読書感想文45 羽田圭介 スクラップ・アンド・ビルド | 恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

本日2冊目ー。

 
こんばんは、渋谷です。
 
 
 
中編ばっか読んでるからさくさく読めちゃうねー。私が今書いてるのも中編だから、同じぐらいの長さを選んじゃう。どんな具合がちょうどいいのか知りたいしー。
 
というわけで、羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」。羽田圭介さんてやっぱり文藝賞からデビューされてるんですね。
 
デビュー時なんと17歳。わっかいねー。で、又吉先生と同時にこの「スクラップ・アンド・ビルド」で芥川賞を受賞されてます。テレビで見ると変わったお兄ちゃんですが、作品はとても真摯で面白かった。
 
今日読んだ「人のセックスを笑うな」と同じく、若いお兄ちゃんが主人公のお話です。女性作家が書く女性主人公のお話ばかりが続いてたような気がするので、なかなかに新鮮でした。
 
若い男の子って、こんなこと考えるのねー。
 
 
 
主人公は健斗くん28歳。カーディーラーで5年働いて自己都合で退職して無職です。家族はおじいちゃんとお母さんの3人暮らし。おじいちゃんは87歳でよぼよぼ。3年前から同居を始めたおじいちゃんに、お母さんはイライラもマックスです。だっておじいちゃん、ほんとは元気なくせに偽装老人なんだもん。
 
身体は健康だし頭だってしっかりしてる。なのに人が見てる前では杖を突いてよろよろして、すぐ「もう死にたい」「じいちゃんなんか死んだらええんや」的なことを長崎弁で繰り返します。柔らかくて甘い食べ物が大好き。それ以外はお母さんがどんだけ苦心して柔らかいおかずを作っても、ろくに食いもせずに「固い」「食えん」みたいなことを言うんだぜ。家族が誰もいないときには冷凍ピザに玉ねぎまでトッピングして食べるくせに。すっごい素早い動きで移動できるくせに。
 
お母さんがイラっとくるのもわかるわね。家族だからこそ遠慮のない言葉でじいちゃんをゴスゴスにこき下ろすお母さん。おじいちゃんにはおじいちゃんなりの主張があるんだろうけどねえ。やっぱりさみしかったり。老いていく自分が歯がゆかったり。色々あってやっぱり介護って難しい。それも自宅での介護っていうのは、介護する側に大きな負担がかかるものなんですね。
 
それで切れまくるお母さんを見て健斗くん、「じいちゃん、死んだほうが幸せなんじゃね?」って思っちゃう。だって本人「死にたい死にたい」言ってるし。でも痛かったり苦しかったりするのはかわいそう。だから痒いところに手が届く介護で、筋力も思考力も奪って衰えた末に死にやすくしてあげようと思っちゃうんです。それがじいちゃん孝行だ、ってな具合に。
 
 
 
まあね、私も思うんですよ。人生90年時代。私はあと50年生きなきゃいけません。でもこの先どんどん寿命が延びていく。私が死ねるのって、もしかしたら120歳ぐらいなんじゃないかなって。
 
別に自殺願望があるなんて言いませんが、そんなに長生きしなきゃいけないって結構果てしないことのような気がするんです。そんなこと言ったら若くして亡くならなきゃいけなかった方たちに対する冒涜みたいな気もしますが。でもまあ私の人生は私のものだし。はっきり言ってそんなに生きたくない。気力と知力が衰えたうえで生きなきゃいけないなんて嫌。私が「私」じゃなくなった瞬間に死にたい。でもこの先、きっと死ぬことも許されない世界になっていくんだろうなあ。
 
で、まあ無職だしおじいちゃんの介護に精を出す健斗くん。彼女もいてデートもするし、資格の勉強しながら中途採用の面接を受けに行ったりします。なんだかんだ言って前向きな子なんですね。無職ではたから見ればふらふらしてるように見える自分に喝を入れるべく、筋トレを始めたりもします。これにハマって、日々トレーニングをこなしている描写が続く。作者の羽田さんも筋トレが好きなんだって。
 
追い込んで自分の限界を超えて筋肉をいったん死滅させ再生させる。筋トレとはまさに「スクラップ・アンド・ビルド」です。そしておじいちゃんに安楽の死を与えることも、おそらく彼にとっては「スクラップ・アンド・ビルド」。けれど終盤おじいちゃんの入浴の介助中におトイレに行きたくなった健斗くんは、「まあだいじょぶだろ」と思い嫌がるおじいちゃんをお風呂場に置き去りにします。戻ってみるとおぼれているおじいちゃん。ぎょっとする健斗くんは、じいちゃんの「死ぬとこだった」という言葉に、自分は大きな考え違いをしていたのではないかと戦慄するのです。
 
 
 
まあね。じいちゃん「死にたい死にたい」とは言えど、実際目の前に死がやってきたら怖気づくところがあるのかもしれません。て言うか、結局は死にたくなんてなかったのかな。娘や孫の関心を引きたかっただけで。年をとればとるほど、あの世なんかに行くもんかと悪あがきをするものだ、なんて話も聞きます。近づいてはいるけれど体験したことのない「死」というものに恐れを抱くのは当然のことですよね。
 
最後にはじいちゃんとお母さんを置いて、遠隔地に就職を決める健斗くん。じいちゃんはもう殺さなくていい。だってじいちゃんは生きたいんだもの。この一連の経験で健斗くん自身が「スクラップ・アンド・ビルド」されたんでしょうね。人として「?」な彼女とも別れ、彼には生まれ変わった人生が待っているわけです。
 
 
 
なんかね、この本を読んでみて思ったのが、「深読みすれば意味があること」を、「全然何でもないこと」みたいに書くことにはちゃんと意味があるんだなってこと。だから深読みしなきゃ伝わりにくいのかなとも思う。
 
すごい稚拙な感想なんだけど。健斗くんという、「セックスを強めるために一日三回のオナニーを自分に課す」ような、女からするとなんだかよくわからん男の子の日常も、よくよくつぶさに見ていって初めて意味が見いだせる。「スクラップ・アンド・ビルド」というタイトルの持つ意味が分かって初めてこの本って成立するのかなって思った。ぼやっと読んでたらこれ、なんだか意味の分かんない話だ。でもやっぱ、わかりやすく書くだけが能じゃない。
 
読む方にも「読む目」がいるんだね。難解だからいいわけじゃない。「分らんわー」って投げ出したことも多々あるけど。いずれはこういう風に「全部は書かない」みたいな作品が書けるようになりたい。羽田さん、変わったお兄ちゃんだなーって思ってたけど、「作家さん」なんだねえ。
 
ひとつのテーマにいろんな意味を絡めるこの複雑な手法。出来るようになりたいな。面白かったです。
 
ではでは、おやすみなさいー!