読書感想文71 川端康成 伊豆の踊子 | 恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

あ……なんか読んじゃった。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

子供が塾に行ってるんですけど、そこの保護者待機席みたいなとこに本棚があるんですよね。子供向け推薦図書とか、先生おすすめの大人向けの一般書なんかが置いてあります。

 

そこから林真理子さん借りたりなんかもしてたんですが、最近はとんとご無沙汰でした。でも今日子供が課題にてこずり……迎えに行っても一向に終わる気配がない。しゃーないので手近にある本を手にして読み始めてしまいました。川端康成の「伊豆の踊子」。

 

なんせこんだけ有名な作品なのに読んだことがなかったんですよね。子供待ってる30分で簡単に読み終わっちゃった。こんなことならさっさと読んどきゃ良かった。

 

昔の作品ですから語り口は難いのですが、なんと奇麗な青春物語。うーん、私結構好きな世界観でした。こんな名作を今更私が説明して何になるんだとは思いますが、読書日記なので簡単にあらすじを書いておきますね。

 

 

 

まず「踊り子」っていう定義が大事で、この頃の踊子っていうのは今の舞妓さんや芸妓さんみたいに華やかな存在ではなかったんですね。「河原乞食」なんて言葉で揶揄されるような、いわば人々の差別の対象になるような存在なんです。流しで歌と踊りを見せて、踊子に客がつけば売春させる。木賃宿と呼ばれる粗末な宿に泊まり歩いて、お座敷に上がり日銭を稼ぐのが踊子たちの仕事なんです。で、対して主人公の若者は今でいう東大の2年生の青年。年齢は20です。

 

その青年が自分の内向きな性格がいやんなっちゃって旅に出たんですね。伊豆へ。途中であった旅芸人の一行の中の踊り子に一目ぼれしましたよ、というお話。踊り子は14歳、生娘です。旅路を共にするうちに青年はどんどん踊り子を好きになっちゃいます。宿屋街でちんとんしゃんが聴こえてくると、もう心中穏やかではありません。踊り子に今日こそ手がついてしまうんじゃないかと気が気じゃないんですね。こっそり泣いたりします。

 

踊り子一行は下田に家があり、ぼちぼちそこに帰るといいます。すっかり仲良くなった青年をそこに誘い、青年もそこを訪ねると約束します。でも路銀も底をついてきたしもう帰らなくちゃな、と思う。別れの朝、踊り子は港にこっそり見送りに来てくれます。いつまでもハンカチを振って見送ってくれる踊り子。踊り子も青年のことが好きだったんですね。青年は船室で横になりながらびーびー泣きます。内向的だった青年はもう泣き顔を人に見られても全然平気。踊り子と触れ合ううちに、なんだかその明るさに伝染してしまったのでしょう。自分を変えることができたお坊ちゃん、うん、良かったね。

 

 

 

ざっくり言えばそんな話なんですが、何と言ってもこの踊り子の可愛らしいこと!昔なので宿屋の露天風呂は男女が繋がってるような形状らしいんですが、青年を見つけると素っ裸で手を振るような天真爛漫さです。子供の弾けんばかりの無邪気さです。二重のラインが何とも言えず美しく、花のように笑い、青年にお茶を出すだけで真っ赤になってもじもじしちゃう踊り子。いや、あんた裸見せたよ?って話なんですが、この素っ頓狂なところがまたいいじゃありませんか。

 

2019年に塾の待合でパパっと読んでもこの可愛さ。当時の読者たちは本当に心を撃ち抜かれたでしょうね。令和が来ようかという現代に読んでも、何ら陰ることのないこの魅力。それから地の文の美しさも私が見たことのないものでした。本は塾に置いて来ちゃったから例を出せないんですが、まあ奇麗な文章です。ああ、文豪ってこういう人のこというのね、と思った。話の中身を読ませるためのものである文章に、飾りが施されてるみたいね。そらノーベル文学賞もとるわなあ……。

 

 

 

というわけで「伊豆の踊子」でした。本音を言えば、青年には踊り子を連れて逃げてほしかったですけどねえ。まあ時代が時代ですし、身分の問題なんかもあってそうはいかなかったんでしょう。

 

青年のブレイクスルー物語であり、悲恋ものであり、踊り子の可憐さを描いた物語でもありました。もっと難解なのかと思ったら全然だった。まあそうですよね、何度も映画化されたお話でもありますし、昔のエンターテイメントだったんだな。面白かったです。

 

では次こそはミステリー。というわけで、またっ。