読書感想文43 川上未映子 わたくし率イン歯ー、または世界 | 恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

今日はなんかのイベントだったらしくてね。

 
こんばんは、渋谷です。
 
 
 
松山市の文化会館的なとこが近所にあって、そこに図書館が入ってるのね。で、今日図書館行ったら集会が執り行われていた。
 
駐車場に並ぶのは痛車。痛い車。出入り口には銀の髪の烏帽子かぶったお姉さん。ああ、今日はなんかの集会なのね。
 
久々にまじまじと痛車を眺めてしまった。とても不思議。普段はあの車どこに隠れてるんでしょうか。
 
普段あの車が道を走ってるのを見ないってことは、出勤に使ったりはしてないってことよね。だけどどっかのマンションの駐車場に停めてあるのも見たことない。どこにいるの?大体、その自己顕示欲ぶりたるや凄くない?
 
「俺はこのアニメが好きなんだー!」
 
だって何百万もかけてるんでしょう?普段通勤に使わない車に。心の中でこっそり好きでいてもいいはずなのに、それを車で表現する。それだけ愛が深いってことなんでしょうね。「俺がこのアニメを好きだって、みんな知ってくれー!」
 
最近私、「人の自己顕示欲」ってのをなんか考えてしまうのよ。TikTokもそうですが。
 
Twitterとかもみんなが「見て見て!私を見て!私ってこうでこうでこうなの!」って声高に叫ぶ場ですよね。
 
なんで人間ってそんなに自分を見て欲しがるんだろう。何を求めてるんだろう。承認欲求?認めてほしいの?見てもらって、「きもっ」って言われる可能性もあるのに?
 
言ってみれば、小説を書く行為も承認を求めた行為なんですよね。だから私にもそういう気持ちはある。でも、そこには恥じらいがあるんだよ。「こんなん……どうでしょう?」みたいな。
 
恥じらいがない承認欲求ってなんなんだろう。「自分は拒否されない」って絶対的自信?自分に対する信頼?育ちが違うの?自己肯定感が高いからそうなるの?
 
なんかぐるぐる考えちゃうんだよねー。TikToもTwitterも悪く言うつもりはありません。私には難しい、どうして疑問を抱いちゃうのか、自分でもめんどいなって思ってる感じ。
 
痛車でまたしみじみ思いました。そんなことを考えていたからか図書館で手にしたこの本。
 
川上未映子さんの「わたくし率イン歯ー、または世界」です。……よりなんかめんどくなりましたとさ汗
 
 
 
川上未映子さんという方は、大変な美人で最初はミュージシャンとして世に出た方なんですって。詩も多く書いていて、「先端で、さすわ、さされるわ、そらええわ」という詩集で中原中也賞、ほかにも谷崎潤一郎賞や渡辺淳一文学賞、「乳と卵」で芥川賞もとってます。この「わたくし率イン歯ー、または世界」は初の小説作品にして芥川賞候補作です。
 
だからというかなんと言うか、この本もまるで小説というか詩です。小説だと思って読むとすげえ読みにくいです。でも詩だと思って読むと妙な魅力があります。まず「わたくし率イン歯ー、または世界」って題名がわからんわね。序盤から繰り広げられる世界は、まるで狂人の見ている世界です。
 
主人公の「わたし」は美容部員として長年働いていたと「自分で思っている」女性です。その彼女は自分の奥歯が大好き。かれこれ歯磨きせずに生きてきたのに虫歯にならない彼女の歯。綺麗な奥歯。「自分っていうものはどこにあるんだろう」って考えた時に、彼女は「自分というものの本体は奥歯にある」と思うんですね。
 
「自分はどこにあるか」って言われたら、大体の人は脳か心臓、って言いますよね。それが奥歯。……奥歯。意味が分からん。しかも文体は一人称の支離滅裂な関西弁。日本語として成り立ってません。小説として読んだら読めん。でも、芥川賞作家の三田誠広さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
 
純文学は挑戦的な姿勢も評価されるんだって。これは挑戦的って言うか実験的な印象すらありますけど。文学は自由なんだね。書きたいことを書きたいように書けばいいんだ。
 
でも、おもうがまま文章をちりばめていたんじゃただの妄想でしかない。ちゃんとそこに読者に読ませるだけの理由がなきゃいけないんでしょうね。この「わたくし率イン歯ー、または世界」にもちゃんとした理由がありました。
 
