読書感想文57 田中慎弥 田中慎弥の掌劇場 | 恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

3月が終わっちゃいそーです。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

ああー、あと一週間で3月が終わってしまいます。弱った。まだ小説書き終わってない。中編で終わるなら全然間に合ったんだけどね。2月の上旬には書き始めてたんだから。まさかこんなに長い話になるとは……。

 

まあ今回は書き飛ばす、なんてこともなくすごい言葉を探すのに時間をかけてるんですね。スマホでも書いてない。いくつかウインドウ開けて前後の確認をしたいので(プロットも開けてその先の流れも確認をする)、スマホでは書きにくくて。そしたら子供を寝かしつけながら、とか書けないし習い事に連れてって待ち時間に、とかも書けない。子供に見せてはいけない文言も多数出てくるので、子供が後ろからのぞき込んでくるタイミングにも書けない。夜は夫に付き合ってドラマ見ちゃらないかんし。まああまりにも好みじゃないと本読んで過ごしますけどね。そんなわけで小説は進まんし本も読めなかった週末。3日でやっと1冊読破。大好き田中慎弥さんの「田中慎弥の掌劇場」です。

 

 

 

田中慎弥さんが新聞連載していた掌篇集です。掌篇。ショートショートより短い短編小説のことを指すんだそうです。1編が3ページの短いお話。37編の掌篇が収められています。多すぎるので題名は省略。ざっくり面白かったお話を上げていきたいと思います。

 

まずは「揚羽」。女が一人横たわり、その裸の肩甲骨にアゲハ蝶が一羽とまっています。女は死んでおり、その傍らにはあとを追おうネクタイを手にしている男。

 

心中しようとしているんですね。でも男はネクタイで首をくくる勇気がない。アゲハ蝶の動きに死に向かう自分の心が揺れる。その表現の美しいこと。

 

女の死肉をすすろうとしているかのようなアゲハ蝶の動きに、結局男はネクタイを手にし立ち上がります。首くくる気になったらしい。でもその先にあるのはカーテンレール。「……兄ちゃん!カーテンレールって部屋干ししてるだけでたわむんやで!多分首くくるんには向かんで!」

 

まあそこは私の個人的な感想なんですが。綺麗なお話です。カーテンレールはオチ……だったのかな。すごい丈夫なカーテンレールだったのかな。鴨居とかの方が丈夫なんだろうけどね。それじゃちょっと情緒的にアレか。

 

それから「うどんにしよう」。これは幸せな4人家族の休日の様子。嫁と娘はデパートにお買い物。息子は新しい服を着てデート。お父さんはひとりでお家でのんびり。野球なんか見ながら日曜の昼間をまったり過ごします。嫁さんが昼ごはんも作ってくれていますが、お昼ご飯は冷凍うどんにしようかなーと思います。それで、冷凍庫を開けて。

 

アイスとかタッパーのハンバーグとか5日前のカレーとかラップにくるまった人の手首とかをよけながらうどんを見つける。チンする。幸せな午後。……最初からもう、何が何だか。

 

「願望と遺書」。死にたくて死にたくてしょうがない男が、死ぬわけにいかないから2階建ての家から引っ越して平屋に住み始めます。ネクタイも処分するし包丁も捨てちゃいます。外に出たら電車に飛び込みたくなっちゃうし海に飛び込みたくなっちゃうし、早々に家に帰ってきて遺書を書くことにします。それは死ぬまで書き終わらない長い長い遺書。男は結局死ぬことを忘れてしまうことになります。本末転倒。

 

「空に見たもの」。セックスレスでぶくぶく太っていく妻は、性欲が皆無な夫に肉を食わせまくります。しかしそんな気にならない夫。プライドを傷つけられた妻は「もうこんな欲は捨てよう」と決意します。でもある日ふたりで買い物に出かけた日夫は空に何かを見つける。UFO?霊?「なんだったの?」と訊いても答えない夫。でもその日からセックス復活。やけに幸せそうな夫。結局空に何を見たのかは話さない。……なんやの。なんがおったんよ。

 

 

 

掌篇集。ナンセンスものだったりブラックユーモアだったり純文学だったり、いろんな側面から田中慎弥さんの世界が垣間見えました。自分で書いても楽しそうだなあ。面白いね。ぎゅっと縮小した小さな宇宙。でも腕がいるんでしょうな。私にはなかなか難しそうです。いつかこんなこともできるようになったらいいな。

 

というわけで楽しかったです田中慎弥さん。さあ、あとは1週間できるとこまで今書いている話に向き合いたいと思います。

 

全部書き終えてから、章を入れ替えたり根本的なところをいじったりしたいんだよねえ。間に合うかなあ。まあできるだけ、頑張る。

 

というわけで本を読むのはちょっと間が空くかも。それなりに頑張ろう。

 

では、またっ!