読書感想文41 桜庭一樹 桜庭一樹短編集 | 恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

TikTokてあれ、なんやの。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

今日ねー松山城の下に広がってる公園を散歩してたんですね。いわゆる「三の丸」にあたるところにただっぴろい芝生の公園があるんですよ。昔は競輪場とかがんセンターとかあったとこが、だーっと公園になっている。

 

そこを夕方歩いてると、なんかいろんな青春が見えて楽しいんですよね。あっちこっちで放課後の中学生だの高校生だの大学生だのが、ストレッチしたりキャッチボールしたり楽器演奏したり歌ってたり踊ってたりする。

 

その踊り組がね、ちょっと前まではいわゆる「ダンス部」とか。「ヒップホップ的なアレ」とか。たまに「山海塾?」とか。まだ理解の範疇だったんですけど、最近はよーわからん。多分TikTokに上げる動画をとってるのかなと思うんですけど。

 

すごい変な動きをするのね。誰かがスマホで撮りながら。美的でもなんでもなくよいよいする謎の動き。あれ撮ってるとこをはたから見てると、ほんと滑稽。みんな楽しそうにやってるんですけどね。でも制作過程は結構笑けるよ。

 

そんな話を夕食の場で話題にした。「なんかすごい変だったよー」と私が口にすると、そこでうちの未就学児が急に歌いだしたのよ。例のあの懐かしのメロディー、「め組のひと」。

 

怖え……。未就学児がラッツ&スター。倖田來未の方か?にしても、この違和感は何なんだ。

 

ちょっと異次元に入り込んだような恐怖感があるよ。知らない踊りがあっちでもこっちでも繰り広げられ。家に帰って現実に戻ろうとしたら家でもその続きが繰り広げられ。

 

なんか「世にも奇妙な物語」っぽい夕べでしたとさ。前置きが長くなりましたね。なんか言いたかったの。

 

桜庭一樹さんの「桜庭一樹短編集」を読みました。楽しかったー!

 

 

 

桜庭一樹さん、短編集になるといろんな魅力を見せてくださいました。この本は短編集で、収録作が

 

このたびはとんだことで

青年のための推理クラブ

モコ&猫

五月雨

冬の牡丹

赤い犬花

 

となっております。

 

 

 

 

ほんとに毛色の違う作品群で、これを同じ作家さんが書いたのかなと思う多才ぶりでした。「このたびはとんだことで」は写実的ブラックユーモアって感じでしょうか。すでに死んじゃった夫が骨壺の中から一人称で見えるものを描写していきます。線香をあげようとやってきたのは、不倫相手だけれど男がとうに飽きてしまった女、艶子。迎えうつのは本妻、千代子。

 

このふたりの攻防を、骨壺から主人公はただ見ることしかできません。荒唐無稽な争いは男の手の出せないところで繰り広げられます。うーん、男の浮気心って死んだのちも罪なものね。

 

「青年のための推理クラブ」はどちらかというと青少年向け。あっさりと読める短編で、「モコ&猫」も青春の瞬き、的なお話です。公園で特に主体なく集まってる若者たちも、頭の中では色々考えてんだろうなって想像するようなお話。若さの一瞬のきらめきですかね。「赤い犬花」は少年が主人公の冷たく熱い冒険譚。ちょっとしたミステリー的要素と、スタンドバイミー的な郷愁に惹きつけられます。さすが桜庭さん、すてきだなあと思います。

 

でも、一番私好みだったのは「冬の牡丹」かな。

 

 

 

牡丹ちゃんはとっても美人な32歳の派遣社員。お父さんの期待に沿ってずっと優等生でやってきて、でも27歳にして立派な上場企業からリタイアしちゃいます。そこから派遣の日々。妹が離婚して子連れで実家に帰ってきちゃったものだから、「河合荘」みたいな安普請のアパートで独り暮らしを始めることになりました。でも両親の束縛から離れることができてせいせいしています。この牡丹ちゃんのキャラが、すっごくいい。

 

嫌な考え方ですが、学生時代って、「一軍」「二軍」「三軍」みたいに厳然としたヒエラルキーがあるじゃないですか。一軍はリア充、二軍は半リア充、三軍は非リア充。その外に欄外の子がいて。牡丹ちゃんは賢いので、おそらく二軍と三軍の間ってところですかね。でも私の記憶では、この下層の子たちの中に、すごい変わった子がいた記憶があるんだよなあ。

 

ちなみに私は「欄外」の子でした。まず集団に馴染まんしね。高校に行くとなかなか現れない珍獣になりますが。そういった立場から見て、牡丹ちゃんという子はとても面白い子です。

 

目立とうとしないので三軍かと思いきや、まったく卑屈さがないのよね。自分を持ってるから一軍の子とも堂々と話せる。三軍に馴染みながらも自分は「何軍」なんてヒエラルキーの序列に分けられているなんて微塵も考えない。美人だからこその自信かな。面白い。私が知ってるこんな子は、遠慮と自己顕示欲を両方持っていて、ぼそっとすごい笑えることを言ったりするような子でした。なんかヒエラルキーなんか超えてるような、人間として興味深い子だった。それがこの主人公牡丹ちゃんで、彼女が出会うボロアパートの隣人慎さんもまた魅力的なんですよ。

 

古い猫の毛皮みたいな匂いがする60代後半ぐらいの老人。少年と青年の間から成長しきってないような軽さを持った老人です。ボロアパートの一室に酔いつぶれた牡丹ちゃんを保護します。でも手は出さない。部屋には外国文学の山のような単行本。「趣味に生きようと思ったら、荷物は多くなくていい」という言葉通り、何にもない質素な部屋で日々を淡々と過ごす慎さん。実はこのアパートの大家さんでお金持ちです。だからこその余裕。いいなあ、かっこいいなあ……。

 

二人が出会い、牡丹ちゃんには現実がのしかかります。婚活。身軽に責任なく生きていくことへの罪悪感。結婚て結局しなきゃいけないわけ?シングルで出戻った妹に「姉ちゃんを越えたくなんかなかった」なんて言われたりして。いつ越えられたよ。結婚して子供産むってそんなに偉いことなのかよ。

 

牡丹ちゃんの現実に即した悩みと、霞食って生きてそうな慎さんの身軽で、ある意味軽薄な生き方。でろでろに酔っぱらって愚痴る牡丹ちゃんの首を、慎さんはそっと絞めたりします。死んでもいいやぐらいに思ってた牡丹ちゃんも、やっぱり「締めないで」って言っちゃう。二人は交わりそうで交わらない。でもおんなじ人種を見つけた安心感をもってお話は終わります。変わった感覚を持つと、人間って孤独になるね。

 

流行ってるものの濁流に乗れずに遠巻きに見ている人間の孤独。良いとされるものの良さがわかんない人間の孤独。でも同じ感覚の人間を見つけた時の安心感って果てしないんでしょう。わかる。冒頭に書いたTikTokが繋がったぞ。

 

なんかこういう「異端者への慈しみ」みたいなものが桜庭一樹さんの書かれるものにはあるんでしょうかねえ。私毎回ズキューンとしちゃいます。やっぱり、好きだなあ。

 

 

 

ああ、長くなっちゃった。楽しかったです。もう寝なきゃ。

 

というわけで、おやすみなさい!