 
 
「自分」は奥歯の中にあると思っていた「わたし」。なんの資格もないんですが歯医者で働き始めます。わたしが中学時代から付き合っていると思っている男が「青木」。青木は最近忙しくてわたしに会ってくれません。将来の子供に向けて、「母の日記」を書き始める。その中でわたしの日常が色々と書き連ねられていきます。
 
青木との馴れ初めも。青木とわたしは中学時代、図書館で川端康成の「雪国」について言葉を交わしたことで知り合います。あの雪国の冒頭には、主語がない、んだって。
 
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。ああ確かに、主語ないね。それは「わたし」がないってことなんだって。……まあ確かに。まだこの時点では何を言ってるのかわからん。確かにないわ。で、それで?
 
ある日わたしが勤める歯医者に青木がやってきます。久々に会えてうれしいわたしは、帰ろうとする青木を追っかけます。そして家まで走ってって玄関先で騒いだら、出てきたのは記憶にある青木とは違う大人になった青木。そしてその嫁。
 
青木と付き合っていると思い込んでいるわたしは大暴れ。私という存在は奥歯の中にあるんだと大演説をぶちます。だから青木よあんたの奥歯も私に見せろと。それで私たちは繋がっているんじゃないかと。でもそこで、冷静な青木の嫁が真実を明かします。これで意味不明な狂人の世界が一気に現実に帰ってくる。
 
わたし、は鏡モチのようないわゆる巨デブのちょっとおかしい子なんですね。だから今まで語られてきたことも大半は妄想だとわかる。青木とは中学時代に言葉を交わしたことがあるだけ。わたし、は子供時代に大変ないじめと虐待を受けておかしくなっちゃったのです。だから痛みを感じない奥歯に自分を押し込めた。そこに「自分」を入れておけば安全だから。そして川端康成を通して「そこにはわたし、がないんだ」と気付かせてくれた青木を唯一の理解者として愛してしまう。
 
わたし、は最後には歯医者に行って麻酔なしで奥歯を抜いてもらっちゃいます。……痛いわ。痛すぎるわ。奥歯も親知らずも抜きまくった身としては震えあがるわ。でもそれでわたし、は抑え込んでいた自分とサヨナラしたんですって。よかったんだか……なんなんだか。まあ良くてもよくなくてもいいんでしょう。そういう人がいた、というだけなんでしょうね。そこに意味なんてないんでしょう。でもまあとにかく、びっくりしたけど。
 
なんせびっくりした話ですよ。最初の「……はあ?」から読後の「えええ????」までの疾走感がすごかった。ひゅーん、と駆け抜けていった感じ。この衝撃は、なかなかないですねえ。
 
この美人さんは何考えてるのでしょう。だいぶいっちゃってるんでしょうか。面白い。怖いけど、もうちょっと見てみたい。そう思いました。
 
 
 
このわたくし率イン歯ー、または世界にはもう一作、「感じる専門家 採用試験」という短編も収録されています。
 
また煽る題名やな。子なし主婦と妊婦さんの葛藤のぶつかり合いです。なんで子供を産むのか。なんでって……そんなん言われても、困るんやけど。
 
「子供が欲しいんやったら恵まれない子供を育てればええやん。なんで自分の子を欲しがるの?なにがしたいの?」
 
そんな事を訊いてくる主婦。……いやあ、それが生き物の本能なんちゃうん? 出来たから産む。そこに疑問を投げかけられても……。
 
このよーわからん疑問を「感度の鋭さの試験」と言われちゃうと。私って鈍感?って気がしちゃう。でもそーやろ。自分が産んだ子供以外を育てるのってハードル高いよ。
 
 
 
……そんな具合に「感度鋭すぎて生きていくのが大変そう」な川上未映子さん。面白い人ですねー。こんな感性になりたいとは思いません。色々大変そう。でも、はたから見てる分には面白い。
 
最近詩に興味があるんですよね。そこから川上さんの本を読んでみようと思ったんです。この人の詩集も読んでみたい。図書館で貸し出し中で借りれなかったのよね。それで読んでみた「わたくし率イン歯ー、または世界」。
 
いろんな人がおるねー。この先も色々見よっ。びっくりさせてもらいました。
 
ではではまたー!