんか私にはよー分からん世界だった……。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

よしもとばななさんの「スナックちどり」を読みましたよ!なんか今回は「よしもとばなな」さんなのね。「吉本ばなな」さんじゃなくて。

 

この名義の違いは何なんでしょうね。まあ、中身は吉本ばななさんです。図書館に同じ本が3冊も並んでたので、思わず手にした本書。図書館って話題の本は複数冊仕入れるんですよ。例えば又吉先生の「火花」なんかはこないだ見かけたら4冊ビシッと並んでいました。で、動かなくなると「ご自由にお持ち帰りください」という箱に入れられてその作品の冊数は減らされるわけです。

 

だからたくさん同じ本が並んでるのを見かけると、「あ、これ面白いんだ」と思って手に取るのが私の習慣になっていました。特に吉本ばななさんだし。この方の文章は本当に詩を読んでいるように綺麗で、素晴らしいなあと心底思っていましたので、なんの予備知識がなくても「絶対に外れない」と思って借りてみたんです。「スナックちどり」。でも残念、私にはえらくえらく遠い世界のお話でした……。

 

 

 

主人公はさっちゃんと呼ばれる女性。アラフォーです。ついこないだ旦那が離婚届けにやっと判をついてくれました。彼女の元夫というのは、他人のエネルギーを吸って輝きだすエネルギーバンパイヤなんですね。

 

おにぎり屋の店長を務める彼は、うわべは明るく生き生きとしていて客あしらいもとっても上手。人気者でイケメンで、でも裏では大麻を横流ししたり浮気したり暴力振るったりのダメ男。けどなんか知らないけどキラキラしたオーラを振りまいて、「あ、この人といると楽しいことが待ってそう」と思わせる魔力を持っています。

 

……うん。いるわこういう男。夜の店に行けばばんばんいるわ。にこにこして幸せそうで、でも一皮むけば寂しがりで、自分の欠乏を埋めるために相手のエネルギーを吸いつくす。相手に依存して欲しくて、頼られたくて仕方ない男。でも本心から自分の欠乏から目を逸らしてるから、自分の方が相手に依存してるって気付いてないんだよね。

 

でまあ、そんな元夫とやっと離婚が成立し、せいせいしたさっちゃんは1ヵ月のイギリス滞在を思い立ちます。そこに、ちょうどパリに滞在していたいとこ、ちどりから連絡が入る。

 

ちどりは両親がなく、祖父母が経営する裏路地のスナックを手伝ってきた女性です。さっちゃんと同じくアラフォー。祖父母が亡くなり意気消沈していたちどりと合流し、イギリスの静かなとある田舎町で、ふたりはお互いを癒し合う、優しい時間を過ごすのです……。

 

 

 

……というと、傷心と再生の物語、みたいな感じですよね。

 

実際、ふたりはお互いの苦悩をゆったりとした時間の中でぽつりぽつりと語り合い、肉親の気安さや愛情をもってして悲しみを分け合い、昇華していきます。さっちゃんは離婚、ちどりは祖父母を亡くすという、苦しみが和らいでいったのはいいことだと思います。

 

しかし、このふたり、逆に共依存関係なんだよなあ。さっちゃんは長年水商売をしてきたちどりのおおらかな優しさに癒され、ちどりは祖父母に近い、血の近い肉親と触れ合うことによって悲しみを霧散させようとする。けど結局、誰かに頼って紛らわせようとしてるんじゃない?実際このふたり、血の繋がったいとこ同士、しかも女同士、しかも酒の上の不埒でセックスしちゃうんですよ。いや、まあ寂しい女がふたり酔っぱらって一緒に寝てたらそんなことになるのかも知れん。……なるのか?よー分からんけど、私はなんか違うと思うな。

 

本当に骨身に染みた悲しみを、そんなことにすり替えてしまうのは果たして正しいのか?自分の心の中で、自分で噛み砕いて消化するべきなんじゃないか?ちどりに自分の悲しみを全部開示して、拭ってもらったつもりになっているさっちゃんは元夫と何が違うんだ?ちどりとさっちゃんは、お互いに心の隙間を埋め合うためにエネルギーを吸ったり与えたりし合っただけなんじゃないだろうか……。

 

 

 

まあ、私は離婚したことも親が死んだこともありませんのでねえ……。それが、どれほどの絶望なのか知りません。でも心が壊れそうに辛いことが起きて、そこから這い上がったことならあります。私はその時「これは自分で始末をつけんと一生引きずるなあ」と思ったんですね。

 

誰かに慰めてもらったって、そんなのは一時しのぎにしかならない。本当に心が抉れるぐらいに深くついた傷は、忘れたころに痛み出す。誰かに痛み止めを打ってもらっても対症療法でしかないんだって。自分でどうにかしてやる、と腹を括って傷を治すしかないんじゃないかって。実際治って今は平穏に過ごしてますけど、だからちどりとさっちゃんの慰め合いが一時しのぎに見えてしまった。だってもう女同士がどうこうは言わんけど、いとこでやっちゃあかんって。まあいとこは結婚できるしやっちゃったもんは仕方ないんだけど、なんかねえ……ちょっと、引いたわ。

 

読書をして、人の受け取り方は様々、という話を前回もしました。おそらくは「優しく万人を癒す再生の物語」だったこの「スナックちどり」は、私にはそうは響かなかったというだけですね。まあ、他人事やしね。よそのお方たちが落ち込みから復活されたのだから良かったと思います。でも、私はこういう話は書かないな。書けない。これが感性の差ですね。

 

いろんな感性があるからこそこの世界は美しい。創作ということをわすれ、思わず登場人物たちの生き方にまでのめり込んでしまったこの作品を、私はしばらく忘れることはないでしょう。これも一つの読書の形やな。うんうん。

 

と、いうわけで私はこれからもいろんな感性を探して本を読むのです。

 

ではまたっ!